第49話:砕け散る計算、日本一の誕生〜機械が認めた食への愛と頂点の景色〜
ブォォォォォォォォォンッ!!
東京ビッグサイトの巨大アリーナに鳴り響いた、試合終了を告げる重低音のブザー。
天井からは金と銀の紙吹雪が乱舞し、一万人の観客が発する怒涛の大歓声が、スタジアムの空気をビリビリと震わせていた。
「し、試合終了ぉぉぉぉぉっ!! 六十分間の壮絶なる死闘が、今、ここに幕を下ろしましたぁぁぁっ!!」
実況MCの陣内拓海が、汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、枯れんばかりの声でマイクに向かって絶叫する。
「データと感情の激突! 人間が到達し得る絶対的な限界点、十キロの壁を超えた神々の戦い! ただいまより、厳正なる『計量』に入ります!!」
陣内の合図と共に、白手袋をはめた大会の公式審査員たちが、メジャーと巨大なデジタル秤を持ってステージに上がってきた。
まずは、四宮凛子のテーブルである。
凛子は、両手をテーブルの上に力なく下ろし、小さく肩で息をしていた。グレーの事務服にはシワが寄り、常に冷徹だった彼女の顔には、隠しきれない疲労と苦痛の色が浮かんでいる。
審査員が、凛子のどんぶりとおひつに残された白米、そしておかずの残量を計測し、彼女が摂取した総重量をデジタルパネルに弾き出した。
「四宮凛子選手、摂取総重量……『十キロと八百グラム』!!」
陣内が数字を読み上げる。
「凄まじい記録です! 人間離れした驚異的な精密さで、最後の最後までペースを崩さず、十キロの壁を自らの計算で突破してみせました! しかし……最後は胃袋の限界か、一口も喉を通らない状態でのタイムアップとなりました!」
凛子は、その数字を聞いても表情を変えなかった。
十キロと八百グラム。それは、彼女自身が事前に弾き出していた「自らの胃袋の限界キャパシティ」と寸分の狂いもない、完璧なデータ通りの数値であった。
つまり、彼女は『自分の限界のすべて』をこの試合で出し切ったのだ。
だが。
「続いて! エルフちゃんねる・シルフィリア選手の計量に移ります!」
審査員たちが、シルフィリアのテーブルへと向かう。
シルフィの目の前にある巨大などんぶりは、一粒の米すら残さず、綺麗に空っぽになっていた。彼女の身体を包み込んでいた神々しい黄金のオーラはすでに消え去り、そこには、ポンポンに膨れたお腹をさすりながら、極上の満足げな笑顔を浮かべる一人の美少女の姿があった。
審査員が、おひつやバイキングの銀盆の残量から、彼女が胃袋に納めた重量を計算する。
そして、巨大モニターに表示されたその数字に、会場の全員が息を呑んだ。
「シ、シルフィリア選手、摂取総重量……!!」
陣内の声が、極限の驚愕に裏返る。
「『十二キロと二百グラム』だぁぁぁぁぁぁっ!!」
ワァァァァァァァァァァァァァァッ!!
アリーナが爆発したかのような大歓声に包まれた。
「ウソだろ!? 十二キロだと!?」
「あの細い体のどこにそんなに入ってるんだよ!!」
「化け物だ……いや、食の女神様だ!!」
十二キロ。
それは、人間の胃袋の限界はおろか、エルフの魔力タンクの飽和点すらも、彼女自身の『食への愛』による強制拡張(限界突破)で打ち破った、正真正銘の奇跡の数字であった。
「四宮凛子選手! あなたは素晴らしい戦いを見せてくれました! しかし……この結果を受けて、何か言葉はありますでしょうか!」
陣内が、マイクを凛子へと向ける。
凛子は、ゆっくりと立ち上がり、ズレた黒縁メガネを中指で押し上げた。
そして、大きく息を吸い込み、マイクを通して静かに語り始めた。
「……私の負けです。ギブアップ(完全敗北)を宣言します」
それは、これまで一切の感情を排してきた彼女の口から出た、初めての『敗北』を認める言葉であった。
「十二キロという質量を処理することは、いかなる生物の消化器官であっても、そして私の構築したデータ上でも、物理的に不可能なはずでした。……感情という不確定要素が、物理法則を、キャパシティの限界を凌駕するなど、あり得ない。……バグですか、これは」
凛子は、自嘲するように微かに口角を上げた。
「ですが……認めざるを得ません。あなたが『美味しい』と心から感動して食べていたあの姿と、その感情が生み出した圧倒的な処理速度を」
凛子の冷たいガラス玉のような瞳が、初めて人間らしい温かな光を帯びて、シルフィリアを真っ直ぐに見つめた。
「ご飯は、頭で食べるものではない。心で食べるものだというあなたの証明……確かに、私のデータに深く刻み込まれました。完敗です、シルフィリアさん」
凛子が深々と頭を下げた瞬間、アリーナから、この日最大の温かい拍手が沸き起こった。
感情を排除した機械が、ついに感情の力と食への愛を認めたのだ。
「四宮凛子選手からの、敗北宣言!! これにより、長きに渡った過酷な耐久戦の勝者が、今ここに決定いたしました!!」
陣内が、ステージの中央に立ち、シルフィリアの右手を高く天へと掲げた。
「データと計算を打ち砕き! 己の限界をも破壊した、食を愛する美しきバケモノ! 全日本大食いチャンピオンシップ、栄えある第一位、日本最強の称号を手にしたのは……エルフちゃんねる・シルフィリアぁぁぁぁぁぁっ!!」
ドッバァァァァァァンッ!!
ステージの四隅から、巨大な祝砲が打ち上げられ、金色のテープが何百本も会場を舞い飛んだ。
「シルフィー!! おめでとーっ!!」
「日本一だぁぁぁっ!!」
一万人の観客が総立ちになり、割れんばかりの拍手と歓声で、新たなる女王の誕生を祝福する。
「シルフィィィィィィィッ!!」
その時、ステージ袖から、篠原結衣が猛ダッシュで飛び出してきた。
「結衣殿!!」
シルフィが両手を広げると、結衣は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、シルフィの胸に勢いよく飛び込んだ。
「やった……やったよシルフィ! あんた、本当に、本当に日本一になっちゃったよぉぉっ!!」
「はいっ! 結衣殿が作ってくれた、あの美味しいおにぎりのおかげです! あの温かさが、私に限界を超える力をくれました!」
シルフィは、結衣を抱きしめながら、ポロポロと嬉し涙を流した。
「よくやったぞ、嬢ちゃん!!」
遅れてステージに上がってきた定食屋のゲンさんも、豪快に笑いながら二人の肩をバンバンと力強く叩いた。
「俺の見込んだ通りだ! あの機械女に、日本の白米の美味さと、食への愛を叩き込んでやったな! 最高に良い食いっぷりだったぜ!!」
「ゲンさん殿! ありがとうございます! 満腹亭でいただいたあの唐揚げがあったからこそ、私はここまで来られました!」
固い絆で結ばれた三人。その姿は、全国中継のカメラを通して、日本中の視聴者の胸を熱く打っていた。
「ちょっと! 感動の再会をしてるところ悪いけど、私たちもいるのよ!」
ステージの奥から、アイドル大食いクイーンの姫野くるみと、レジェンドの轟牡丹が歩み寄ってきた。
「くるみ殿! 牡丹殿!」
くるみは、ツンとそっぽを向きながらも、その目にはうっすらと涙を浮かべていた。
「ま、まあ……今回はあんたに花を持たせてあげるわよ。あのバケモノみたいな機械女を倒せるのは、あんたのそのバカみたいな『食い意地』しかなかったみたいだしね。……おめでとう、シルフィ」
「くるみ殿……! はいっ! 次こそは、また一緒に原宿でクレープをたくさん食べましょう!」
シルフィがくるみの手をとってブンブンと振る。
牡丹は、極彩色の和服を翻し、貫禄のある笑顔でシルフィの頭をポンと撫でた。
「見事な限界突破だったよ。アタシが教えた『胃袋の奥の扉』を、まさか力ずくでぶち壊して、あんなにデカく拡張しちまうとはね。……あんたはもう、アタシなんかよりもずっと高く、誰にも届かない場所に行っちまったよ。誇りに思いな、あんたが正真正銘の、日本一の大食い王だ」
「牡丹殿……! もったいないお言葉、一生の宝物にいたします!」
かつてのライバルであり、親友であり、師匠である者たちからの、心からの祝福。
シルフィの胸は、美味しいものを食べた時とはまた違う、温かく、満ち足りた幸福感でいっぱいになっていた。
「さあ! それではこれより、表彰式へと移ります!!」
陣内の声で、ステージの中央にレッドカーペットが敷かれ、大会のスポンサー企業の重役たちが、きらびやかなトロフィーと目録を持って登場した。
シルフィは、結衣に背中を押され、ステージの最も高いお立ち台へと登った。
「栄えある全日本大食いチャンピオン、シルフィリア選手に、優勝トロフィーの授与です!!」
ズシリと重い、黄金に輝く巨大なカップが、シルフィの両手に手渡される。
「続いて! 優勝賞金、一千万円の目録の授与です!!」
『10,000,000円』と書かれた、新人王戦の時の十倍もある巨大なパネルが手渡された。
「いっ、いっせんまんえんんんんんっ!?」
その額面を見た瞬間、ステージ下の結衣の目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「シ、シルフィ! 一千万円よ! これなら、借金も返せるし、防音完備のタワーマンションに引っ越せるし、最高のカメラ機材も買い放題よぉぉっ!!」
結衣が感極まってバンザイをするが、シルフィはキョトンとして首を傾げた。
「結衣殿、何を仰っているのですか? このお金は、すべて『美味しいご飯』と交換するための魔法の紙なのでしょう? 一千万円もあれば、銀座の回らないお寿司が、一体何貫食べられるのでしょうか!?」
シルフィの、いまだに「お金=食費」というブレない発言に、アリーナ中がドッと大爆笑に包まれた。
「ハッハッハ! さすがは日本一のチャンピオン! 一千万円を手にして考えるのは、次のご飯のことばかりのようです!」
陣内が笑いながらマイクを向ける。
「シルフィリア選手! 日本一になった今、全国のファンに向けて、一言メッセージをお願いします!」
マイクを向けられたシルフィは、黄金のトロフィーと賞金パネルをしっかりと抱き抱え、一万人の観客、そしてテレビの向こうの視聴者に向かって、太陽のように眩しい、極上の笑顔を向けた。
「応援してくださった皆様! 本当に、本当にありがとうございました! 私がこの国に来て、たくさんの美味しいご飯に出会えたこと、そして、こんなにも温かい皆様に出会えたこと……。私は今、世界で一番幸せなエルフです!」
シルフィの声は、どこまでも澄み渡り、聞く者の心を温かく包み込む。
「ご飯は、頭で食べるものではありません! 心で、笑顔で、感謝して食べるものです! これからも、私は日本中の美味しいご飯を、世界で一番美味しそうに討伐し続けます! だから皆様も、毎日美味しいご飯を食べて、たくさん笑顔になってくださいね!!」
――ワァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!
割れんばかりの拍手と、大歓声が、東京ビッグサイトの夜空に響き渡った。
食への愛と、底抜けのポジティブさで、見事に日本の頂点へと上り詰めたエルフの美少女。
彼女の快進撃は、ここで大団円を迎えるかのように見えた。
……そう、ここまでは。
表彰式が終わり、選手たちがバックヤードへと引き上げ始めた、その時である。
『……ピキッ』
誰の耳にも届かない、ガラスにヒビが入るような小さな音が、ステージの中央上空で鳴った。
「……ん?」
シルフィは、トロフィーを抱えながら、ふと上を見上げた。
アリーナの空調の風とは違う、どこか懐かしい、土と森の匂いを孕んだ奇妙な風が、彼女の前髪を揺らしたのだ。
(なんでしょうか、今の風は……。それに、空間が少しだけ、歪んでいるような……?)
シルフィは目を凝らした。
先ほどの決勝戦。十キロの壁を打ち破るために、彼女は自らのマナ・クラフターを強制的に拡張し、限界突破の『黄金のオーラ』を爆発的に放出させた。
その時、体外へと放たれた莫大な量の魔力が、現代日本の空間に、予期せぬ『ある影響』を与えていたことに、彼女はまだ気づいていなかった。
「シルフィ! 早く早く! これから打ち上げで、ゲンさんのお店で最高級の焼肉パーティーよ!」
ステージ袖から、結衣が元気に手を振っている。
「はいっ! 今行きます、結衣殿!」
シルフィは、気のせいだったのだろうと首を振り、結衣の待つ方へと駆け出していった。
だが。
彼女が立ち去った後のステージ上空。
スポットライトの光が届かない暗がりの空間に、陽炎のような歪みが、ほんの少しだけ、確かに生じ始めていた。
それは、日本一の大食いチャンピオンとなったシルフィリアに訪れる、最後で最大の『選択』の前兆であった。




