冷酷なファリエ(4)
王都の警備隊長のところに、ある晩、珍しい客人がやってきた。
まだ若いその騎士は、今は近衛隊の制服ではなく私服だ。夜分に申し訳ないと詫びるその騎士に、警備隊長は苦笑いしながら酒を勧めた。
直に会ったのは、片手で数えるほどしかない。しかし、二人とも、互いのことは良く知っていた。それぞれ、情報が集まってくる位置にいるのだ。
「近衛隊長が、こんな時分にどうしました?それも、詰所ではなく、こんなむさ苦しいところに。」
妻は亡くなり、子供達は独立していて、警備隊長は現在一人暮らしだ。と言っても、手伝いがいるので、家の中はこざっぱりと整えられている。
「今日は、個人的な頼み事があり、伺った。」
「ほう。というと?」
その頼み事とやらは、聞かなくても大方の察しはつく。この若者が、職務以外で動こうとすることなど、一つしかないだろう。
「最近、都で広がっているファリエンについての噂だが。」
「魔物を斬ったのが、子供を斬ったにすり替わっている、あれですかな。」
「意図的に歪めて広めている者がいる。放置しておくのは、好ましくない。」
警備隊長は、ほろ苦いものを感じながら、息子ほどの年齢の若者を見つめた。
精悍な顔立ちのこの騎士は、近衛隊長として立っている時は圧倒的な存在感を放つ、まさに王の盾だ。生半可な者は、その威圧感の前に委縮する。泣く子も黙るという言葉は、彼の為にこそあるだろう。
それが今は、何かに迷っているように、そうしたものを潜めていた。自分がずっと昔に忘れてきたものを、彼の中に見出して、警備隊長は知らず笑っていた。彼がその感情を自覚しているかは分からないが。
「それで、その広めている者への対処を、個人的に頼みに?」
「職務から外れることは承知しているが、このままでは、騒動になりかねない。」
「まあ、当の本人が収めることは出来んでしょうからな。その気もないようだが。」
問うような近衛隊長の視線を受けて、警備隊長は肩を竦めた。
「ファリエンの隊員が話していたことです。総長は、この噂を打ち消すつもりがない。広まるままに、放置しておくつもりらしい。」
近衛隊長は眉根を寄せて、次いで溜め息をついた。
困ったようなその顔を見て、少し、からかいたくなった。悩める若者をからかうのは、年長者の特権だ。多少の身分差があっても、それは変わらない。
「あの娘は時折突っ走るきらいがある。保護者としては、心配ですかな。」
騎士は複雑な表情を浮かべて呟いた。
「俺が保護せずとも、あれは逆境を変える力を持っている。」
さて、それはどうだろうか。
ただ見守っているのが落ち着かなくて、わざわざこのような頼み事をしに来たのだろうに。
名家の出ではない彼には、個人的に使える手駒がほとんどないのだ。もしあるのなら、他人に頼まず自分で動いていただろう。
とは言え、この若者をからかってばかりもいられない。
黙っていれば一時的な噂で消えていたはずのものを、歪めて広めようとしている動きは警備隊も気付いている。民衆を巻き込んだ騒動を起こそうとしているのなら、看過はできない。王都の治安を預かる警備隊の面子に関わる。
「まあ、こちらとしても、国王陛下のお膝元で騒ぎなど起こされるわけにいきませんからな。積極的に対応することにしますよ。実は、ファリエンからも内々に依頼を受けていましてね。」
「ファリエンが?」
「総長には内密ですがね。あの娘が突っ走っても、周りに抑える者はいるようだ。保護者としては、安心できるのでは?」
そう言うと、騎士は、何か苦いものを飲み込んだような、渋い顔になった。
レヒバウエン伯爵は苛立っていた。多くの人員を使い、金を払って裏町の人間まで雇っているのに、事が思うように進まないのだ。リーデンベルフ侯爵家も案外不甲斐ない。
視界に映った一人の騎士を見て、さらに苛立ちを募らせる。元はと言えば、あの男が、異民どもを始末しないばかりか、騎士位にまで引き上げたのが悪いのだ。国王陛下の信任が厚いから礼を尽くしてやっているが、あれだって本当は出自の不明確な輩であるのに。
挨拶だけはしてやって、すれ違おうとした時だった。
「伯爵。」
ただ呼びかけられただけだ。それなのに、なぜか足が動かない。
「近頃、王都の中が騒がしい。御存知であろうが。」
ひくりと頬が引きつる。一体この圧迫感は何なのだろう。
「た、民の噂なら聞いておる。異境の民であるからな。さもありなん。ま、まあ、私には関わりのないことだがな。」
「そうでありましょう。どうやら、機に乗じて流言を広め、騒ぎを起こそうとしている者達がいる。万一、この王都で暴動など起きれば、それは反逆も同じ。首謀者は厳罰に処され、関わった者にも累が及ぶ。そのようなことは、当然なさるまい。」
「も、もちろんだとも。」
泡を食ったように答えた伯爵だが、もう少し賢かったのなら、何の話か分からない、と惚けるくらいはしたはずだった。これでは自白しているようなものだが、そこまで考えを巡らす余裕がない。
遠ざかっていく近衛隊長の背を見送りながら、伯爵は怒るどころか青ざめていた。
あからさまに怪しまれている。冗談ではない。あの小娘を痛い目に合わせて、目障りな異民どもをあるべき場所へ落そうとしただけで、なぜ自分が処罰されなければならないのだ。民衆があの小娘どもを拒絶して騒ぎを起こせば、王も上の方々も考え直すだろうと思っただけだ。それが反逆などとされては、たまったものではない。
そもそも、愚かな民衆を焚きつけてみたらどうかと言い出したのは、自分ではない。だから、自分には何の責もない。つきあいで賛同しただけなのだ。私はむしろ、そう、被害者なのだ。跡継ぎを失った報いを十分に受けられずにいる自分が、この上反逆者の汚名を着せられて良いものだろうか。とにかく自分は手を引かねばならない。巻き添えになるのは御免だ。
残念な伯爵は、民衆が本当に暴動を起こせば、どのような事になるのかを分かっていなかった。途中で保身の為に逃げた者が、後々どのような待遇を受けるかという視点も欠けていた。ただ、仲間も大体似たような人間だった為、少しずつ、彼らの勢力は瓦解していくことになる。




