オリファの選択
魔物の群れは、街壁をかすめるように、一部を壊した。町の中には被害はなかったが、街壁の外側にあった妓館に突っ込み、建物の半分以上が崩れた。追ってきた兵士たちがようやく全てを倒した後には、瓦礫の山と、複数の死体と、荒らされた農地があった。
オリファが戻ってきた時、長かった夜の闇は薄らぎ、日の光が東の空を白く染め始めていた。雲間が徐々に明るくなるにつれ、世界が色を取り戻していく。
傍らには、廃墟同然となった妓館。見上げれば、青い月がかろうじてその淡い姿を保ち、足元には、小さな骸が転がっている。
汚れてしまった赤毛を眺めながら、オリファは、夕焼けのような色だと言った時のことを思い出した。リィヤは、褒められたとでも思ったのか、嬉しそうに笑っていた。それから、『それなら、姐さんの目は、お日さまがサヨナラした後の、お空の色だね。』と、オリファのくすんだ紫の瞳のことをそう言った。
「泣いてるの?」
レーナの声がする。
「泣いてないよ。」
「泣いてるよ?」
「泣いてない。」
全てを諦めた時から、泣いたことはない。そもそも、何かを期待したことがないから、諦めることも無い。
だから、一度も、泣いた覚えがない。
「でも、泣いてる。」
目が熱い。視界が滲む。頬を、流れるものがある。
(・・・泣いている。・・・私が?)
肩に、そっと手が添えられる。それがとても、温かく感じた。
「大事な子だったの?」
とんでもない。鈍臭くて、覚えが悪くて、不器用で、手のかかる子だった。
それでも、無条件に慕ってきた。小さい手でしがみついて、甘えてきた。
この子は、怖い思いを、したのだろうか。
熱いものが瞳から溢れ、次から次へと落ちてゆく。
レーナはずっと、隣で寄り添っていた。
「あたし、あんたたちについて行っていいかな。」
「・・・危険だよ。分かってると思うけど。」
「分かってる。」
「それでも?」
「それでも。」
「あなたは・・・私達と違って、危険なことをしなくても、いいんじゃないの?」
危険で、きつくて、実入りも多くはないだろう。それより、華やかに着飾って、言葉巧みに男たちに取り入って、稼いだ方がいいという考え方もある。それも才覚だ。金持ちの妾にでもなれれば、安泰に暮らせる。
けれど、この町ではそんな機会はそうそうない。若さが失われれば、待っているのは緩慢な死。生命も、気力も、わずかな矜持さえ、ゆっくりと奪われていく。もしかしたらそれが、魂が死ぬということかもしれない。
オリファには、初めから選択肢がなかった。物心ついた頃には妓館にいた。親の顔は覚えていない。もし、自分で選ぶということができるのなら、自分の生き方、生きる場所を、選んでみたい。
「それが、私達のところ?」
「うん、そこがいい。」
レーナは、上官に話してみると言ってくれた。
妓館の主人は、最初、借金がまだ残っていると渋っていた。自分の証文を見たことはないし、本当に借金があるのかは知らない。けれど、魔物に殺された女将たちの敵を討ちたいと言ってみせると、ほろりと顔を歪め、あっさり承諾した。小悪党ではあるが、極悪人ではないのだ。
数日後、オリファは魔物探索班の一人として、王都へと旅立った。
兵舎の端にある一棟が、探索班に与えられた宿舎だった。
若い子が多く、賑やかだ。年長者と思われる数人に、レーナが事情を説明した後で、濃い褐色の髪と瞳の女の人が近づいてきた。落ち着いた感じの、柔らかい笑みを浮かべた人だ。オリファより若い子が多いように思ったが、ヤナと名乗るこの女性は、オリファより年上かもしれない。オリファは自分の正確な年齢を知らないから、何となくだが。
「レイナから聞いたけれど、オクサナを助けてくれたんですって?ありがとう。よろしくね。後で、ここのこと、色々説明するわね。」
なんだか、良家の奥様と話しているみたいだ。この人が、レーナのように魔物と戦っている姿が想像できない。
「飲み物、どうぞ。」
兵舎に似つかわしくない、幼い声がした。
視線を下げると、女の子が、汁物の入った器を、テーブルの上に置いたところだった。
「リィヤ・・・」
「アーシだよ。」
女の子は、不思議そうな顔をしていた。
顔立ちも、髪の色も、似ても似つかない。それでも一瞬姿が重なってしまったのは、おそらく、そのキラキラした瞳のせいだ。
「この子は、本当はまだ神殿にいるはずだったんだけど、みんなと一緒がいいと言って、ここに来たの。さすがにまだ武器を持たせるわけにはいかないけど、いろいろ手伝ってくれてるのよ。アーシ、ありがとう。」
ヤナの言葉に、女の子は、にっこりと笑った。
思わず手を伸ばして、柔らかな黒髪を撫でると、少しびっくりした顔をして、それから、照れ臭そうに笑った。
その笑顔が、また重なる。
もう少し、優しくしてやれば良かっただろうか。もう少し、構ってやれば良かっただろうか。今更思っても、仕方のないことだけれど。
「ありがと。」
声をかけると、女の子は元気に頷いて、走り去って行った。




