改悛の魔物(1)
紫紺の闇に、二重の月が輝く。白々と輝く月は、常より明るく世界を照らしている。
何やら、懐かしい匂いがする。この時期は、特に濃い。
首を出来るだけ伸ばしてみるが、月は遠く届かず、記憶の中の想いもまた遠い。
季節の変化が少ないこの土地でも、収穫の時期が終わって涼しくなってきた。この国は全体的に温暖で過ごしやすい。種蒔きの時期や収穫の時期はあるし、雨の多い時期と少ない時期もあるが、日本のような酷暑や豪雪はない。ああなると、気候自体がモンスターだ。北西の高山には積雪もあるが、街道や人里から離れた場所には、わざわざ討伐に行かない。こう言うのも変だが、気候が穏やかなのは、私達にとってはありがたいことだった。
のどかな農村の小道を歩いていると、正面から初老の農婦が歩いてきた。
「おや、オリビアじゃないか。今日はお仲間も一緒かい?」
この村と王都を行ったり来たりしているオリビアは、すっかり村人に覚えられている。
魔除けの草は、この村の一帯でしか見かけない。都の周辺でも増やしたかったのだが、なかなか上手くいかなかった。枯れはしないが、成長が遅いし、増えることもない。もともと研究職を目指していた彼女は、こういう事に凝ると、とことん追求していく。いっそこの村に住み着いた方が良いのではないかとも思ったが、彼女にはもう一つ、大事な仕事があった。
それは、私達の血の研究だ。一部の魔物にとっては毒となることが分かったのは、大分初めの頃だった。無傷で済む討伐はあまりないので、血が出たらそれをこっそり使ってはいるけれど、外部に知られると、それこそ生贄なんて話にもなりかねず、良い方法がないか試行錯誤をしていた。
「丁度良かったね。今、アルテア草の花が盛りだよ。」
「本当ですか?」
「あんたが興味持つだろうから、来れないようなら送ろうかと思ってたんだ。」
「ありがとうございます!」
魔除けの草は、本当はアルテア草という名前だが、何となく私達は魔除けの草と呼んでいる。群生地に行くと、白い小花が毬のようになったものが一面に咲いていた。いつもはあまり人気がないが、今日は女性達がちらほらいて、花を丁寧に摘んでいる。
「あら、オリビア。こんにちは。」
「こんにちは。花を摘んでいるんですか?飾り?」
「もうすぐ聖女祭だからね。聖女様に捧げる花輪にするのよ。アルテア草は、聖女様の恩寵だからね。」
「聖女祭?」
「王都じゃやらないのかい?この近くのグリサの町では、毎年この時期に盛大にやるんだよ。あれだね、この草は、この辺にしか生えてないって言ってたけど、私らが聖女様への感謝を忘れないからじゃないかね。」
神殿にいた頃、色々な神話を聞いたけれど、聖女や神女も何人か出てきた。そもそも全ての神を一つの神殿で祀っているのでもなく、重視する神や行事は、町によっても違うようなのだ。王都の神殿でも、よく儀式や祭りをしているが、このアルテア草は見かけない。ただ、オリビアの興味は、祭りよりも、花とか、花をつけた草の状態とか、そういうところに向かっている。
「畑にも行くのかい?」
「ええ。この後行くつもりです。」
「あっちはここに比べると、あまり花がついてないね。小さい株を植えたせいかね。」
この村では、この草は当たり前に生えている野草だったから、聖女祭の時期以外は、誰も興味を持ったことがなかったようだが、オリビアが熱心に通ってくるし、どうやら珍しいもののようだと認識してからは、栽培を手伝ってくれるようになった村人もいる。もし利益になれば、村も潤う。
当初は、異境の民に警戒心を持っていた村人も、今では、ちょっと変わっているけど悪い人間ではない、という認識に変わったようで、話しかけてきたり、差し入れをくれたりするようになった。
「おや、それだけでいいのかい?」
二人で、両掌に乗るだけの花を取って、そこを去ろうとすると、村人が声をかけてきた。
「今はこれだけ。これは乾かして、帰りに新鮮な株を頂きたいのだけど。」
「どこかに行く途中かい?この近く?」
「それほど近くじゃないですよ。南に行く街道の先の方です。」
「ああ、そう言えば、町の商人がそんな話をしていたね。今度こそしっかり頼むよ。」
今度こそ、と言うのは、一度討伐に失敗しているからだ。外見や気配だけでは測れなかった、魔物の特性があるらしい。
魔物討伐に関わるようになって、もうじき二年になる。警戒されたり睨まれたりすることもまだ多いが、ここの村人のように、激励の言葉をかけてくる人もたまにいる。そんな時は、素直に嬉しいと思う。少しは、受け入れられてきたのかと淡い期待を抱く。まだまだ道のりは遠いけれども。
「どうする?」
「う~ん。」
村から南へ向かう街道を、目的地に向かって進んでいる途中で、私達は立ち止まって悩むことになっていた。低山地帯を縫うように走る街道は先が見通せないが、目的地はまだ先だ。そのはずなのだが、ここに魔物の気配がある。しかも、今までに感じたことのない、風変わりなものだった。
「どうした?」
私達が立ち止まって動けないでいるのを見て、声がかかる。今回の近衛隊の指揮官は隊長だ。だから余計に曖昧なことは言いづらい。困り顔の班員と顔を見合わせながら思案して、了承を求めることにした。やはり、放置していくわけにはいかない。
「依頼があったものとは別と思いますが、この近くに魔物がいるようです。確認したいのですが、立ち寄っても良いでしょうか?」
「なに?」
近衛隊長と正規軍の指揮官は、共に眉を寄せ、私達が困惑しながら眺めていた方向を見た。もちろん、視界に入る範囲には、何の姿もない。
「魔物がいるなら捨て置くことはできない。一隊は探索班と共に行け。残りは近くで待機だ。」
その指示で、兵士や騎士達は準備を素早く整えていく。その間も、困った様子が取れない私達を見て疑念を持ったのか、近衛隊長が再度問いかけてきた。
「どうかしたか?」
「それが・・・魔物の気配ではあるのですが、危険を感じないのです。このようなことは、初めてで・・・。」
ためらいながら告げた言葉に、二人の指揮官が怪訝な顔になる。
気持ちは分かる。私達もどういうことか知りたい。
今まで、魔物というのは、全て危険なものだと思っていたし、実際そうだった。人間にとっては害になる。だからこそ人の生活圏に入り込んだ魔物は討伐対象になってきたのだ。危険でない魔物というものがいるとは、聞いていない。それもあって、放置して良いのか、確認すべきか悩んでいたのだ。
山に入ってしばらく進んでいくと、似たような気配が、それぞれ離れて複数いるのが分かってきた。群れでいるというより、それぞれのテリトリーにいる感じだ。一番近い気配を目指していくと、何となく、向こうもこちらを感知しているのではないかという気がしてきた。それでも、やはりまだ、危険を感じない。
もし魔物がいたとして、この場合、どうしたら良いのだろうか。正直、判断に迷うところだ。
やがて、木々の向こうに、何かの姿が見えてきた。森に紛れてはいるが、牛よりずっと大きい影がある。それは、長い尻尾をゆっくり揺らしながら、じっとこちらの方を見ていた。おそらく私達がいることに気づいているが、それでも穏やかな気配を崩さない。
他の班員や兵士達にはその場に留まってもらい、思い切ってその魔物の正面に立って、少しずつ近づいてみることにした。班員達はともかく、魔物の気配が分からない兵士達は、途轍もなく緊張している様子で、武器を握りしめている。
その魔物は、座った姿勢のままじっとこちらを見ていたが、ある程度近づいたところで私が止まると、少し身じろぎをした。離れたところにいる兵士達の緊張感が増したのが分かった。私が咄嗟に心配したのは、魔物が飛びかかってくることよりも、早まった兵士達が攻撃を始めてしまうのではないのか、ということだった。




