第11章:あの頃の私へ
私は、生まれたときから、足が動かなかった。
初めてそれを理解したのは、保育園の頃だった。
他の子どもたちが走って遊ぶ中、私はひとり、車椅子の上からその景色を見ていた。
「アオイちゃんも、来ていいよ!」
そう言ってくれる子もいた。
でも、ほんの少し一緒に遊んで、すぐに離れていった。
気を使ってるのが、子どもながらに分かった。
——でも、ひとりじゃなかった。
お父さんがいた。
母は、私を産んで間もなく亡くなった。写真の中でしか見たことがない。
だから私は、物心ついたときから、父と二人きりの世界だった。
毎朝、起こしてくれて、髪を結んでくれて、ご飯を作ってくれて。
車椅子を押して、園や学校まで連れていってくれた。
帰り道、必ずアイスを買ってくれて、同じベンチで空を見て帰った。
父の存在は、私のすべてだった。
—
小学校に上がると、周囲との「差」がはっきりしてきた。
特に運動会や遠足、行事のたびに「できないこと」が増えていった。
「アオイって、なんか……かわいそう。」
「一緒にいると、先生に怒られるからやだ。」
そんな声が聞こえてくるたびに、心がぎゅっと痛くなった。
でも、家に帰れば父がいた。
何も言わなくても、隣にいてくれた。
—
中学では少し強くなった。
自分のことで笑う人がいても、目をそらすことを覚えた。
でも——
高校に入る前のある日、父が交通事故に遭った。
一命はとりとめたものの、脳に損傷を負い、意識が戻らないまま眠り続けた。
……世界が、崩れた。
病院の廊下で、ベッドの横で、泣いても、叫んでも、目を開けてはくれなかった。
私の支えが、突然消えてしまった。
—
その日から、母方の親戚の家で暮らすことになった。
形だけの「保護」だった。
「この子のせいでお姉ちゃんは……」
「ほんとに迷惑よね、あんな子……」
夜中、部屋の外から聞こえるヒソヒソ声。
私はただ、布団を握りしめて、泣いた。
そんな中でも、学校には行き、静かに勉強を続けた。
「いつか、抜け出すため」に。
—
そして私は、毎週病院へ通った。
父のそばで、話しかける。
「今日はね、学校でね……」
「みんなと同じように、歩けなくても、私、がんばるよ……」
誰にも届かない声だと分かっていても、話し続けた。
いつか、届くことを願って。
—
大学に入った頃には、親戚との関係は完全に冷えきっていた。
私は、早く独り立ちしようと就職活動を始めた。
でも、履歴書に「身体障害者」の欄があるだけで、面接は通らなかった。
——何度も、もう終わりにしたいと思った。
でも、そのたびに、父の寝顔が浮かんだ。
私が勝手に諦めたら、父が守ってくれた日々が無駄になる気がした。
—
大学卒業後、私は、昔家族で住んでいたこの部屋に戻った。
そして静かに、一人暮らしを始めた。
最初は怖かった。夜が怖くて、風が怖くて、沈黙が怖かった。
でも、ある日、ベランダから聞こえた煙草の匂いと、静かな吐息。
それが、少しだけ私を外に向けてくれた。
そして、壁の向こうの誰かが、私の夜を少しずつ変えていった。
「……お父さん、まだ、聞こえてるのかな。」
病室のベッドの前。
今日も私は、父の手を握りながら、そっと囁いた。
「……私、ちょっとだけ、変われそうかも。」




