第79話 真希の手料理
「お兄ちゃん……何してるの?」
真夜の表情が一変した。まるで本当に見ちゃいけないものを見つけてしまったかのように。
「いや、その……」
言い訳しようとしたけど、何をしていたのかは一目瞭然だった。
あまりにも恥ずかしかったのか、真希は珍しくぎこちない足取りで小走りにキッチンへ戻っていった。
「ほら、こっちおいで。それに、お姉ちゃんとはもう話し終わったから」
「…………」
小さくため息をつきながら、俺は何も言えなかった。
恥ずかしくて仕方がなかった。
「ほら、座って。そんなところに立ってないで、お兄ちゃん」
諦めてテーブルへ戻り、真夜の向かいに腰を下ろした。
彼女はまだじっと俺を見つめていた。
「お兄ちゃん、夕食が終わったら何をするかわかってるよね。今度はお兄ちゃんの番だから」
「……わかってる。最初からそのつもりだった。ただタイミングを見てただけだ。夕食の後くらいがちょうどいいだろ?」
真夜はその言葉を頭の中で整理するように少し考え、それから小さくうなずいた。
「うーん……そうだね。でも、ちゃんと今夜のうちにしてよ。お姉ちゃんをあんまり待たせちゃダメだからね」
「はいはい……そんなに急かさないでくれよ。でも、俺たちのためにいろいろしてくれてありがとう」
彼女は胸を張り、満足そうに微笑んだ。
「えへへ〜、そんなの大したことじゃないよ。自分がそうしたいと思っただけ。ふふっ」
まさか……
そんなことで、あんなに誇らしそうな顔をするなんて思わなかった。
「まあ、真希ちゃん、こんなにたくさん作ってくれたのね。楽しみだわ」
「そう言っていただけて嬉しいです、一葉さん。頑張って作ったので、気に入っていただけたら嬉しいです」
気づけば、二人はキッチンで自然に言葉を交わしていた。
母さんはすぐに真希の手伝いに入り、真希は最後の一皿をテーブルへ運んでいた。
「あ、ありがとうございます、一葉さん」
「いいのよ。手伝ったほうが早そうだったから」
そう言いながら、母さんはまだ真夜と話していた俺にちらりと視線を向けた。
まるで、その言葉は俺にも向けられているようだった。
その視線だけで真夜も察したのか、何も言わずに立ち上がって手伝いに向かった。
結局、父さんと俺は何もすることがなくなった。
二人で席に座り、料理が並ぶのを大人しく待つしかなかった。
………………
…………
……
数分後、全員が食堂に揃い、ようやく食事の時間になった。
目の前の料理に目をやってから、真希のほうを見た。
テーブルの下では、彼女は緊張した様子で両手をぎゅっと組んでいた。
最初に沈黙を破ったのは父さんだった。
笑顔で手を合わせる。
「よし、いただきます!」
そう言って、最初の一口を口に運んだ。
母さんと真夜もすぐに続き、俺も真希が一生懸命作ってくれた料理をゆっくり味わった。
口に入れた瞬間、思わず目を見開いた。
肉は驚くほど柔らかく、味付けのバランスも完璧だった。一口ごとに深い旨味が広がり、今まで家で食べたどの料理とも違っていた。
「えっ!? これ、すっごく美味しい!」
真夜はまだ口いっぱいに頬張ったまま、思わず声を上げた。
「お姉ちゃん、これプロ級だよ! お兄ちゃんの料理より百倍美味しい!」
「おい、比べるなよ……でも、確かにすごく美味い」
父さんはしばらく黙ったまま味わい、それから何度も満足そうにうなずいた。
「すごいな……真希ちゃん、本当に才能があるね。もしレストランを開いたら、初日から満席になるよ」
普段は料理に一番厳しい母さんでさえ、箸を止めて驚いたように真希を見つめた。
「まあ……本当に美味しいわ、真希ちゃん。味付けも絶妙だし、これを一人で全部作ったなんて……うちの息子は本当にいい人と出会えたのね。ふふ」
家族全員にこれだけ褒められて、真希の顔はすっかり真っ赤になっていた。
いつもの落ち着いた表情を保とうとしていたけど、口元に浮かぶ誇らしさと安堵の笑みまでは隠せなかった。
「あ、ありがとうございます……気に入っていただけて嬉しいです」
軽く頭を下げてから続けた。
「このレシピは何度も練習してきたので……今日は絶対に美味しく作りたかったんです」
「完璧だったよ」
彼女にだけ聞こえるよう、小さな声で囁いた。
真希は一瞬だけ横目で俺を見て、それからテーブルの下でそっと俺の膝に手を添えた。
その瞳には、普段あまり見せない優しい光が宿っていた。
食事は会話と笑い声、それから今夜の料理人への賛辞に包まれながら続いていった。
家族みんなが料理を楽しみ、そして何より、真希がごく自然にこの家族の輪に溶け込んでいる姿を見ていると、胸の奥から大きな安心感が込み上げてきた。
明日の散歩のことを、彼女に話さないと。
真夜が何度も言っていたように、誘うなら今夜が一番いい。
こんな穏やかな空気を逃すわけにはいかなかった。
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