遥か先のタダ飯
翌日。
朝の陽ざしが眩しい教室で、私は誰よりも早く、鼻息を荒くして教卓へと向かっていた。
「ガトー先生! 入部届、提出します!!」
バァンッ! と、私は一枚の紙を教卓に叩きつけた。
そこにデカデカと書かれているのは、『第一希望:剣術部』の力強い文字である。
昨日までの「マイノリティガールになる」という崇高な決意は、食堂の黄金の多種多様な食事の幻影の前に、文字通り一瞬で消し飛んでいた。
「……随分と気合が入っているな、ティラミス。剣術部か。昨日、的のど真ん中に木刀を突き刺しただけあって、やる気だけは一人前のようだな」 ガトー先生は眉を潜めながらも、私の入部届を受け取ってハンコを押してくれた。
(ふふふ……これで、私の三年間のお腹はいっぱいになったも同然!)
私は心の中でガッツポーズをキメた。
剣術部員になれば、食堂のご飯が毎日、三食、しかも大盛りで完全無料になる。
頭の中はすでに、タレがたっぷりと絡んだ焼肉定食や、サクサクの大きなトンカツ、そしてツヤツヤに光る白米の山で埋め尽くされていた。
授業中も、黒板の文字が全て美味しそうなメニューに見えてしまい、よだれを拭うのに必死だった。
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そして、待ちに待った昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。
「よしっ!!」
私は弾かれたように席を立ち、誰よりも早く教室を飛び出した。
「あ、ミコトさん! 一緒にお昼……って、もういないわね……」というマリアさんの声が後ろから聞こえた気がしたが、今の食欲のブーストを止められる者はこの学園には存在しない。
私は足早に、いや、もはや競歩の世界記録を更新する勢いで、大食堂へと向かった。
「おばちゃん! 剣術部に入部しました! とりあえず一番お肉が乗ってる定食、大盛りでお願いします!!」
私は食堂の配膳カウンターにバンッと両手をつき、満面の笑みで高らかにオーダーを告げた。
配膳用のお玉を持った食堂のおばちゃんが、目を丸くして私を見た。
「おや、元気のいい新入生だね。剣術部に入ったのかい? ……でもねぇ、お嬢ちゃん」
おばちゃんは、困ったように眉尻を下げて、カウンターの横に貼られた小さな張り紙を指差した。
「剣術部の『食費免除特権』が適用されるのは、正式に部員として受理される『来月』からなんだよ」
「……はい?」
私は、自分の耳を疑った。
「今月いっぱいは、新入生は色んな部活を回るための『仮入部期間』扱いだろう?
自分に合わないと思ったらすぐに別の部活に移れるようにっていう、悩める学生のための学校側の優しい配慮なんだけどね。だから、正式な名簿が食堂に回ってくるのは来月の頭からなんだよ」
「な、なんだってええええええええええぇぇぇっ!?」
私の絶叫が、賑やかな昼時の食堂に響き渡る。悩める学生のための優しい配慮? 冗談じゃない。私にとっては、それは完全なる『死の宣告』だ。
私の手元にある全財産は、実家を出る時にこっそり持ち出した僅かなお金だけ。
剣術部の無料特権が始まるのも、すべては「来月」からなのだ。
(ワタシ、来月まで、一体何を食べれば良いんですか……っ!?)
私の魂が、口からスーッと抜け出していくのを感じた。 目の前が真っ暗になり、カウンターに突っ伏して絶望の淵に沈み込む。
黄金のローストチキンも、サクサクのトンカツも、無情にも私の幻影からパリンッと音を立てて砕け散った。
(どうしよう……。マリアさんに相談すれば、きっとお情けでお弁当を分けてもらえるかもしれない……)
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎった。 だが、私はすぐに強く首を振った。
いやいやいや、いくらなんでも虫が良すぎる。
ただでさえ授業で迷惑をかけているのに、食費まで恵んでもらうなんて、友達として絶対にやってはいけない一線だ。
それに、マリアさんの優しさに甘え続けていたら、私は一生彼女のヒモ(ペット)として生きる羽目になってしまう。
(本当に餓死しそうな、ヤバい時だけの『最終手段』に取っておこう。今はまだ……まだ、なんとかなるはず……!)
私がカウンターに頭を擦り付けてプルプルと震えていると。
「……なんだか、事情はよくわからないけど、ひどく可哀想なことになっているみたいだね」
見かねた食堂のおばちゃんが、深くため息をついて、カウンターの下からガサゴソと何かを取り出した。
「ほら、お嬢ちゃん。これ、サンドイッチを作った時に切り落とした『パンの耳』だよ。捨てる予定のものだったから、内緒で一袋持ってきな。少しはお腹の足しになるだろう」
ドサッ、と私の目の前に置かれたのは、透明なビニール袋にパンパンに詰め込まれた、大量のパンの耳だった。
「お……おばちゃぁぁぁぁぁぁんっっ!!」
私はガバッと顔を上げ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で叫んだ。 背中に後光が差して見える。
この人は食堂のおばちゃんではない、王立騎士学校に舞い降りた食の女神様だ!!
「ありがとうございます! ありがとうございます! この御恩は一生忘れません!!」
私はカウンター越しにおばちゃんの手を両手でガシッと握りしめ、上下に千切れるほどの勢いでブンブンと振り回した。
「わ、わかった、わかったから! 腕が抜けるよ! ほら、他の生徒が来る前に早く持ってお行き!」
「はいっ!!」
私はパンの耳が詰まった巨大な袋を大事そうに胸に抱き抱え、食堂を後にした。




