32 新たな依頼
「それじゃあ、依頼の話をしようか」
相談部屋の扉を施錠して、マスターが僕とエリーの向かい側の席に座る。
「で、依頼主は誰なの? もしかして、大っぴらに言えないようなところ?」
エリーが口を開いた。
「いや。相談室に呼んだけれど、依頼主や依頼そのものは変わったものではないよ。単に、私と君たちが依頼の話をするうちに、大っぴらにしない方が良いことを話題にするかもしれないと思ったからで」
マスターが答えた。
大っぴらにしない方が良いこと。僕らにとってそれは、二つだけだ。それは、ゴブリンの『王』にまつわる事件、それから僕のドーノについて。
「とりあえず、依頼の内容を聞かせてもらえる?」
それらが一体、どう関わってくるのか? 気に掛けつつも、僕はマスターに話を促した。
依頼内容そのものは、本当に平凡なものだった。村にゴブリンが出たので、退治してほしい。一年前、僕らが初めて受けた依頼と同じ内容だった。
驚くべきことに、その依頼主までも同じ事だった。あの、ゴブリンの大群に蹂躙されかけたラクサ村……。
「また? ゴブリンって本当によく出るんだね」
毎年毎年懲りずに現れる害虫みたいだ。
「ゴブリンだからね、仕方ないよ。ただ、前回と違ってどうやら既に被害が出ているみたいなんだよね」
マスターが気の毒そうに言う。
「子供と老人、それに若い女性。三人、村人が姿を消している。ゴブリンによる被害だと考えるのが自然な流れだね」
「目撃されたゴブリンは何匹?」
エリーがマスターに質問する。
「三匹が固まってうろうろしているところを、森に入った猟師が見かけたらしい。話を持ってきた村人によると、他に目撃情報は無しと」
「三匹だけで済むなら、簡単な依頼になるだろうけど……」
一年前の悪夢が蘇る。最初はたかが二、三匹と聞いていたのに、実際に森に入ってみれば百匹以上の群れに出くわし、最後は五百は下らない軍勢に囲まれ……という具合に、話と実態がまるで違うという事態にならなければいいが。
「おまけに、どうやって生まれたのか分からない『王』とかいう訳が分からない存在が出てこなければね」
エリーが僕の言葉に付け加えて、皮肉めいた口調で言う。僕は苦々しく笑った。
「まさか。あいつは、あの一体しか確認されてないんでしょ?」
討伐後に『王』のような魔物が存在したか、マスターに確認して貰ったが、該当するような魔物はいなかったらしい。未知の魔物が出現した際は、魔物を研究する学者達に情報提供をするのが通例だが、今回の『王』は事件そのものを伏せているため、詳しい研究は為されていない。そのため、奴の正体については何も分からずじまいなのだ。
「そう何度も出くわすものじゃない……とさすがに思いたいけど」
『王』はゴブリンには似つかわしくない体格、知力、統率力をあの個体は兼ね備えていた。しかも、蟷螂の鎌のような腕を持ち、戦闘能力も村人達では手も足も出ないほどに強力だった。あんなものが何匹もいてはたまったものじゃない。
「ゴブリンと人間、それから蟷螂の混血、なんて説はどうだい? だとしたら、あの『王』に兄弟や子供がいれば、第二の『王』が出る日もそう遠くないかもね」
「まさか。ゴブリンの子はゴブリン、というじゃない。そんなこと、ありえないでしょ」
マスターの冗談半分の言葉にエリーが生真面目に反論する。この世界で慣用句的に使われている言い回しだが、実際にゴブリンの子はゴブリンでしかありえないと多くの人々は考えている。何故なら、他の生き物との交配、例えば人間相手に可能なら既に例の一つや二つありそうなものだが、そんな話は聞いたことはない。
「ま……とにかく、一年経ってもあの『王』のことは謎ばかりだね。どうやって生まれてきたのか、そしてどうして略奪目的とは思えない行動を取ったのか。何一つ明らかになっていないよ」
話の結末をつけるように、マスターが言う。
「一体、なんだったんだろうね、あの生物は……」
僕はぽつりとつぶやいた。
ゴブリンにあるまじき強靱な肉体や能力、残忍な行動に目が行きがちだが、僕にとって一番強い印象を残したのはそこではない。
『王』の人間に対する煮えたぎるような敵意。そして最期の間際に語った父という存在……奴の凶悪さと不気味さの根源には、肉体や能力よりもそれらがよっぽど深く関わっているように思えてならない。