第十五話・溜飲が下がりましたわ
暴れ馬スレイヤーを目撃したりその同胞らしき女性に挑まれてスタンを盾にしたりと色々ありましたが、以降は特に何もなく、武祭の行われる日となりました。
そうそう。
私達がどこに滞在しているかですが、男爵家と懇意にしている、バスコリア子爵家のお屋敷に宿泊させていただいているのです。
一時は爵位すら失いかねないほど家が傾いていたらしいのですが、お父様の援助によってどうにか持ち直せたのだとか。それ以降はこちらの当主もお父様に頭が上がらないようです。
そのせいか私やラファだけでなくスタンまで至れり尽くせりの歓迎を受けました。
スタンはあまり喜んではいませんでしたけどね。贅というものに関心がない性格なのがよくわかりました。
「それでは行って参りますわ」
「吉報を携えて戻ってくることを期待していますよ」
いかにも気の弱そうな当主様と出発前に言葉を交わし、私達は武祭の開催場へと向かうため馬車に乗り込むのでした。
「わー、いっぱいいるわねー。強そうなのも弱そうなのも、真面目そうなのもチャラそうなのもベテランも若者も選り取り見取りよ姉様」
ラファが貴族の子女らしからぬ忙しない動きで四方八方に首を向けて周りを見渡しています。
「そういう物言いや動作はやめなさい。お下品ですわよ」
「別におかしなこと言ってないと思うけど? 深読みして変な受け取りかたするほうが下品じゃないかな? それに、むしろこのほうが素性バレしないと思うけどね」
「全く、口が減らない子ですわね」
「姉様の妹ですもの」
ああ言えばこう言うとはまさに妹のことを言うのでしょうね。
ですがラファの言うことも一理あります。今の私達の姿は冒険者や田舎の駐在兵が着るような軽装で固めてますから。
それとスタンに持たせてある『貫通の短剣』ですが、大勢の人前で晒すのは不味いので、武祭では使用禁止と言っておきました。
けれど、どうやってるのか不明ですが、普段と同様にどこかに隠し持ってはいるみたいです。スタン七不思議の一つですね。
なので代わりの短剣を持たせてあります。
王都の魔法店で購入した、そこそこの魔力が込められた一品。貫通の短剣にはまるで及びませんが、それでも並の武器よりよほど切れ味も鋭さも上です。
「姉妹仲が良いのはいいことだが、それで……これからどうしたらいいんだ?」
「どこかに受付があるはずですわ。そこにこの要請書を提出すればいいみたいですけど、どこかしらね」
「あそこじゃない? 行列できてるし」
ラファの言うように、武装した男女が列をなして、机にかじりついて必死に対応している係員の前に並んでいました。
武祭──ノークレイム王国で行われる伝統的な武術大会に出場したい者は、この予選会場で当日にエントリーすることになっているそうです。
その後、ここで何グループかに分けて乱戦を行ってふるい落とし、残った一握りの者が本戦トーナメントに晴れて進めるのだとか。
「確かにそれっぽいな。行ってみようぜ」
「あの、お待ち下さい」
女性係員にいきなり呼び止められました。何かまずいことでもしたのでしょうか。
「あ、ごめん。私ちょっと忘れ物したから戻るわ。私のこと気にしないで手続き進めちゃってていいよ」
ラファが不可解なことを言い出しました。何を忘れたというのでしょう。スタンの活躍を私と共に見物するだけですのにね。
「あら、お待ちなさ──」
止める間もなく、脱兎のごとくラファは駆け出してしまいました。
本気で追いかければ捕まえられますが……まあ、そこまでやる意味ないですね。あの足の速さなら、そこまで時間もかからず戻ってくるでしょう。その時に忘れ物について聞けばいいだけです。
「ごめんなさいね。ちょっと立て込んでおりましたの。それで何の用件でしょう?」
「お聞きしますが、あなたがリフレクシア様で、そちらの方がスタン様で間違いないでしょうか」
「ええ、合っていますわ」
「でしたら予選にエントリーする必要はございません。今から本戦控え室にご案内いたします。どうぞ私の後に付いてきて下さい」
「──ちょっと待てよ」
また呼び止められました。今度は誰でしょうか。
「なんでこんな陰気なガキと野暮ったい赤毛女が予選をすっ飛ばせるんだよ。武祭はいつからそんな生ぬるいお遊びになったんだ?」
腰から剣を下げた二十代くらいの男性が納得いかないとばかりに女性係員へ不満をぶつけてきました。
「そいつの言う通りだな」
「理由を説明してほしいわね。できるならの話だけど」
男に触発されたのか、周りからもぽつぽつと不満の声が上がります。
「そう言われましてもねえ。国からの要請としか言いようがありませんわ」
「馬鹿言えよ。お前らみたいな連中をわざわざ国が呼びつけるってか? 寝言もたいがいにするんだな」
まあ、失礼な方ですわね。気持ちはわかりますけど、それはそれとして失礼ですわ。うまく誘導して跳ね飛ばして差し上げようかしらね。
「そこまでにしたほうが宜しいですよ」
女性係員が私達に向けていたのとはまるで違う冷たい目で、やかましい男を睨みました。
「確かにこの方への要請は正しい手順を踏んで行われています。それなのにまだ騒ぎ立てるというのでしたら、それはすなわち、王国に楯突くことになりますよ?」
「ぐっ」
ここまで面と向かって断言されれば退かざるを得ません。下らないいちゃもん付けたいがために国一つ敵には回せませんよね。
「いや、待った」
今度はスタンが女性係員を呼び止めました。
「その男の言い分もわからないでもない。だから機会をやるよ」
「機会……ですか?」
「ああ。そこのあんた、俺が本戦に無条件で進めるのが納得できないんだろ? なら、俺に勝てたらその権利をくれてやるよ」
「……本気で言ってるのか?」
悪態をついていた男が真顔になりました。思いがけない千載一遇の機会と、こんな子供に侮られた怒りに、逆に頭が冷えたのでしょう。
手が剣の柄に伸びています。もう一押しでやらかす、その寸前と見ていいでしょう。
「お、おい待てよアット。流石に腰の物を使うのは不味いぞ。こんな場所での殺しなんて言い訳きかねーぜ」
知り合いらしき同年代ぽい男性が刃傷沙汰になるのを止めようとしていますが、その言葉は彼の耳に届いてるようには思えませんね。
これはまずいと思ったのか、周囲のざわつきも静まりました。とばっちりを恐れたのでしょう。
「別に俺は構わないよ。そうだ、どうせなら俺はこの短剣を使うのもやめよう。でないと勝負にならないからな」
火に油を注がれ、男の顔が真顔のまま白くなりました。怒りのあまり顔から血が引いたようです。
そして、とうとう男は剣を抜きました。
「ふざけやがって……」
「いいからさっさと来い、雑魚」
それが最後の一押しになりました。
男はすぐさま間合いを詰め、スタンを左肩から斜めに断ち切ろうと剣を振るい──
「げうっ!!」
見事なまでの空振りに終わり、しかも体勢を崩したのか、受け身を取ることもできずに前のめりに転びました。
たぶんスタンが何かしたのでしょう。避ける時に男の腕辺りを撫でるような仕草をしてましたから。いかなる原理なのかはさっぱりですけどね。
「いだだ…………な、何がどうなってやがる……」
呆然としながらも上体を起こした男でしたが、もう遅すぎました。剣を離さなかったのだけは褒めてもいいですけどね。
スタンの手が男の額に伸び、トン、と手の平で軽く叩きました。
「おぁ……」
男は白目を剥いて脱力し、濡れた衣服のように、どちゃりと会場の床に重く崩れ落ちました。
「さて、他に不満のある奴は?」
スタンの問いに、我こそはと名乗りを上げる方は、誰一人としていませんでした。
結果のわかりきっていたお遊びを終え、女性係員の案内で本戦控え室に向かう途中。
「貴方らしくないことをしましたね。無用の勝負など嫌がるものとばかり思ってましたけど」
先程から抱えていた疑問を私は口にしました。
「柄にもないことをしたのは確かだが、あの男はリシアを侮辱したからな。だから公衆の前で恥をかかせたまでのことだ」
「侮辱?」
もしかして、野暮ったい赤毛女だと私があの男に言われたことでしょうか。
「ふぅん」
「何だ」
「いえ、私も罪な女ですわね」
「なかなかの自惚れだな。雇い主を馬鹿にされたら部下がその恥をそそぐのは当然だろ。それだけの話だ。違うか?」
なんだか早口ですわね。
「はいはい、そういうことにしておきましょうか。貴方のおかげで溜飲が下がったのは確かですしね」
「私もです。……今の発言は、どうか内密に」
先頭を歩く女性係員がそう言うと、私とスタンは顔を見合せ、つい軽く吹き出してしまったのでした。