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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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転機

 ここに来て、半年近くが経った。

 その間、新しく連れてこられた人もいたし、最近、他の神殿からまとまって移送されてきた人たちもいて、異民仲間は倍の三十人程に増えていた。

 けれど、短期間で増えると、揉め事も起きてくる。それぞれ性格も考え方も、それまでの環境も、違う場所から来ているのだ。狭い空間を共有しているのだから、あまり雰囲気を悪くしないでほしい、というのが私の希望だ。和をもって貴しとなせ、と昔の偉い人も言っている。


 世話係の助祭に、待遇が悪いと食ってかかる人もいて、その度にヒヤヒヤする。

 彼女の言うことも分かるのだ。

 私も、ゆっくり温かいお風呂につかりたいとか、エアコンが欲しいとか、たまにはお肉食べたい、とか願望はある。が、言っても無駄だということも分かっている。

 案の定、話を聞いてもらうどころか、冷たくあしらわれた上、罰として食事抜きにされていた。

 助祭はこう言ったのだ。

「あなたたち『異境の民』は、どのような扱いを受けても仕方がないのですよ。盗みを働き、世を乱し、災いを呼ぶのですから。慈悲によって住む場所も食事も与えられているのに、恩を忘れて文句を言うなど、言語道断です。」

 私達は、ここではそういう存在だ。自由も権利もない。

 別に、それを喜んで受け入れているわけではないけれど、表面的にでも、そういうものとして振る舞わなければ波風が立つ。権利を声高に主張すると、ギスギスする。私は、そういう雰囲気が苦手だ。

 そうかと思えば、ここは銃の音もないし爆弾が落ちてくることもないから、まだいいという意見に、衝撃を受けることもある。一日中働かなくても、ご飯が食べられるから、元のところよりいい、と私よりずっと年下の子が言ったときは、とても複雑な気持ちになった。自分がひどく我儘になった気がする。


 酷いホームシックにかかっていたヘザーは、何とか回復したようだった。相変わらず浮かない顔をして、あまり周りと話そうとはしないものの、今ではおとなしく神殿の雑用に加わっている。

 少し前から、人数が増えたこともあって、古株を中心に、神殿の外に出る用事ができていた。最初に集めて連れていかれた時は、何事かと悪い予想をしたけれど、近くの兵舎の掃除に駆り出されただけだった。

 外に出るのだから、当然、おとなしい者だけ抜粋して、監視付きの移動だ。街中を移動するときは、私語も、周囲をじろじろ見ることも許されない。町の人達は、私達を神殿の下働きと思っているのか、特に注意もせず関心を払わないから、言葉を交わすこともない。兵舎の中も、訓練中なのか人の姿はほとんどなく、こちらも誰かと言葉を交わす機会はあまりない。

 ()()()()()()()


「なんか、戦争が始まるみたい。」

 少し前に、兵舎から帰ってきたヤナがそう言っていた。監視役の助祭と、兵士が話していたのだそうだ。そういえば、最近、食事の内容が以前より質素になってきている。直接経験してはいないものの、戦争といえば食糧不足。そして大惨事。悪いイメージしかない。漠然とした不安を抱きながらも、直接かかわることはないだろうという思いも、この時は持っていたのだった。

 事実、神殿の中では、世の中のことは分からないし、私達は、ただ言われたことをするだけなのだから。


「ヘザー?」

 神殿の廊下を歩いていると、人影が扉をくぐってくるのが見えた。少し遠いが、ヘザーに似ている。ただ、その扉は、通常、私達が通らないところだった。その先に行くには許可がいるし、監視付きでなければならない。

 ヘザーはこのところ落ち着いていたから、兵舎掃除にも出してもらえるようになっていて、今日はその日のはずだった。神殿の用事をする日ではない。

 人影は、周囲を気にしながら、扉を閉め、部屋の方へ向かっていく。

「ヘザー。」

 角を曲がったところで追いついて話しかけると、ひどく驚いた顔で振り向いた。

「どこへ行っていたの?」

「な、なにが?」

 目が落ち着かなさそうに彷徨っている。何をそんなに慌てているのだろうか。

「あら、お帰りなさい。」

 後ろからエレナが声をかけてきた。

「遅かったわね。今日は兵舎当番だったんでしょう?みんな、もう戻ってきているわよ。」

「べ、べつに何でもないわ。」

 挙動不審のままヘザーは行ってしまった。

「どうかしたのかしら。」

 エレナは不思議そうに見送っている。

 私もそのまま見送ってしまった。

 もし、この時もう少し深く関わっていたのなら、この後起きることは、防げたのかもしれない。その前に、もっと注意して見ていたならば、或いは。

 その思いは、深く刺さった楔のように、私の心に残り続けることになる。





 それからしばらく経ったある日、神殿の雰囲気が慌ただしくなった。鍵付きの格子扉の前に、助祭と共に兵士が立ち、いつものように雑用を言いつけられる代わりに、一人ずつ呼ばれて、神官と青服の人によく分からないことを訊かれた。尋問のようだとは思ったのだけれど、質問の意図が分からず、どう答えたら良いのか困る内容だった。戻ってきた誰に聞いても、何を訊かれているのかよく分からなかった、と答えたものだ。

 そして、ヘザーだけは、戻ってこなかった。


 その後数日、格子扉は開かれず、私達は小部屋のある区画から出ることはなく、食事だけが差し入れられた。食事を持ってくる助祭に尋ねても、硬い顔で口を引き結び、何も答えてはくれない。



 そしてその日、子どもを残してほとんどの者が外へ連れ出された。町の中を、兵舎の方向に向かって歩かされる。いつもは私達を無視していた町の人達が、道の両側から不審げな目を向けてくる。町の空気が、どこか不穏で、殺伐としているような気がした。

 兵舎の敷地の端に位置する練兵場に到着した時、集まっていた兵士達からは、はっきりとした敵意を感じた。何か、とても悪いことが起きている。否応なく、そう理解させられる。

 兵士達の中央には、青服と黒服の集団がいる。

(あの黒服の人・・・)

 最前列にいる黒服の騎士には見覚えがあった。数か月前、神殿に来ていた内の一人だ。あの中でも、今日この中でも、最も高位と思われる、黒髪の騎士。あの時も終始表情を崩さずにいて、少し怖い印象を持ったけれど、今日は、その時とは比べ物にならないほど厳しい顔をしていた。


 その騎士の合図で引き出されてきたのは、一人の兵士と、もう一人。

「ヘザー。」

 騒めきが起きる。一体これは何なのか。まるで裁判のようだ。

 ヘザーは酷く怯えて、まともに歩くこともできない様子だった。

 二人が引き出されてくると、黒髪の騎士が口を開いた。

「我が軍の情報を、この二人が敵の間者に漏洩した。我が軍の被った損害は大きく、その罪は重い。したがって、王命により、この二名を。」

 そして、冷たく、言い放つ。


「この場で処刑する。」


 放たれた言葉の意味を理解するのに、数瞬の間。

「ちょっと待って!」

 思わず声をあげてしまっていた。

 言葉は理解できた。けれど、状況が理解できない。

 黒髪の騎士と、目が合う。本当は、口を挟んではいけないのかもしれない。でも、混乱して、そこまで頭が回らなかった。

「私たちは、助祭様と神官様くらいしか話せません!情報とか、間者とか、何のことですか?!」

 少なくとも私はそうだった。皆もそうだと思っていた。でも、黒髪の騎士の表情は変わらない。

「本人が認めている。」

 そう、硬い声で告げる。

「・・・ヘザー?」

「だって!」

 思わず呼びかけると、今まで怯え切って震えていたヘザーが叫びだす。

「教えてくれると言ったのよ!帰る方法を!わたしは・・・わたしは帰りたかったの!」

 引き絞るようなその声は、私の胸に突き刺さり、そのまま引き裂いていくようだった。

 彼女は落ち着いたと思っていた。不本意でも、受け入れたと思っていた。

 でもそうではなかった。まだ不安定だった。それなのに、気付いてあげられなかった。

 そんな彼女の心の隙に、付け入った人間がいたのだ。

 冷静に考えれば、そんなの嘘だと分かる。来た方法も定かではないのに、死ぬまで隔離され続けるのに、帰る方法なんて分かるわけがない。


 処刑人の刀が抜き放たれる。その鈍い輝きが目を打つ。

「待ってください!彼女は精神が不安定なんです!知らないところに来て混乱しているんです!」

 どう言えば分かってもらえるのだろう。どう言えば、止められるのだろう。

 周囲から、口々に懇願の声が上がる。

「何をしているか、よく分かっていなかったんだと思います!ただ帰りたいという思いだけで!だから!」


―――どうか、許してほしい、と。


 黒髪の騎士の瞳が、鋭さを増す。

「二千の兵が死んだのだぞ!」

「っ・・・・・」

 何も、言えなくなった。

 周囲の兵士達の憎悪が増す。声なき怒りが告げる。その事実は、重いのだと。

 頭が痺れる。言葉を絞り出そうとしても、舌は縫い留められたように動かない。

「お願いです!」

 誰かが叫んでいる。

 それでも、憎悪が消えることはなく、言葉が届くことはなく、哀願と悲鳴の中、刀は振り下ろされた。

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