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バルコニー  作者: ソラ
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第22章:台風の妹、現る!

祭りの夜から数日後。二人の関係は、静かに、だが確かに形を変えていた。ベランダ越しの声だけの距離は過去のものとなり、今ではどちらかの部屋で一緒に過ごすのが、新しい日常になりつつあった。


その夜、二人はレイの部屋にいた。


夕食を終え、レイが洗い物をしている間、アオイはリビングのローテーブルで新しい小説のページをめくっていた。車椅子のすぐそばには、あの祭りの夜にレイが勝ち取った(とアオイは主張している)パンダのぬいぐるみが、ちょこんと座っている。


静かな時間だった。水の流れる音と、時折聞こえる食器の触れ合う音。アオイが時々、くすりと笑い声を漏らす。レイが「何がおかしい」とキッチンからぶっきらぼうに尋ね、アオイが「なんでもないよ」と悪戯っぽく返す。


そんな、穏やかで、満ち足りた空気。


その静寂を、けたたましい電子音が引き裂いた。


ピンポーン、ピンポーン!


まるで緊急事態を告げるかのように、インターホンが執拗に鳴り響く。レイは濡れた手をタオルで拭きながら、眉をひそめた。


「誰だ……?」


宅配便の予定はない。セールスなら無視する。アオイが不思議そうに顔を上げた。


「お友達?」


「いや……心当たりがない」


レイが訝しげに玄関のドアを開けた、その瞬間。


「お兄ちゃーん!会いたかったよー!ただいまー!」


嵐が来た。


スーツケースを片手に、満面の笑みを浮かべた少女——レイの妹、ユイがそこに立っていた。彼女はレイの返事を待つこともなく、ずかずかと部屋に上がり込む。


「もう、連絡くらいしろっていつも言ってるだろ」


「サプライズじゃなきゃ意味ないじゃん!……って、あれ?」


ユイの言葉が、不意に止まった。彼女の視線は、玄関の隅にきちんと揃えて置かれた、一足の可愛らしいサンダルに釘付けになっていた。男の一人暮らしの部屋には、あまりにも不釣り合いな存在。


「ねえ、お兄ちゃん。この可愛い靴……だーれーのー?」


にたぁ、と効果音がつきそうな笑みを浮かべ、ユイはリビングを覗き込んだ。そして、ソファのそばで何が起きたか分からず固まっているアオイの姿を、その目に捉えた。


ユイの目が、大きく、大きく見開かれる。


数秒間の沈黙。


次の瞬間、ユイはアオイとレイを交互に指さしながら、金切り声を上げた。


「か、か、か、彼女ーーーっ!? お兄ちゃんに彼女ができたの!? しかも何この美少女! 犯罪だよ!」


「……うるさい。声がでかい」


レイがこめかみを押さえる。ユイはそんな兄を完全に無視して、アオイに駆け寄った。


「初めまして! 私、レイ兄の妹のユイって言います! いつもこの無愛想でコミュ障な兄がお世話になってます!」


「あ、あの……初めまして。宮沢、アオイです。こちらこそ……」


アオイは突然の嵐の来訪に戸惑いながらも、必死に笑顔を作って会釈した。ユイは車椅子に座るアオイの姿をちらりと見たが、そのことには一切触れず、それよりも重大な関心事があるといった様子で、目をキラキラと輝かせた。


「え、いつから!? いつから付き合ってるの!? どっちから告白したの!? もうキスはしたの!?」


矢継ぎ早に繰り出される質問の嵐。レイの額に青筋が浮かぶ。


「お前には関係ない」


「関係なくなくない! 大問題だよ! あのレイ兄に春が来たんだから! 国家事業として祝うべき!」


「どこの国の事業だ」


ユイは兄のツッコミを華麗にスルーし、アオイの手を両手でがしっと掴んだ。


「アオイさんって言うんですね! すっごく可愛い! 私、お兄ちゃんにこんな可愛い彼女ができるなんて夢にも思わなかった! 奇跡だよ!」


「あ、ありがとうございます……?」


アオイはユイの圧倒的なエネルギーに押され、ただ曖昧に微笑むことしかできない。


ユイは部屋の中をぐるりと見渡し、名探偵のように目ざとく「証拠」を発見していく。


「あ! このマグカップ! ペアじゃない!? しかもこのパンダのぬいぐるみ! 絶対お兄ちゃんの趣味じゃない! これ、デートで取ってもらったやつでしょ!?」


「……たまたま、そうなだけだ」


「嘘だ! この前電話したとき、女の人の声が聞こえたの、絶対アオイさんでしょ! あの時問い詰めたら『同僚だ』なんて言ってたけど、やっぱり嘘だったんだ! この嘘つきブラコン兄!」


「誰がブラコンだ」


レイはもう反論するのも億劫になったらしく、深いため息をついてキッチンに戻り、半ばヤケクソ気味にコーヒーの準備を始めた。兄が戦線離脱したのを見て、ユイは「しめしめ」とばかりにアオイの隣にしゃがみ込んだ。


「アオイさん、ごめんね、うちの兄、あんなんですごく無愛想でしょ?」


急にトーンを落とした優しい声に、アオイは少し驚いた。


「いえ、そんなこと……。レイさんは、とても優しいです」


「やっぱり! そうなんだよね! 根はすっごく優しいの。でも、それを表に出すのが死ぬほど下手で。……でもね、アオイさんと一緒にいるときのお兄ちゃん、なんだか顔がすごく柔らかい。私、あんな顔、初めて見たかも」


ユイは、まるで自分のことのように嬉しそうに言った。その屈託のない笑顔に、アオイの緊張も少しずつ解けていく。


「ふふ……なんだか、嬉しいです」


「私の方こそ嬉しいよ! お兄ちゃんのこと、よろしくお願いしますね! あ、そうだ、これからは私のことも『ユイ』って呼んで! 私も『アオイちゃん』って呼んでいい?」


「は、はい。もちろんです、ユイちゃん」


「やった! これで私たち、今日から友達ね!」


アオイが「え?」と聞き返す間もなく、二人の間には友情が成立していた。


コーヒーを三つ、トレーに乗せてレイがリビングに戻ってくると、そこにはさっきまでの嵐が嘘のように、キャッキャウフフと楽しそうに笑い合うアオイとユイの姿があった。


「……何を話してた」


訝しげに尋ねるレイに、ユイとアオイは顔を見合わせ、悪戯っぽく笑った。


「「秘密ー!」」


声が綺麗にハモった。


「……そうか」


レイはむすっとした顔でコーヒーをテーブルに置いた。その様子を見て、ユイがからかうように言う。


「お兄ちゃんが照れてるとこ、可愛いよねーって話してたんだよ」


「……誰が照れてるか」


「あ、今照れた」


「照れてない」


「照れてるー」


アオイも、そのやり取りを隣で楽しそうに笑いながら見ている。レイは完全に孤立無援だった。


ユイはコーヒーを一口飲むと、重大なことを思い出したかのように手を叩いた。


「そうだ! 私、今日泊まってくから! 夕飯、レイ兄の特製オムライスが食べたーい!」


「……はぁ。勝手にしろ」


レイは諦めたようにそう言うと、冷蔵庫に向かって歩いていった。その背中は、文句を言いつつも、どこか楽しそうに見えなくもなかった。


新しくできた「恋人」と、昔からいる「台風」。


レイの静かだった日常は、二人の明るい光によって、やかましくも温かく照らされ始めていた。レイは卵をボウルに割り入れながら、こうして穏やかに暮らすのも、案外悪くないものだな、とふと思った。



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