オリファ(3)
簡単な携行食を分けてもらい、焚火の傍でぼんやり空を眺めている。日暮れとともに姿を見せ始めた黄色の月が、今は天頂近くにあり、空に滲みそうな淡い明りを放っていた。
ふと、レーナが顔を上げる。その肩にもたれかかっていたオクサナも目を覚まし、森の方を見ている。
見ていて思ったのだが、この二人は、魔物の気配のようなものを、遠くから感じることができるのではないだろうか。だから探索班というものができたのではなかろうか。
少女たちが動き、また兵士たちが騒めき出した頃、見張りの一団から角笛が響いた。
再び森の近くで陣取る兵士の後方に、少女たちやオリファもいた。鳥が飛び立つような音が森から響き、火矢が飛んでいく。再び森の際に炎が上がり、その中を黒い小さな影がいくつも動いているのが見える。矢が飛んでいく音が止むと、兵士たちが走り回る音や声があたりに響く。
しかしすぐに、騒めきとともに、兵士の列が割れた。
その先に、少し大きめの影がある。
「イノシシ・・・に似てるかな。」
「初めて見る種類だけれど、割と普通ね。」
レーナとオクサナがその影を注視しながら話し合っているところ、つい、横から口を出してしまった。
「目が四つ無けりゃね。」
明かりで夜の動物の目が赤く光るように、そのイノシシモドキの顔らしき部分には、赤く光るものが四つあったのだ。
兵士たちは、その影がどちらに向かうのか見極めようと、ソワソワしていた。
当然だろう。
魔物でなくても、やる気に満ちたイノシシの真正面に立ち塞がるのは、自殺行為だ。
その魔物は、しばらく威嚇するような様子を見せていたが、唐突に走り始めた。矢が何本も射かけられ、そのうちのどれかが目に当たったらしく、まっすぐだった軌道が大幅に乱れる。勢いは落ちたが、ぶつかってこられたら怪我をしそうではある。
「わわっ。」
それがすぐ傍まで来たものだから、思わず鞭を振り回したら、魔物の足に引っかかって持っていかれてしまった。と思ったら、魔物が前のめりに地面に倒れ伏した。見ると、鞭が前足に絡まって動かせず、後ろ足をじたばたさせている。
それを見た周囲の兵士が槍を持って群がっていった。
一番後ろにいたはずなのに、なぜいつも魔物が間近までやってきてしまうのだろう。どこにいても危険だ、と最初にオクサナに言われたことを改めて思い出し、納得した。
レーナが、魔物の足に絡まった鞭をほどいて返してくれた。
「狙ってやったの?」
「まさか。そんな器用じゃないよ。偶然だよ。」
さっきも、今も、近くに来てほしくない一心だ。
その時、森の近くで叫び声が上がった。
見ると、さっきも見た青目のオオカミモドキがまた現れていた。襲い掛かられた兵士たちが応戦しているのが見える。その集団が崩れ、一人の少年兵が転んでしまった。
高い声が上がると同時に、レーナが走り出した。レーナの腕が降られた直後、何かが魔物に当たり、吼え声とともに魔物が飛び下がる。
(違う。)
転んだのは、少年ではなかった。少女だ。レーナと同じ、異民の少女が、もう一人いたのだ。
レーナは剣を抜き放ち、思いのほか速い速度で、オオカミのような魔物に突っ込んでいく。
(無茶だ。)
町の守備隊を見ているから分かる。このくらいの新兵は、格好だけはつけているが、まだまだ素人同然なのだ。あんなのに向かって行って、無事に済むはずがない。
レーナはギリギリのところで爪をよけながら、魔物に斬りつけている。そのダメージは確実に溜まっているようだが、倒れるところまではいかない。
魔物が振り下ろした爪が、レーナの剣に当たる。
見ているこっちの心臓が跳びあがる。
受け止めきれず傾いた剣の表面を爪が滑り、魔物が体勢を崩した。
と思った瞬間、レーナが爪をはじき、片足を軸に回転した勢いで剣を振り上げた。その剣が、魔物の前足を切断する。吼え声をあげて動きを止める魔物の後ろ足に、返す刀でさらに斬りつけ、バランスを崩した魔物が倒れ込んだ。
そこへ、短槍が突き立てられる。転んだ少女がいつの間にか立ち上がり、槍を構えていたのだ。周囲の兵士が、さらにとどめを刺していく。
感心するというより呆れた。見ているこっちの寿命が縮まった気がする。
あのくらいの新兵は、まだ使い物にならない。にもかかわらず、無謀なことをして痛い目にあう。
レーナの行動も無謀だ。運よく倒せたが、今頃命がなかったかもしれないのだ。
転んだ少女は足をくじいたようで、オクサナが支えている。あの赤毛の少女はさっき死にかけたばかりだというのに、いつの間にかあんな所にいる。さっきは、恐怖で目を背けていたというのに。
なぜだろう。
仲間のためか。
そういえば、レーナが魔物に飛びかかっていったのは、仲間に危険が迫った時だ。
仲間といっても他人だ。オリファにはよく分からない。
妓館の女たちとは、愚痴を言い合ったり、足りないものを分け合ったりはする。けれど、彼女たちは商売敵にもなる。運命を共にすることはない。裏町はもっとシビアだろう。
そういえば、ここに一緒に来た女たちや、妓館の主人などは、どうしただろう。今まですっかり忘れていた。その程度だ。オリファの世界では、自分の身を危険に晒すことを厭わない仲間などは、存在しない。
たまに、いい人間はいる。自分より他人の心配をして、自分より他人を優先してしまうお人好しが。そんな人間をオリファも知っていたし、彼女のことは無条件に好きだった。
でも、いい人間は、長生きできない。それが、オリファの知る世界だった。
いつの間にか、黄色の月は大分傾いている。兵士たちは疲れ切っているようで、陣地まで戻るのももどかしく、その辺で固まって寝始めてしまった。
レーナの腕には血が一筋流れていた。無傷ではなかったのだ。仕方がないから、傷口を縛るために、腰帯を貸してやった。
黄色の月が地平線に沈み、代わって青い月が姿を見せた頃合いだった。鋭い声が見張りから上がった。
今度はイノシシモドキの集団だった。十体以上はいるかもしれない。眠っていた兵士は跳び起きて武器を構えたが、疲れ切っていたうえに寝ぼけ眼の部隊は、混乱した。イノシシモドキは勢いよく突進してきて、矢を浴びせられても止まらない。槍で刺されても一回では倒れない。跳ね上げられる兵士も続出した。直進する個体も、途中で方向転換する個体もあり、部隊の中は暴風雨が吹き荒れているような騒ぎになった。
オリファは自分が逃げ回ることに必死で、少女たちがどうなったかも分からなかった。
「何体か逃げたぞ!」
離れたところから声が上がった。いくつもの塊が蹲り動かなくなっていたが、この場から走り去った魔物もいるようだ。向かった場所によっては、町や周りの農地に被害が出る。
動ける兵士たちが、あとを追って移動を始めた。その時、硬いものが崩れるような、雷のような音が聞こえてきた。
「街壁が崩れたか?!」
誰かが叫んだ。兵士たちが駆け足で去っていく。
怪我をした兵士たちが後に残され、治療班が怪我人を集めたり、手当てをしたりで駆けずり回っている。
「・・・仕方ないね。」
別に、手を貸す義理も義務もない。けれど、少しくらいは手伝おうかと思った。
文章量がバラバラですみません。




