清澄なる調(1)
種蒔きがすっかり終了し、畑地が緑色になってきた頃、南西部の国境近くから出動依頼が届いた。
始めは、村人の相次ぐ失踪事件だったのだが、山の中で変わり果てた姿で見つかるにあたり、正規軍が出動した。野獣の仕業かとも思われたが、周囲の状況が異様な場所もあり、魔物の可能性があるという。
目撃情報もない、可能性の段階で出動依頼が来たのは、すぐ近くに岩塩の産地があったからだ。国内の需要を満たすには不十分な産出量ではあるが、内陸国のローヴェルンには重要な場所で、供給に支障が出てはならなかった。
情報収集も兼ね、飛竜を伴った先発隊を送ったところ、すぐに、最大限の警戒を、という報告が、飛竜を介して行われた。これは、飛竜の騎手同士で行われる方法で、人が行き来するより早く、飛竜の捉えた感覚が直に伝わる。ファリエンの内部では便利な伝達手段だが、外の人間に報告するにあたっては、少々手間を要する。
飛竜は感覚を共有する。そこに言葉は必要ない。だから、通常行うような細かい状況報告はできないが、伝わってくる緊迫感は今までにないものだった。
早急に討伐隊を組織して現地に赴いたが、国境近くまでは何日もかかる。その間に、いくつかの出来事が起きていた。
失踪事件とほぼ同時期に、野盗による商隊の襲撃事件が起きていたのだが、これの対応に当たっていた街道の警備隊が、街道から少し外れた場所まで分け入り、ほぼ全滅した。わずかに生き残った隊員は、当初錯乱状態にあったが、やがて魔物と遭遇した時のことを話し始めた。魔物がいる、と認識した瞬間、全て切り刻まれたというのだ。その場からどうやって逃げ延びたのかも覚えていないらしい。
そして、先発隊が到着した後に、村一つが蹂躙された。先発隊の隊員は、魔物の接近を感知したものの、自分達だけで対応するのは不可能と判断し、戦闘より住人の避難を選択した。人は逃がすことが出来たが、畑は荒らされ、家畜もかなりの被害を被り、村人達の落胆は相当なものだった。
駐屯地のある町に入り、それまでに分かっている情報をつなぎ合わせてみると、かなり強力な魔物が、街道や集落の近くに出没している状況が見えてきた。先発隊によると、かなり遠くからでも気配を辿ることは出来るそうだが、それはつまりその個体が強力であることを示している。加えて、大抵の魔物より上位にある飛竜が、緊張を隠していない。
通常、人里近くに現れるものはそれほど強くはない。強力なものは、人が踏み込まないような深山などにいるものだ。何か引き寄せるものがなければ、人の生活圏まではやってこない。南西の隣国は、近年政情が不安定だ。そちらから流れてきたものかもしれない。
「どこを目指しているのだろうな。」
「集落に近づいた時は、魔物を追っていたんじゃないかと思う。」
と、先発隊の隊員が言った。
「あれの気配が大きくて見逃すところだったけれど、もう一つの気配があったから。」
魔物は獣も人も食らうが、格下の魔物も食らう。飛竜に触れているから分かるが、魔物は特に人間に興味があるわけではない。たまたまそこにいるから襲うだけで、特に狙っているのではないのだ。獣で言うなら、テリトリーに入ってきたものを攻撃するようなものだ。
このあたりの魔物の出現率はあまり変化がない。あれに追い立てられて、もっと人里に出てくることもあり得るのだが、その前に捕食されているのかもしれない。
同じ種類の魔物でも、その気配の強弱には個体差がある。推測だが、他の魔物を取り込むことによって、その個体はより強力になるのかもしれない。
「魔物を追って、森の奥へ去ってくれれば良かったのに。」
「まったくだね。」
生き残った警備隊員の記憶は所々抜け落ちていた。聞き取れたのは、周囲の木よりも大きかったこと、甲高い不快な音が響いたと思ったら、まるで巨大な刃が複数同時に振られたような有様になった、ということくらいだ。ベレンの時のように風を操るのであれば、また近接戦が困難なタイプということになる。正規軍にも相当数の応援を依頼することになるが、いっそのこと攻城用の道具でも用意するか、などと、冗談にもならない冗談まで飛び出す状況だった。
陣容を整え、駐屯地を出発しようとしていた時だった。
隊列を組んで歩く討伐隊の前に、少女が飛び出してきた。おそらくまだ十歳にならないくらいの子だ。
少女は、ファリエンの前に立ち塞がり、勝気そうな目に涙を浮かべて、睨むように立っている。少女の後から中年の女性が慌てて追いかけてきて、平謝りをしているが、少女はこちらを見つめたままだ。
「敵を取って。」
と少女は言った。
「すみません。この子の両親は、殺されたんです。どうかそのことに免じて、許してあげてください。さあ、行くわよ。邪魔になってはいけないから。」
女性の言うことに構わず、少女はもう一度言った。
「敵を取って。」
少女と視線を合わせるように、片膝をついてしゃがみこんだ。周囲はびくびくして様子を窺っている。
王都の話はここまでは伝わっていないようだが、異境の民であるし、魔物討伐を専門に行う部隊なのだ。普通の兵士より馴染みがなく、怖れを持って当たり前だ。
しかし、少女の瞳はまっすぐだった。
「約束しよう。私達は、そのためにいる。」
その言葉に、少女は顔を歪ませて頷いた。
現地に近づいていくと、飛竜の緊張の意味が分かってきた。
ある地点についた時、ファリエンの歩みが止まった。異民の隊員の顔色が悪い。久しぶりに、近づきたくないと思った。
魔物の気配にはすっかり慣れ、多くの討伐をこなしてきた。今なら、最初に逃げたいと思った魔物にも向かって行ける。しかしこれは、本来近づいてはいけないものだ。深山の奥で、あるいは深い水の底で、人と触れることなく存在しているはずのものだ。
一つ、息を吐いた。
隊員達は眉を顰めて立ち尽くしているが、共に来ている正規軍や近衛隊は、その様子を訝しげに、あるいは緊張感を持って注視している。警備隊員の話で、初めから怖れを抱いている兵士もいるのだ。少なくとも自分は、不安な様子を見せてはならなかった。
「この先にいる。上空から偵察を。」
そう言ってリールを呼ぼうと顔を上げた。
「私が。総長はここに。」
そう言ったのは、先発隊で来ていた隊員の一人だった。彼女も異境の民だ。近づきたくない気持ちは同じはずだった。
「行ける?」
「大丈夫。」
「能力も種類も分からない。十分に距離を取って偵察を。」
頷いて、飛竜で飛び立っていくのを見送る。
その飛竜を見ただけで、正規軍の兵士達は騒めいた。王都の部隊と違って、彼らは飛竜を見慣れていない。その騒めきを沈めたのは近衛隊長だった。彼らに待機を命じ、近づいてくる。
「それほどか?」
表情も声色も、いつもと変わりないが、兵達に聞こえないよう、声は潜められている。
この人には当然分かっている。私達の様子が、いつもと違うことが。
隊員達は逃げ出したい気持ちを懸命に堪えている。平静を装ってはいるが、私自身、心持ちは同じだ。
この人には、見抜かれているのではないだろうか。
硬く腕組みをすることで、今にも震えだしそうな体をようやく抑えていることを。本当は、足が竦んで動けずにいることを。
また一つ、息をついた。
弱音を吐いていると思われたくない、などと言っている場合ではない。上位の指揮官である隊長には、伝える義務がある。過小評価をさせてはならないのだ。
「今まで遭遇した中で最悪です。本来、触れ得ないものです。」
そう表現した意味を、この人はきっと理解している。
「そうか。」
それでも尚、何の感情も見せない。
「それでも、行かなければ。」
自らを鼓舞するように呟く。あの少女に約束した。それに、ここで逃げたら、私達に次はない。
「そうだ。討伐は完遂せねばならない。」
隊長の声は、淡々として静かで、普段と変わりはない。その声で、少し落ち着きを取り戻す自分がいる。
この人も、冷静な指揮官を演じているのか、それとも、状況を受け止めながらも怖れを抱いていないのか。もし後者なら、その胆力の一部でも、自分にあればと思う。




