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20 君がいてくれたから

 エリーがジョッキを置いた。そして、僕の目をじっと見つめた。

 突然、どうしたんだろう? あんまりにもまっすぐな視線に僕は思わずたじろいだ。でも、目をそらすのもはばかられてしまった。

 なんで僕らは見つめ合ってるんだ? 段々照れくさくなってきたところで、不意にエリーはぽつりとつぶやいた。

「成長したわね、カナタ」

「……え?」

 思わぬ一言に、僕は目を丸くした。

 くすくす笑いながら、エリーが言う。

「あたし、あんたのこと、ずっとヒヤヒヤしながら見てたの。ぼんやりしてて、世間知らずで、自信なさげで……あんたを一人にしたら、狼の群れに羊を放つようなものだと思った。だから、あたしがついててあげなきゃダメだって感じてたんだけど」

「……そりゃ、ご親切にどうも」

 僕はうつろに笑った。犬の次は、羊とな。さすがにもうちょっと言葉を選べよ、事実だったとしても。

 皮肉を言ったのが通じたらしく、エリーは胸の前で手を合わせて謝罪のポーズ。

「ごめんごめん。でも、今はそう思ってない」

 そう言って、彼女は微笑した。

「ゴブリンの群れと逃げずに戦うって自分から言い出したでしょう。あたしは、あの時……諦めてた。村を救うなんて、できっこないって諦めてた。でも……」

 エリーの目が、僕をちらっと見た。

「カナタは諦めなかった」

「それは……」

 僕はエリーの視線から、目を逸らした。

「あの時、前世の記憶が戻ったんだ。それで、もう困難から逃げる人生を繰り返したくない、って反射的に思っただけなんだ。褒められるようなことじゃないよ」

 ただ、逃げてはいけない、と自分の中の内なる声にせっつかされて、僕は無我夢中で走り出した。

 策だって本当にお粗末なものだった。森でゴブリンを倒したとき、エリーは僕に疲れていないか、と訊ねてきた。僕はまるで疲れなど感じていなかった。だから、あの五匹のゴブリンを焼き払ったように、大軍だって焼き払えるのではないかと考えただけ。

 あれは本当に賭けだった。編み出した策に自信などなく、考え無しの無謀な行いと言って良かった。

 だから、別に、大したことなんかしていない。そう思ったのだけれど。

「じゃあ、前世のあんたでも、同じ選択をすると思う?」

 エリーがすかさず言った。

 僕は一瞬、押し黙った。

「ううん」

 すぐに首を横に振った。無理だと思う。己のドーノの力を理解していたとしても、立ち上がろうともしなかっただろう。自分には何も出来やしない、と言い訳をして。

 否定した僕に、エリーが得意げに笑いかけた。

「ね? あんたはこの世界にやってきて、間違いなく成長してる。あたしもびっくりするぐらいにね。……あんたもそう思わない?」

 エリーが僕に問いかけた。

 そんなの、答えは決まってる。

「うん……そう、だね」

 気恥ずかしさを感じつつも、頷いた。

 この世界にやってきて、僕は一歩踏み出す勇気を幾度か奮い立たせた。ソフィアに疑われたときに、冒険者ギルドから逃げ出さなかったことから始まって、勝てるか分からないゴブリンの大群と戦うことを決めた……前世の僕には出来なかったであろうことを、今の僕はやり遂げた。

 確かに、僕は成長できたと思う。でも、当然だけど、ゲームみたいにスライムを一匹ずつ潰して経験値を貯めてそうなったわけじゃない。

 今度こそ、人生をやり直そうと僕は力強く願った。それは無論大事な決意だ。だが、それだけでは何も変えられなかっただろう。

「エリーが、いてくれたからだよ」

 囁くような声で僕は言った。

 彼女は、この世界に不慣れな僕に、色んな事を教えてくれた。それに、ことあるごとに励ましてくれた。ゴブリンの大群と戦っているときに、明かりがなくなって絶望していた僕を叱ってくれたのも、全部エリーだ。

「だから、その……」

 目が泳いで、まともに彼女の顔を見れなかった。なんて言うべきか迷って、ちょっと口ごもった。

 でも、これは言わなければいけないことだ。

「君がいなかったら、僕は何も変われなかったと思う……ありがとう」

 声はぼそぼそしているし、彼女の目をまっすぐに見て、言えたわけでもない。そんな不格好な僕の言葉に、エリーはまるで綺麗な花束をもらったみたいに、嬉しそうに、そしてほんの少し照れくさそうに微笑んだ。

「どういたしまして」

 そう言って、また空を眺め始めた。

 僕も釣られて、空を仰ぎ見る。真っ暗な夜空を背景に、無数の星が瞬いている。異世界に来てから、もう二週間以上たつけれど、落ち着いて夜空を眺めるなんて今までなかった。そういえば、前世で自宅から見上げる空は、星を一つ二つ見つけるのが精一杯だったっけ。夜空の美しさを二つの世界で比べるなら、きらきら輝く宝石箱と子供のおもちゃ箱ぐらいの差があった。

 僕らはしばらくの間、互いに口をきかなかった。黙って星空を眺めていた。不思議なことに、沈黙が気まずく感じることはなかった。言葉はなかったけれど、確かに隣には相棒がいるという安心感があった。

 僕はふいに、思った。もし、前世で彼女が僕の隣に居てくれたなら、あの暗い夜空はもう少し違って見えたのだろうか、と。

 しばらくしてエリーが立ち上がり、僕を振り返った。

「さて、そろそろ向こうに戻りましょ。お酒も切れちゃったことだし」

 手には空っぽのジョッキ。推定七杯目もやはりあっさりと飲み干したようだ。ご馳走とお酒が並ぶテーブルからまた拝借してくるつもりなのだろう。

「僕はいいや、お腹いっぱいだし……っていうか、君、本当に飲むね?」

 僕のお腹は既に大盤振る舞いされた肉やらチーズやらでもう満杯で入りそうにない。対して、エリーは僕よりも一層細身の体のどこにビールを押し込むつもりなのだろうか。甘い物は別腹というが、ビールにも別腹があるのだろうか……? 

 僕はごく常識的な反応をしただけのはずだ。だが、エリーは機嫌を損ねたらしく、眉をひそめて僕を見返した。

「何言ってるの、あんたも一緒に来なきゃだめよ。お腹いっぱいでも、ビールぐらい入るでしょ?」

 さも当たり前のようにエリーが言う。

「あの……僕、二十才まで飲んじゃいけない世界で生まれたって話さっきしたよね……? まだ十六才なんだけど……?」

 酔ってないように見えるけど、実は酔ってる? 訝しみながら答えると、エリーは不敵に微笑んだ。

「今、あんたがいる世界はそうじゃないのよ。その歳なら、ビールもワインも嗜んで当然。っていうか、あたしも十六才だけど」

「え……本当?」

 僕は唖然として、エリーを見返した。落ち着いた立ち振る舞いとかお酒とは十年来の親友、みたいな飲み方をしているから、いくつか年上なんだと思い込んでた。

「本当よ。で、下戸だから飲めないっていつまで誤魔化すの? お子様は牛乳でも飲んでろって馬鹿にされっぱなしでいいわけ?」

「そりゃ……腹立つけどさ」

 僕は唇を尖らせてぼやく。『黄金の輝き亭』で酒場の皆に笑われた恥ずかしい記憶が蘇る。そもそも最初に馬鹿にしてきたのはエリーのような気がするけど……。

「ほら、飲みに行きましょ。慣れていかなくちゃ」

「ええ……ビール、苦くて嫌いなんだけど……」

 あんなもの、飲む人間の気が知れない。あの苦くてまずい汁にどうしてこうも皆心惹かれるのか分からない。気が進まずに座り込んでいると、エリーは僕に手を差し出した。

「我がまま言わないの。あんたはこの世界で生きていくんだから」

 エリーが差し出した手を見た。馬車に轢かれかけ、なかなか立ち上がろうとしなかったあの時のことを思い出した。僕はあの時、彼女の手を取ろうとしなかったけれど、痺れを切らした彼女に引っ張り上げられて、ここまでやってきたのだ。

 ここから、僕はどこに行くのだろう? それはまだ分からないけれど。

「分かったよ……」

 今度は自ら彼女の手を取り、僕は立ち上がった。

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