第41話:決戦の地、東京ビッグサイト。集結する怪物たち〜データ対感情、日本最強を決める戦いの幕開け〜
十二月末。冷たい冬の風が吹きすさぶ中、東京の臨海副都心に位置する巨大なコンベンションセンター『東京ビッグサイト』は、熱気という名の分厚いドームに包まれていた。
日本一の大食い王を決める最大の祭典。
『全日本大食いチャンピオンシップ』。
新人王決定戦とは比べ物にならないほどの、超大規模な公式大会である。
特設された巨大なアリーナ席には、実に一万人もの観客が詰めかけ、手作りのうちわや応援ボードを掲げて熱狂の渦を作り出している。会場の周囲にはキー局のテレビカメラが何十台も立ち並び、全国ネットでの完全生中継の準備が着々と進められていた。
「うわぁ……。シルフィ、見て。この人の数、カメラの数……! 新人王戦の時とは桁違いのスケールよ。なんだか、こっちまで胃が痛くなってきちゃったわ」
選手関係者用のIDパスを首から下げた篠原結衣は、巨大なセットの裏側から会場を見渡し、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
弱小動画制作会社のディレクターとして、そしてYouTuberの相棒としてシルフィリアと共に歩んできた結衣だが、一万人規模の生中継の現場となると、さすがに足の震えが止まらなかった。
「結衣殿、何を緊張されているのですか? これだけたくさんの人々が集まっているということは、それだけ『とてつもなく美味しいご飯』が用意されているという証です! 私の胃袋は、すでにアイドリング状態を通り越して、大歓喜のファンファーレを鳴らしていますよ!」
隣に立つシルフィリアは、いつもの緑色のファンタジー風ワンピース姿で、キラキラと目を輝かせながら会場の熱気を肺いっぱいに吸い込んでいた。
中国地方の町中華で味わった、初めての絶対的な敗北と挫折。
あれから数ヶ月。結衣とシルフィは、ただの『食いしん坊』から脱却すべく、日本全国のデカ盛り店を巡りながら血の滲むような特訓を積んできた。
エルフの魔力変換に完全に頼り切るのではなく、人間側のテクニック――ペース配分、咀嚼の効率化、そして味覚のコントロール――を徹底的に身体に叩き込んだのだ。
その成果は、彼女の纏うオーラに明確に現れていた。無邪気さはそのままに、どこか研ぎ澄まされた刃のような、本物の『フードファイター』としての静かな気迫が、その華奢な身体から立ち上っていた。
「さあ、いよいよ開幕まであと少しよ。控室に向かいましょう」
結衣が促し、二人は選手専用の広大な控室へと足を踏み入れた。
そこには、全国各地の厳しい予選を勝ち抜いてきた、一癖も二癖もある猛者たちがひしめき合っていた。筋骨隆々の大男から、細身ながらも鋭い眼光を放つ主婦まで、日本中の「胃袋のバケモノ」たちが集結している。
「あっ! シルフィー!」
控室に入るなり、華やかな声と共に、一人の小柄な少女が駆け寄ってきた。
フリルのついた可愛らしいアイドル衣装に身を包み、完璧なメイクで身を整えた、現役アイドルにして若手No.1の大食いクイーン・姫野くるみである。
「くるみ殿!」
シルフィが嬉しそうに手を振り返す。二人は、テレビ特番のわんこスイーツ対決で死闘を繰り広げた後、プライベートでクレープ食べ歩き動画をコラボするほどの大親友となっていた。
「ちょっとシルフィ、聞いたわよ。全国のデカ盛り記録、片っ端から塗り替えてるんですって? 調子乗ってんじゃないわよ。今日のチャンピオンシップ、シード枠で私が出てるんだから、あんたの快進撃もここまでよ」
くるみは、カメラが回っていない時のいつもの「口の悪い」素の顔で、ツンとそっぽを向きながらも、その目には隠しきれない喜びと闘志を滲ませていた。
「ふふふ。くるみ殿こそ、今日のために胃袋を鍛え上げてきたご様子ですね。今日はどんな甘いお菓子で勝負できるのか、楽しみでなりません!」
「おしゃべりはそれくらいにしな、お嬢ちゃんたち」
カラン、コロン。
控室に下駄の音を響かせながら現れたのは、燃えるような牡丹の花が描かれた極彩色の和服を着こなす、大食い界の生ける伝説・轟牡丹であった。
彼女もまた、この日本一決定戦のシード枠として、現役復帰に近い形で参戦していたのである。
「牡丹殿! お久しぶりです!」
「牡丹さん……! 貫禄がヤバすぎます」
シルフィと結衣が挨拶をすると、牡丹は豪快に笑い、キセルをふかす仕草で二人を見た。
「シルフィリア、あんた、あの新人王決定戦の時よりも、さらに良い『食のオーラ』を纏うようになったね。魔力だか何だか知らないが、随分と胃袋の奥の扉の扱いが上手くなったんじゃないかい?」
「はい! 結衣殿との特訓のおかげで、ただ食べるだけでなく、美味しく食べながら自分のペースを調整する術を学びました!」
「結構。アタシも、可愛い弟子の成長を見届けなきゃいけないからね。だが、勝負の場に立てば師匠も弟子もない。アタシの壁は、そう簡単には越えられないよ」
牡丹の凄まじい覇気に、控室にいた他の一般通過の選手たちが、思わず息を呑んで後ずさりするほどだった。
親友であり、最大のライバル。そして、尊敬する師匠。
最高の舞台に、最高の強敵たちが揃い踏みしている。
シルフィの胸が高鳴り、心からの笑顔が弾けようとした、まさにその時だった。
「……再会を喜ぶのは勝手ですが。周囲の集中を乱すような大声での会話は、控えていただきたいですね。非効率極まりない」
控室の最も奥まった薄暗い角の席から、氷のように冷たく、一切の感情を排した無機質な声が響いた。
ピタリと、シルフィと結衣の動きが止まる。
その声の主を、結衣が忘れるはずがなかった。
「……出たわね。裏ボス」
結衣がギリッと奥歯を噛み締める。
声の主は、パイプ椅子に背筋をピンと伸ばして座っていた。
グレーの事務服に、白いブラウス。後ろでキッチリと結い上げた黒髪と、顔の半分を覆うような分厚い黒縁メガネ。
株式会社玄海物産の経理部OLにして、感情なき暴食の機械。四宮凛子である。
彼女もまた、全国のデカ盛り記録を異常なタイムで塗り替えた実績を買われ、大会運営から特例のシード枠として招待されていたのだ。
凛子は、左手でスマートフォンのExcel画面をスクロールさせながら、右手でミネラルウォーターのペットボトルを正確な角度で傾け、一口飲んでは置くという動作を、メトロノームのようなリズムで繰り返していた。
「……凛子殿」
シルフィは、笑顔をスッと引っ込め、真っ直ぐに凛子の前へと歩み寄った。
「お久しぶりです。あの日、黄龍亭であなたに敗北してから、私は今日この日まで、あなたにもう一度お会いすることだけを考えてご飯を食べてきました」
シルフィの言葉に、凛子は左手の動きを止め、メガネの奥のガラス玉のような瞳をシルフィに向けた。
「……エルフちゃんねる・シルフィリア。あなたの直近一ヶ月間の食事データは、すべて収集・分析済みです」
凛子の口から紡がれるのは、挨拶ではなく、冷徹な数字の羅列だった。
「あなたの胃袋の容量拡張率、および魔力変換と称するエネルギー消化システムの効率は、確かにあの日から約二〇パーセント向上しています。ペース配分という概念を学習したこともデータに現れている。……ですが」
凛子は、中指でメガネのブリッジをクイッと押し上げた。
「私の処理速度と、感情を排除した安定性には、遠く及ばない。今回の大会ルールであるトライアスロン形式のシミュレーションにおいて……私の計算では、あなたが私に勝つ確率は、〇パーセントです」
〇パーセント。
その絶対的な宣告に、控室の空気が一瞬にして凍りついた。
相手の努力も、成長も、食への愛も、すべてを無慈悲な『データ』として切り捨て、勝利の可能性は全くないと断言する凛子の冷たさ。
「……っ!」
結衣が怒りで前に出ようとした、その時だった。
「ちょっと、地味メガネ。さっきから聞いてりゃ、随分と偉そうな口を叩くじゃない」
ダンッ!と、凛子のテーブルに両手をついて身を乗り出したのは、アイドル大食いクイーンの姫野くるみだった。
「〇パーセント? あんた、アイドルの底力を舐めてるの? 計算だかデータだか知らないけどね、このエルフもどき(シルフィ)を倒すのは、この私よ! どこの馬の骨とも分からない経理のお局に、私の最大のライバルをバカにされる筋合いはないわ!」
くるみは、カメラが回っていない時の凶暴な本性を剥き出しにして、凛子をバチバチに睨みつけた。
「フッ……。アイドルの嬢ちゃんの言う通りだね」
さらに、カランコロンと下駄を鳴らして、轟牡丹が凛子の背後にスッと立った。
「データがすべてとは、随分と寂しい胃袋を持ったお嬢ちゃんだね。食をただの『タスク』と呼んで処理するだけなら、あんたの胃袋はただの生ゴミ処理機と変わらない。……大食いってのはな、食べ物への愛と、意地とプライドのぶつかり合いなんだよ。アタシがこの大会で、その『食の楽しみ』ってやつを、あんたの機械みたいな頭に叩き込んでやろうか」
レジェンドの圧倒的なプレッシャーが、凛子を包み込む。
シルフィの両脇に、親友である姫野くるみと、師匠である轟牡丹が立ち、彼女を守るようにして四宮凛子と対峙する。
まるで、王道バトル漫画のクライマックス前のような、強者たちの魂が激突する胸熱の光景だった。
感情を力にする者たちと、感情をノイズとして排除する者。
相反する二つのイデオロギーが、試合前から激しい火花を散らしている。
しかし、凛子は、アイドルとレジェンドに凄まれても、表情一つ、心拍数一つ変えることはなかった。
「……感情論ですね。非科学的かつ、非効率な精神論。いくら吠えようと、データは嘘をつかない。胃袋のキャパシティと処理速度という物理法則の前には、愛もプライドも無力です」
凛子は立ち上がり、グレーの事務服の皺をスッと手で払った。
「証明して差し上げましょう。あなたたちのような感情で動く旧時代のフードファイターが、いかにシステムとして不完全であるかを。……業務開始の時間が来たようですね」
その時、控室のドアが勢いよく開き、大会のスタッフが顔を出した。
「選手の皆様! お時間です! アリーナの入場ゲートへお進みください!」
一斉に立ち上がる選手たち。
結衣は、シルフィの背中をバンッと強く叩いた。
「行くわよ、シルフィ! 私たちの『食への愛』が最強だってこと、あの機械女に、そして全国の視聴者に証明してやりなさい!」
「はいっ! 結衣殿!」
シルフィは、深く頷き、碧眼に決意の炎を燃やしてゲートへと向かった。
一万人の観客が待ち受ける、東京ビッグサイトの巨大アリーナ。
暗転した会場に、色とりどりのレーザー光線が飛び交い、心臓を震わせるような重低音のBGMが鳴り響く。
ステージの中央には、熱血実況MCである陣内拓海が、スポットライトを浴びて仁王立ちしていた。
「さあ! 全国の大食いファンの皆様、大変長らくお待たせいたしました! 人間の限界を超え、己の胃袋の底をさらけ出す究極の闘技! 今ここに、日本最強の称号を懸けた神々の宴が幕を開けます!」
陣内の野太い絶叫が、マイクを通して会場全体をビリビリと震わせる。
「入場ゲートから、激戦の予選を勝ち抜いた猛者たち、そして、今大会の目玉となるシード選手たちが入場してまいります! 果たして、この過酷な耐久戦を制し、頂点に立つのは誰なのか!!」
ゲートが開き、スモークの中から選手たちが次々とステージに姿を現す。
大歓声が沸き起こる。
「くるみちゃーーん!!」
「牡丹姐さん、待ってたぜ!!」
「エルフちゃーーん! 今日もいっぱい食べてねーー!!」
鳴り止まない歓声のシャワーを全身に浴びながら、シルフィリアはステージの中央に立った。
隣には、闘志を燃やす姫野くるみ。
その隣には、静かに腕を組む轟牡丹。
そして、対角線上には、歓声など一切聞こえていないかのように無表情で前を見据える、四宮凛子の姿。
日本大食い界のトップ・オブ・トップが集結したこの舞台。
「それでは宣言いたしましょう! 全日本大食いチャンピオンシップ……ここに、堂々の開幕だぁぁぁぁぁぁっ!!」
陣内の開会宣言と共に、何発もの特効の炎がステージの袖から吹き上がり、会場のボルテージは一気に最高潮に達した。
エルフの胃袋の底なし伝説、その最終章。
データか、感情か。
無限の魔力タンクと、絶対無機質のメトロノーム。
日本最強の称号と、自らの「食への美学」を懸けた、かつてない激闘の火蓋が、今、高らかに切って落とされたのである。




