第9章:ひと晩のすれ違い
いつものように、夜になった。
レイさんは台所で、残っていた野菜で簡単な炒め物を作り、ゆっくりと食事を済ませた。
昨夜は珍しく、妹が来ていた。
あのうるさい声と、笑い声。静かな日常にはない音だった。
今夜はまた、いつもの静けさが戻ってきている。
煙草を持ってベランダに出ると、ちょうどそのタイミングで——
「……あ、来た。」
壁の向こうから、少しだけ拗ねたような声が聞こえた。
「こんばんは、アオイさん。」
「こんばんは、レイさん。」
少し間があった。
「昨日、来なかったね。」
「……ああ、妹が来ててな。」
「妹さん?」
「突然来て、うちのご飯が食べたいって騒いでた。」
「ふふ、かわいいじゃん。」
「うるさいだけだ。」
「でも、ちょっと羨ましいかも。」
「なにが?」
「誰かが、急に会いに来てくれるって。にぎやかで、いいなって。」
レイさんは、煙を吐きながら一瞬言葉に詰まった。
「……そうか。」
「うん。でも別に、寂しかったとかじゃないからね?」
「……疑ってない。」
「ふふ、ほんとに?」
「ほんとに。」
アオイさんの声が、少しだけ柔らかくなった気がした。
「じゃあ、許してあげようかな。昨日の欠席。」
「助かる。」
いつもの空気が、また自然に戻ってきていた。
「妹さん、また来るの?」
「たぶん、気が向いたら。」
「そっか。……じゃあ、次来たときはさ。」
「ん?」
「おすそ分け、期待してるから。」
「……できたらな。」
笑い声が、壁の向こうで静かに響いた。