冷酷なファリエ(5)
街の噂は、エスカレートすることもなかったが消えることもなかった。
幸いというべきか、矛先は総長のみに留まっていた。水面下での攻防があり、一進一退を繰り返していたのだ。様々な人間が入り乱れ、その全容を知るものは、誰もいない。
奇妙なことに、渦中にある人が、一番状況を理解していなかったかもしれない。いつまでも話題に上るのは、異境の民ゆえであると思っていたのだ。
パン屋に勤めるエルクは、市場から店に向かって歩いていたが、通りの雰囲気が何となくいつもと違うことに気が付いた。目つきのあまり良くない男達が、通りを横目で睨みながら佇んでいる。この辺りは決して治安の悪い地域ではない。しかもまだ日中だ。
居心地の悪さを感じながら、急ぎ足で通り抜けようとしたところで、向こうの方から深緑の制服を着た女性が二人歩いてくるのが見えた。それが、異民主体の魔物討伐部隊の制服であることは知っている。ただ、街中でそれを着て歩くのは、ほとんど幹部だけだ。
二人とも黒髪だが、一人は外国人のような顔立ちをしていたので、もしかしたらあれが噂の総長かもしれないと思った。確かに、切れ長の目と厳しく引き締まった顔からは、どこか尖った雰囲気を感じた。
エルクの同僚の友人に、ファリエンの隊員と結婚した兵士がいる。彼の話では、確かに総長は怖い人だったらしい。ただそれは、頑固親父が娘の結婚相手に見せるような怖さだったようで、冷酷非道という最近の噂とは、ちょっと違うように思う。
「おい、見ろよ。異民の女どもの親玉だ。」
不意に上がった声は、用もないのに先程からたむろしていた、目つきの悪い男のものだった。同調するように応じたのも、同じような男だ。
「聞いたぜ。子供を斬り殺したんだってなあ。」
「異境の民だ。それくらいやるだろうさ。魔物討伐とか何とか言ってるが、それにかこつけて裏じゃあ何やってるか分かりゃしねえよな。」
似たような声は、複数個所で上がっていたが、どれもあまり表通りで見かけないような雰囲気の人間が発していた。
「子供を攫ってくって話もあるぜ。」
「金品脅し取るとかもな。」
「財産盗られて泣き寝入りした奴もいるらしいぜ。」
「なあ、そんな奴、野放しにしていいのかよ。」
「そうだ、なあおい。ちょっと思い知らせてやろうぜ。」
男達は呼応しながら、二人の前に立ち塞がり、取り囲んでいく。中には、棒のようなものを持っている者もいる。ファリエンの一人は、怒りを顔に上らせて、剣に手をかけようとしたのだが、総長と思われる方は、それを制止した。
エルクは少し混乱していた。そういう話だったろうか。彼が聞いたのは、魔物が子供の姿をして街に入り込もうとしたところを、ファリエンの総長が斬り捨てた、ということだった。
魔物と言われても、見た目が子供だったら、普通は戸惑う。エルクだったら迷って咄嗟には行動を起こせない。しかし、総長は躊躇うことなく、即座に斬ったというから、話を聞いた時は、正直ちょっと引いた。ただ、それが彼らの仕事なのだから、務めを果たしただけとも言える。
しかし、通りを行き交う人の中には、非難と嫌悪の目で彼女達を見ている人間もいる。異境の民というだけで、快く思わない人間も、少なくはないのだ。
「なあ、みんな。懲らしめてやろうじゃないか。こいつらに好き勝手されていいのかよ。」
「図に乗って、一切合切持っていかれるぞ。」
「子供も、財産もだ。」
男達は通行人にも呼び掛け始めた。騒ぎを見て野次馬が集まってきているが、ほとんどは興味と困惑の混ざった表情をしている。それでも、一部には賛同の声を上げている人間もおり、何となく場の空気が嫌な方向へ変わっていく感じがした。
「そもそも異境の民なんて災いを持ってくる奴らなんだ。そんな奴らをのさばらせるのか?」
「追い出しちまえ!ここは俺たちの町だ!」
これは、まずい流れではないだろうか。エルクの知り合いの兵士は、奥さんのことを大切にしていた。穏やかで優しいと、照れながら話していたのを思い出す。この騒ぎが広がったら、彼とその奥さんはどうなる。それに、まだ小さな子供がいたはずだ。その子はどうなるのだろう。エルクは、ざわざわとした不安に飲まれていくような感覚に陥っていた。
「いつからお前達が王都を牛耳るようになった?お前達の領分は裏通りだろう。」
凛とした声が響いた。
清涼な風が吹き抜けたように、自分の中に平静さが戻ったような気がした。
「堅実に生きている者から何かを奪ったことなどない。不当に得た財を没収する手伝いなら、覚えがあるが?」
両手を下ろして佇んでいるだけなのに、ひんやりとしたものを感じる。切れ長の目に見据えられて、男達は怯んだようにも見えた。
「お前達もその手合いだな?」
「う、うるせえ!」
怒気を上らせた男が殴り掛かるのを、総長らしき女性は少し体を動かしただけで躱し、地面に転がした。続いて殴り掛かる男達も、どういうわけか転がされたり蹴り飛ばされたりしている。
「おい!何をしている!」
人垣を割って、警備隊が駆けつけてきた。
「騒ぎを起こしたのは誰だ!」
「解散しろ!」
「そこで止まるな!」
騒ぎの元になっている場所に向かいながら、野次馬に解散するように呼び掛けている。先程までの嫌な空気は散りつつあり、人々は、結局何だったのかと騒めいていた。騒ぎを起こした男達の半分くらいはいつの間にか消えていたが、転がったままの男達は警備隊に運ばれていった。
「何の騒ぎだ、総長。こいつらは何だ?」
「どこの誰かは知らないが、裏町関係ではないかな。雰囲気からして。」
警備隊員の質問に、総長は肩を竦めてそう答え、澄ました顔で服の埃を払っている。周りにいる野次馬や通行人は、そのやり取りに聞き耳を立てていて、ぼそぼそと囁き合っているのもいた。
「なんだ。おかしいと思ったんだよ。」
「このへんじゃ見ない顔だったもんな。」
「子供を盗るとか言われたら驚くけどさ。」
「街の外の子なんか、自分から通ってるよ。出入りするとこよく見るもの。」
「裏の連中に恨まれてるって話、本当だったんだな。懲らしめたことがあるんだってよ。」
「おっかねえことするなあ。だからか。」
「あんなのに乗っかったら、みんな犯罪者だよ。危ねえ、危ねえ。」
「大体、魔物討伐する人間追い出したら、後どうするんだって話だよ。」
そんな囁きを方々で交わしている多くが、『火消し役』の人間だということをエルクは知らなかった。本当は、一般の民衆を焚きつけて異境の民を襲わせようとしていた勢力があったことも、対抗勢力の妨害で思うように事が進まず、業を煮やして実力行使に出てきたという事情も知らない。が、大事にならなかったことにホッとしていた。
だってエルクは知っているのだ。異境の民と家庭を築き、平穏な生活を、大切に送っている人がいることを。
警備隊員は総長から事情を聴いていたが、呆れたような声を出した。
「素手で相手をしたのか?剣があるのに。」
「相手は魔物じゃないから。斬るべき相手ではない。」
「多勢に無勢だぞ。俺たちが来るのがもっと遅れたら、乱闘になってただろう。相手が刃物でも出してきたらどうするんだ?」
総長は少し考えている様子だったが、
「その時は、考え直すことになるかも知れない。」
と答えた。うっすらと笑った顔が、正直怖いと思った。
その後、散発的な騒ぎはあったが、どれもその場で収められるようなもので、徐々にファリエンや異境の民に関する悪い噂は消えていった。
ただ、魔物でないものは斬らない、という言葉はそのまま伝わったにも拘わらず、冷酷なファリエン総長という評価は、結局定着することになったのだった。




