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蒼天の星と漆黒の月  作者: 紫月ふゆひ
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改悛の魔物(2)

 しかし、その魔物は、立ち上がるのではなく、寝そべるようなくつろいだ姿勢になって、首を伸ばしてきた。姿形は、どう見てもワイバーンとか飛竜とか呼ばれる(たぐい)のものだが、おとなしい大型犬に見えてくる。どうにも、これを仕留めようという気になれない。


 木陰に待機していた偵察班のところへ戻り、この魔物にはどうしても危険性を感じられないから、このままにしておくわけにはいかないだろうか、と言うと、兵士達の班長は思い切り引きつった顔をした。

 気持ちは分からないではない。私も自分で言っていることに驚いているが、感覚が、手を出さないべきだと言っている。


 指揮官達に報告を出すから指示を待つようにと言われ、兵士と探索班の班員が走っていくのを見送って、もう一度魔物の傍に戻った。

 顔が届くところまで近づいても、それは気配を変えることも、鋭い爪の生えた腕を動かすことも、噛みつく素振りを見せることもなく、鼻先を私の手に寄せてきた。

 そっと触れてみると、ひんやりした鱗の感触が伝わってくる。もう少し近づいて、首筋まで撫でてみると、喉をグルグル鳴らすような音が漏れてきた。間近で見る目は爬虫類的で、縦長の瞳孔の周囲を、炎のような黄色の虹彩が取り巻いている。当然何の感情も感じられないが、捕食者の本能も、狂気も、そこにはないように思われた。


 ふと、何かに気づいたように、それが真っ直ぐ前を見て首を伸ばす。

 そこには、近衛隊長が立っていた。

 この人は、これをどうするだろうか。明らかな魔物であるのに、排除せずに放置することなど、許してくれるだろうか。役目を放棄したとみなし、私を斬るだろうか。


 ぱさり、と音がして、翼が広がった。それはまるで私の体を包むように弧を描く。

 隊長は、意外にも静かな顔をしていた。わずかに目を見張り、

「改悛の魔物。」

と呟いた。傍にいた騎士や兵士が、息を飲む。

「これが・・・」

「実在したのか・・・」

 そう言えば、神殿にいた頃、聖女アルタイアと改悛の魔物の話を聞いたことがある。聖女によって理性を与えられ、罪を悔いて聖女に従った魔物の話だ。その時は、魔物自体を想像上の生物と思っていたから、その逸話も神話としか考えていなかった。

「そう言えば、ここは聖女の加護があるというグリサの近くでしたね。」

と、思い出したように騎士が呟いた。


「一体か?」

「いえ、この奥にまだ何体かいます。」

 近衛隊長の問いに、班員が答える。少し思案する顔になり、それからこちらを見た。

「それは、人を襲うか?」

「いえ。他の魔物のような気配ではありません。手出しをされなければ、襲いません。」

 答えながら、確信した。どれほど小さくても、害になる魔物からは不快感を感じる。強力なものには、強い危機感を覚える。自然と体が緊張し、身構える。()()()()()()、魔物を感知するこの能力は、本能に直結しているのだ。だから、わずかな不快感ももたらさないこの魔物が、自ら人を襲うことはない。

 隊長はまた少し思案し、撤退を命じた。とりあえず、これの扱いは保留となった。


 信仰の書には、改悛の魔物がどのような姿をしているかについての記載はなかった。それなのに、なぜこの人は、あれがそうだと分かったのだろうか。一応聞いてみたのだが、隊長は、なんとも言えない顔で私を見て、

「そう、見えたからだ。」

とだけ言った。




 討伐の対象は、そこからさらに一日南下した街道のすぐ傍にいた。今度は、はっきりと危機感を感じる。

 それは、優に人の三倍以上の丈のある植物型だった。カタツムリのようにのっそり動き回り、細長い蔓を振り回す。蔓は人を巻き取り、地面を穿(うが)つ。巻き取られた兵士が高々と持ち上げられ、上部にある花へと近づけられていく。その蔓に矢が跳び、茎に槍が飛んだ。蔓が削られて折れ、槍が刺さった勢いで花が傾ぐ。持ち上げられていた兵士は悲鳴を上げながら地面に落ちたが、仲間の兵士達が受け止めた。怪我はしたかもしれないが、どうにか動いている。


 探索班の腕もだいぶ上がった。対象が大きい時のために、投槍器を用意していたのが役に立った。威力が増すし、高く遠く届くようになる。古代の人々の知恵だ。刃の改良も続いている。親方が、新しい作り方や、ハイクエル鉱石を使用した『試作品』を度々提供してくれる。規格外だから大きさはバラバラだが、今までより軽く、ものによっては強度も増しているので、実戦で使用している。

 地面を駆け回る班員は、蔓をよけながら、それの根元を盛んに斬りつけていた。核がある中心部は、茎が(よじ)れたように巻き付いた上に、厚い葉で覆われていたのだ。

 リーデンベルフ少佐の一件で謹慎になって以来、探索班は体術にも力を入れていた。というか、やたら気合の入った第二隊のおじさん達、もとい、熱意のある兵士達が熱心に指導をしてくれた。そのおかげか、全体の動きが良くなっている。腕力には限界がある、と初めから諦めていたのだが、基礎体力の底上げは必要なようだ。

 ただ、疲労で動けなくなる前にケリはつけたい。動き回る蔓を掴み、上空へと移動する。適当なところで蔓を蹴り、捩りあった茎へ向かって跳躍した。そのまま体を捻るように剣を振り切る。茎は意外に太く、一部が切れただけだ。返す刀を茎に突き立て、そのまま取り付く。核のあるのはもう少し下だ。

 そのまま刀を振り続けて茎の一本を斬った時、向かい側では茎を守る葉が一枚引き倒されたところだった。このまま守りを剝いで中心部に辿り着けば、退治できる。


 さらに剣を振るい続けようとした時、ざわりとそれが揺らぎ、捩りあっていた茎がほどけ始めた。茎の中が見えた瞬間、背筋が粟立った。これは、魔物への恐怖というより、生理的な嫌悪感だ。

 何かが蠢いている。真っ黒な無数の触手がゆらゆらと揺らぎ、伸び上がり、何かを掴むような動きをして沈み込む。その向こうに、顔のような、目のような影が、これも無数に浮かび上がっては消えていく。思わず顔が引きつり、一瞬体が硬直した。

 一瞬が、時に生死の境になることがある。

 気が付いた時には、無数の腕が伸びあがり、絡みついてくるところだった。慌てて剣を振るい、触手を断ち切る。その瞬間、再び背筋が粟立ち、体が固まる。何とも言えない嫌な感触がある。例えるなら、金属を爪で引っかく音を聞いた時のような不快感。

 頭上に影が落ちかかり、見上げると、牙を組み合わせたような花芯が開き、迫ってくるのが見えた。


 次の瞬間、地上から飛んできた長槍が花に突き刺さり、花が大きく反り返った。我に返り、残りの触手を断ち切ると、空中に放り出される形になった。このまま落ちれば、骨折くらいはしそうだ。そんな考えが頭をよぎる。


 地上に目を向けた時、ばさりと音がした。

 次の瞬間、急速に体が引っ張られた。内臓が抑え込まれたように息がしづらくなり、強い風と共に、景色が流星のように飛んでいく。そのままふわりと浮き、景色が止まったと同時に、内臓だけが持っていかれるような感覚になった。

 気が付くと地面に座り込んでいたが、何が起きたか分からない。胃は喉元までせりあがっているように感じ、頭は強く揺さぶられたように、ぐらぐらと眩暈がする。何度か大きな深呼吸をゆっくりと繰り返し、この唐突な負荷の代償を落ち着かせていく。


 周りは静かだ。緩やかな風が葉を揺らし、鳥の声も聞こえる。目の前には赤く染まった葉の茂みと、枯れ落ち葉の上に、真新しい赤と黄色の落ち葉が振りまかれた森の光景があり、そして背後には、魔物の気配があった。

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