闘争(1)
近衛隊副長は、表情を変えることなく、静かに口を開いた。
「武器を扱ったことはあるか。」
「ありません。」
あるわけがない。
日本は平和な国だ。銃も刀も所持禁止だ。武術も護身術の類も、習ったことはない。
副長は少しだけ思案する様子を見せ、肘の長さほどの短剣を差し出した。両手で受け取ると、ズシリと重い。
剣をもらえるとは思っていなかった。竹槍でも棍棒でも何でもいいと思っていたが、それでも私達が勝手に持つことはできないから、談判に来たのだ。
「抜いてみろ。」
言われたとおり、刀身を鞘から抜く。
そこからいきなり、訓練が始まった。
剣の持ち方、構え方、振り方。持つだけなら片手でもなんとかなるが、振るのは両手でないと無理だった。今まで、こんな重さの物を振り回したことはない。
すぐに息が上がり、腕が重くなっていく。
運動は好きな方だった。持久力もある方だと思っていた。でもそれは、学校の中での話だ。
副長からは、握り込み過ぎるなとか、脇を閉めろとか、もっと素早くとか、厳しく指示が飛んでくる。
腕が鉛のように重くなったところで、攻撃の受け方とかわし方。
副長の一振りで、私の短剣は簡単に地に落ちた。すかさず、剣から手を離すな、と怒声が飛ぶ。
分かっている。武器を手放してしまったら、私は丸腰だ。その時点で終わってしまう。分かってはいるが、剣は何度でも落とされる。時には体ごと地面に転がる。
喉がひりつき、肺が痛くて血の匂いがしてくる。手足は力が入らず、ガタガタだ。
それでも、止めるわけにはいかない。
体が悲鳴を上げるたび、あの無残な光景が脳裏をよぎる。
足の底に力を籠め、腹に力を籠め、剣を構える。
言い出したのは私だ。決めたのは私だ。だから、そう簡単に投げ出すわけにはいかない。
立ち上がれなくなったのは、どれくらい経った頃だったか。まだ、日は暮れていなかった。
私は抱えられるようにして宿営地に戻った。
朦朧として地面に横たわろうとすると、誰かが柔らかい布の上に頭をのせてくれた。優しく頭を撫でてくれる手と、涙ぐんだ声は、ニキだろうか。
「どうしてあんな無茶なことをしたの?」
また、別の誰かが言う。
「あの副長、あなたが抗議していた時、手を剣の柄に置いていたのよ。そのまま斬られるんじゃないかと思ったんだから。」
それは、頭に血が上っていて、気が付かなかった。ぼんやりとそう思いながら、私は眠りに落ちた。
翌日目覚めたときには、経験のない筋肉痛で、身を起こすのも一苦労だった。手の平には、一日でマメができ、潰れていた。
手に布を巻き、体をほぐす。
消えた二人がどうなったのかは、もうみんな知っていて、嘆きとともに、どこか諦めの雰囲気も漂っていた。
「まだ、やるの?」
立ち上がった私にアンヘラが尋ねてきた。頷くと、私の手を見て、
「そうまでしても、何も変わらないかもよ。」
と、諦めたように呟いた。元は快活だった彼女が、疲れたような、生気のない目をしている。
変わらないかもしれない。でも私は、何もせずにそれを待ちたくはない。
昨日見た光景が脳裏によみがえる。私の中には、まだ怒りがある。だから、止めない。
その日は、前日より体が動かず、力も入らず、何度も意識が飛びかけた。そしてまた、動けなくなると、宿営地に戻された。
二日目の朝、副長に、手を見せろと言われた。巻いたばかりの布を取り、手の平を見せる。潰れたマメの痕が幾つもあるのを見ると、従卒が持ってきた小壺から何かを取り出して、手に塗り始めた。
思わず手を引っ込めそうになったが引き戻された。
何を擦り込んでいるのか分からないが、傷を直接触られると痛い。
塗り終わると、手に布が巻かれる。同じように巻いただけに見えたが、自分でやるより手になじみ、剣も握りやすくなった。
「傷を放置するな。化膿すれば、命に関わることもある。」
そう言えば、ここにはきれいな水も、抗生剤もないのだった。もっとも、今の私は、傷があろうがなかろうが、命がかかった状況にあるのだが。
数日すると、最初の筋肉痛は消えて、動きやすくなってきた。剣の重さにも慣れてきた。扱い方はまだ素人だと自分でも分かっているが、振り切る速度は少し上がっているのも分かった。
いつの間にか、エレナやアンヘラなど、何人かが訓練に参加するようになっていた。
そしてその日、またあの嫌な感覚がやってきた。今度は、その感覚がやってくる大まかな方向が分かった。
突然構えを解いて明後日の方向を見た私に、最初、副長は眉をしかめたが、すぐに異変に気が付いた。私達が、みな同じ方向を見ていたからだ。
「どうした。」
そう問われたが、この感覚をどう表せばよいのか、分からない。それが何を意味するのかも、よく分からない。ただ、私達は互いの顔を見合わせ、同じものを感じていることは確認できた。
ふと、その感覚に流れを感じた。
「何か、来ます。」
明確な確証もなく、私はそう口走っていた。そのまま、それがやってくる方向に歩き出す。
正直に言えば、近づきたくはなかった。本当なら、それは避けたいものだった。だが、今は避けてはいけないという気がした。
副長の指示を受け、兵の一団が後をついてくる。ざわざわとした感覚が背筋を這うような不快感が増していき、私達が、自然と武器を構える体制になった時、斜面の向こうから、黒い物体が飛び出してきた。猫ほどの大きさの、尖った耳と赤い複数の目を持つ何か。
一体、と思ったら、次々とそれらが姿を現し、兎のように飛び跳ねながら迫ってきた。
「魔物だ!」