神々の愛し子
本編の進行に合わせ、更新を再開させていただきます。
(長らくお待たせしてしまい、すみませんでした;)
☆前回までのあらすじ
はじまりの世界を守護する、十二の神々。
彼らが生まれてより五千年程が経ったある日の事。
ガルヴァの地で起きた人々の争い、リュシン・フレイスの地で起きた『瘴気』による争い。
一連の騒動を収め、彼らは二つの石を回収するに至った。
赤い石と、青い石。先に変化を見せたのは後者の石で、その石から赤ん坊が生まれた。
それが、後にレガフィオールと名付けられる赤子。
幼子はソリュ・フェイトの手元で育てられる事になり……、五年の月日が経った。
「ソル様~!! ソリュ・フェイト様~!! ぼっちゃんが、ぼっちゃんが~!!」
澄み渡る青の湖畔。その近くでソリュ・フェイトが気持ち良く昼寝をしていると、もう何度も聞いた事のある呼び出しの文句が近づいてきた。
だが、どうせいつもの事だろう。特に焦る事もなく、ソリュ・フェイトは寝返りを打って横を向く。さわさわと肌に触れる草の感触や、衣を撫でながら去っていく風の気配。
日差しはとても温かく、こんな日は昼寝に興じるのが贅沢なひとときの楽しみ方だ。
「ふあぁぁ……。眠い」
「無視しないで下さいよぉ~!! また、また!! ぼっちゃんが変な物を出したんですよ~!!」
「それが化け物の類でもない限り、好きにさせておけ。そう命じてあるだろう?」
自分と同じ黒髪の側近に手をひらひらと振って応えれば、さらに大音量の絶叫が響いた。
曰く、ソリュ・フェイトが住居にしている館にて、彼が引き取って育てている幼子がまた何か大事をやらかしているらしい。それも……、化け物の類に匹敵する何かを。
一体今度は何を出したのだか……。ソリュ・フェイトはやれやれと観念して立ち上がると、すぐに自分の館へと向かう事にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
美しい花々の咲き乱れる神殿の近くに建てられた、真っ白な館。
それは、五年前にソリュ・フェイトが自らデザインし、さらには自らトンカントンカンと一人で建設した、神らしからぬ裏話のあるアットホームな第二の我が家だ。
あの日……、十二の神々が一堂に会した大神殿の場にて生まれた、無垢なる赤ん坊。
創氷のリュシン・フレイス、彼の治める地にて発掘され、指輪として献上された品。
その指輪にあしらわれていた青色の宝石。それこそが、彼の地に災いを起こした元凶であり、そして……。
「くっ……! 俺の力作が、また酷い事にっ」
「だから言ったじゃないですか~っ!!」
ソリュ・フェイト自慢の一作でもある我が家が……、何とも形容し難い巨人めいた存在によって大破させられ、そこかしこで使用人の阿鼻叫喚な声が響いていた。
全身を岩のように硬そうな謎の素材に包まれ、動きは人や自分達神のように滑らかではない。
生物と定義づけるべきか……、いや、どちらかといえば、意思を持たぬ無機物、の方が相応しい気もする。まぁ、どちらにしても、自分が預かっている幼子が生み出した存在であるのは明白だが。
「はぁ……」
誰もが目を奪われずにはいられぬ、氷の地で発掘された青石から生まれし、命。
人や動物、その他の種族の者達とも違う生まれの……、自分達に近しい存在。
『瘴気』……、そう名付けられたあの災い、黒い靄を生む元凶。
五年前に誕生したその赤ん坊を、ソリュ・フェイトは自分が育てると宣言した。
悪しき力によって人々を惑わし、破滅に導く存在。
確かに、赤ん坊には瘴気を生む力がある。だが、それは自身が身に宿す力を無自覚に振るっていたに過ぎないのだ。ソリュ・フェイト達十二の神々も、生まれたての頃は神の力に翻弄され、苦労したのを覚えている。
強大な力は、扱いきれなければ他者に害を及ぼす『破』へと転ずる事もある。
赤ん坊が抱く瘴気の力も、自分達の抱く力が方向性を間違えた時とそう変わりはしない。
ならば、その扱い方を教え、正しき道へと導いてやるのが自分達の役目だろう。
そう考えたソリュ・フェイトは、赤ん坊を引き取る事に決めたのだが……。
「あの悪ガキ坊主め……」
何度叱っても懲りる事がない幼子に呆れながら、ソリュ・フェイトは使用人達を安全な場所まで下がらせる。意思なき謎の巨人を操って暴れさせているのは、間違いなくあの幼子だ。
さて、今度は何発拳骨をお見舞いしてやろうか……。
眉根を寄せたソリュ・フェイトは巨人の頭上へと飛翔し、その肩口らしき部分に目当ての影を見つけた。自分と同じ闇色の髪。だが、その一部に青の色を纏う、幼い男の子。
「あははっ、すごい、すご~い!! カッコイイ~!!」
人の子であれば、そんな恐ろしく高い場所ではしゃぐとはどういう神経をしている!? と、全力でツッコミを喰らうところだが……。生憎と、眼下の幼子は人ではない。
意味不明な存在を気まぐれに生み出し、人の迷惑を考えない……、好奇心の塊。
生まれ方は違えど、あの幼子が神として生を受けた事は間違いない。
そして、新たに生まれた同胞を導くのは、自分達に努め。
自分が名乗りを上げて預かった事に後悔はない。……ない、の、だが。
レガフィオールと名付けた幼き神は、人間の子供と変わらずに好奇心旺盛で、悪戯好きの権化。
赤ん坊の時から育ててきたソリュ・フェイトからすれば、まさに試練の連続。
夜泣きやぐずりで散々苦労させられた時代は終わったものの、子供というものは大人の想像を遥かに超える無茶をやってくれるものだ。
ソリュ・フェイトは気づかれないように幼子の背後にまわった。
「よぉ~し! 次はお散歩に行ってみよう~!! はっし~、――うきゃぁっ!!」
「お~ま~え~は~……っ、一体何発拳骨が欲しいんだろうなぁ?」
「ほしくな~い!! そんなのいらないよ~!! もうっ、ソルパパのケチぃ~!! あ痛ぁあっ!!」
「この大馬鹿者が!! 家をぶっ壊しておいて、何がケチだ!! それに、毎回怪我人が出ていないからといって、調子に乗り過ぎだ!!」
猫の子を引っ掴んで持ち上げるように、ソリュ・フェイトは幼子を怒気の滲む視線で睨みつける。
声を荒げて子供を委縮させるような真似は嫌いだが、これも親としての務めだ。
使用人達はソリュ・フェイトの力で創り出した眷属だからそれ程心配もないが、レガフィオールの悪戯や好奇心が人間や脆い種族に向かえばどうなる事か。
「何度言っても理解しないのなら……、俺にも考えがあるぞ」
「うぅっ……、お、オレ、悪くないもんっ。あ、遊んでただけだもんっ」
レガフィオールでなくとも、こんな風に感情を露わにして怒鳴るソリュ・フェイトの迫力には恐れ慄いてしまう事だろう。魂までをも震わせ、地に額を擦り付けて涙を流しながら許しを乞いたくなる苛烈さ。ソリュ・フェイトの足元では、幼子が生み出した巨人の肩口に無数の亀裂が走り、不穏な気配が徐々に大きく響き始めている。
だが、幼子が素直に謝る気配はない。頬を膨らませ、涙を浮かべながら横を向いて我を張っている。
怖いもの知らずの猛者。そう褒め称えてもやりたくもなるが、今はそんな場合ではない。
地上で成り行きを見守っている使用人達の、懇願と不安を抱く顔。
彼らの心を代弁するならば、――こうだ。
(((ぼっちゃん! お願いですから早く謝ってくださぁああああい!)))
子供相手に本気でぶちギレる事はないと、そう思いたいところだが……。
そんな使用人達の心中を正確に読み取りながら、ソリュ・フェイトは真紅の瞳に凍土の気配を浮かべてゆく。説教を受けても反省しない悪ガキ相手に、言葉と拳骨一発で済ませる気はない。
「レガフィオール、来い」
「やだっ! まだ遊び足りないもん!!」
ソリュ・フェイトの手からぶら下げられた状態でじたばたと全力で暴れる幼子。
だが、どんなに抵抗しても逃げ道はない。
はじまりの神々を率いる一の神から逃れられる者など、この世界に居はしないのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ソル様~……、ぼっちゃん、部屋で泣いてますよ」
「知らん。俺は今忙しい」
館での騒動から三時間ほど……。
ソリュ・フェイトはやんちゃな幼子を同じ十二神の一人である、トワイ・リーフェルの許へと連行し、――『お仕置き』後に修復した館へと戻って来た。
自分の小脇に抱えられ、顔をぐしゃぐしゃにして使用人達に迎えられたレガフィオール。
ソリュ・フェイトの……、というよりも、途中から上機嫌でお仕置き劇を繰り広げていたトワイ・リーフェルと、そして、丁度彼の館に訪ねて来た若草の女神の所業のせいが大きいだろう。
普段は喧嘩ばかりのくせに、子供の教育の為だと賛同したトゥレーナ・ツァルトは……、ソリュ・フェイトの目から見ても、アレな方向性にぶっ飛んでいた。
お仕置きの途中から、レガフィオールが可哀想になった程度には……。
だが、あの二人のお陰で幼子は物事の善悪や、罪を犯した際に下される裁きの恐ろしさを、今度こそ身に沁みてわかった事だろう。
自室にいてもここまで響いてくる大きな子供の泣き声を耳にしながら、ソリュ・フェイトは心を鬼にしてテーブル上の地図に視線を注ぎ続ける。
「ふむ……。この辺りなら良いだろう」
「……ソル様、さっきから一体何をやってるんですか? 物凄く真剣なお顔ですけど」
「で、そこに、あぁ、色々と仕掛けを作るのも面白いか。ふむふむ、そして」
「聞いてませんねぇ、ソル様……」
一度熱中し始めたり集中すると、ソリュ・フェイトは周囲の声さえ聞こえなくなる気質だ。
緊急事態でもない限り、彼が一段落着くまでは何を言っても反応はないだろう。
何やら次第にわくわくと瞳を輝かせ始めた主に、黒髪の側近は微笑を零して部屋を出て行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うわ~!!」
「どうだ? お前専用の遊び場だぞ。ここなら、どんな物を創ろうが、どれだけ暴れようが、結界の外に被害が及ぶ事はない」
「あの……、ソル様。とても素敵な遊び場だとは思うのですが……」
レガフィオールが起こした騒動から、一ヶ月。
強烈なお仕置きによってトラウマを植え付けられた幼子は、日々をしょんぼりとしながら過ごしていた。悪戯どころか、外で元気に走り回る事さえしなくなったのだ。
食も細くなり、自室に引きこもる事が常となったレガフィオール……。
あんな幼子相手に何をやったんですか!! と、使用人達には散々責められたソリュ・フェイトだったが、人の子と神は違う。
その身に宿して生まれた力が強大であればあるほどに、早い内から大事な事は全て学ばせておく必要があるのだ。まぁ……、あの二人がやったお仕置き劇はソリュ・フェイトでもドン引きのものだったのだが。ともかく、すっかり気落ちして十分に反省したレガフィオールを励ます意味も込め、ソリュ・フェイトは幼子を連れてこの島へとやってきた。
島ひとつを丸ごと、やんちゃっ子の遊び場とする為に。
この一ヶ月、狙いをつけた無人島を十二神全員で試行錯誤し手入れを行ってきた。
レガフィオールが抱く神の力、そのひとつ、自分達の見た事がない物を創り出し具現化する能力を行使しても問題のない環境。あの幼子が羽を伸ばして遊べる場所。
十二神の親心には皆涙するところだが、黒髪の側近は何やらツッコミをしたくて堪らない様子だ。
「島丸ごとって……、広すぎませんかね?」
「狭い場所ではすぐに飽きてしまうだろう? だから、それぞれの区域に俺達が趣向を凝らした遊び場を用意してある。どうだ? 面白そうだろう?」
「はぁ……、ぼっちゃんよりも、十二神の皆様がどれだけ楽しんでこの場所を作ったのかは理解しました」
「ソルパパ! ソルパパ! オレ、早く遊びたい!!」
「ははっ、気に入ったみたいだな。だが、最初にちゃんと注意事項を聞く事。それを守る事が出来なければ、この島は使わせない。いいか?」
「うん!!」
自分達十二の神々が楽しんでいた事も確かだが、一番見たかったものはこれだ。
無邪気に喜ぶ幼子の笑顔。塞ぎ込んでいるレガフィオールが一瞬で元気になれるように、十二神全員が心を込めてこの遊び場を作り上げた。
幼子を片腕に抱えたまま、ソリュ・フェイトは島の中へと降りてゆく。
島の中心、拓けたその場所に広がる、十二神の紋様が絡み合うように描かれた陣のある地へと。
すでに先に来ていた神々が近づいてくるソリュ・フェイト達に手を振り、彼の腕から飛び降りたレガフィオールをその両腕に迎えてくれた。
「レヴェリィ! 久しぶり~!」
「きゃはっ! いらっしゃ~い、レフィちゃんっ。滅茶苦茶怒られてへこんでたって聞いてたけど、だいじょぶ~?」
「うん! すっごく元気になった!! ありがとう、皆!!」
「レフィ、元気……。うん、良かった良かった」
むぎゅむぎゅとレガフィオールの愛称を口にしながら親愛の抱擁を交わしているのは、今日も美少女と勘違いしてしまうぐらいに可愛いレヴェリィ。
そして、またまた謎のポーズをしてみせた後に幼子へと抱き着いたフォルメリィだ。
その背後でガルヴァもウズウズと仲間に入りたそうにしているが、ソリュ・フェイトに睨まれているせいで動けないようだ。
『仲良き事は美しきかな。ほっほっほ、愛らしい者達がじゃれる姿は目の保養であるのう』
男と女、どちらにも聞こえるような、聞こえないような、そんな不思議な声がソリュ・フェイトのすぐ足元で響いた。ちらりと視線を落とせば、真っ白なふわふわの可愛らしい兎が一羽。
普通の兎よりも二倍、いや、三倍は大きいか……。
ぴょんっと体重を感じていないかのように跳躍した兎が、ソリュ・フェイトの胸にしがみつく。
癒し系動物の抱き心地は最高なのだろが……、この小動物に至っては色々とアレだ。
兎はソリュフェイトの衣に前足で縋り付き、自主的に肌蹴させているその胸元へと興奮気味に鼻を近づけその匂いを、――嗅ぎまくり始めた!
『ハァ、ハァッ、相変わらず美味で濃厚な雄の匂いがっ、ハァ、ハァッ!! 美味ぃいいっ!!』
その奇行じみたド変態丸出しの様子に、ソリュ・フェイトは特に動じる事もなくやれやれと息を吐く。別に匂いを嗅がれて減るものではないが、会う度に激しいガッカリ感に襲われてしまうのは変わらない。
「このド変態野郎ぉおおお! ソル兄から離れやがれぇえええっ!!」
『むっ! 甘いわ!!』
そろそろ引き剥がすかとソリュ・フェイトが動きかけたその時。
不埒な兎に狙いを定め飛び掛かってきたひとつの影が、鷲掴むその寸前に標的を逃した。
止まらぬ勢いと、その流れでソリュ・フェイトにがばりとしがみついてしまった影、いや、白銀の光を纏う長い髪の少女。周囲の神々が、「あ~あぁ、またやっちゃった」と言いたげな顔をし、それから無言で数える事、……十秒ほど。
「うわぁああああああああああっ!! そ、ソルっ、ソル兄ぃっ、ご、ごごごごごごごめんっ!!」
『ほっほっほ。大好きなソルとの抱擁じゃぞ? そう遠慮せずに堪能すれば良かろう。我のようになぁ』
「だ、だだだだだだ、だ、黙れっ!! 匂いフェチのド変態野郎!!」
「ふぅ……。落ち着け、フィアノ。俺は別に気にしていない。ほら、深呼吸をしてみろ」
ド変態の匂いフェチ兎も、顔どころか全身真っ赤に染まる程大慌てになってパニクっている少女も、ソリュ・フェイトと同じ十二神だ。……とてもそうは見えないだろうが。
いや、十二神の中で威厳やらそれらしい風格を漂わせている者などいるだろうか?
どいつもこいつも、自由人極まりない個性の塊ばかり……。
むしろ、神らしさ云々の前に、普通という定義から外れたものが多すぎる。
神として生を受けた当時は、彼らを纏め導くのに大変な苦労をしたものだ。
「それと、性癖についてとやかく言う気はないが、お前も時と場所を考えろ。――ラウレ・ルティーナ」
『ふふん。では、何も気にせずとも良い機会が巡れば、堪能しても良いのか?』
「いや……、それ以前にせめて相手の同意を得たらどうなんだ? ラウレ・ルティーナ」
ソリュ・フェイトの注意にぴょこんっと長い両耳を跳ねさせた真っ白な兎こと、ラウレ・ルティーナ。そのふわふわの可愛らしい小動物体を鷲掴み、すかさずリュシン・フレイスが尤もなツッコミを入れた。他の神々も静かに賛同の意を示している。
まぁ……、生まれ出でてから五千年の時を数えても治らない性癖、いや、それを気に入った相手にぶつけてしまう性質は改善しようがない、か。
とりあえず、ド変態と万年純情娘な二人の問題は横に置くとして、今日の目的を果たそう。
ソリュ・フェイトはレガフィオールに飛びつこうとしていたラウレ・ルティーナを引っ掴み、ポイッとガルヴァの腕の中へと投げ込む。
「ガルヴァ、存分にもふれ」
『ちょっ! うぎゃぁああっ!! この匂いは好かぬ!! うぐぐぐぐっ』
「ラウレ・ルティーナはいつもふわふわのもこもこだなぁ~! あぁ、可愛い可愛いぃいい!!」
『ぎゃあああああああああああっ!』
幼子にまでド変態の洗礼が及んでは堪らない。
というわけで、キラッキラのお目々で待ち構えていたガルヴァに熱い抱擁を受け始めたラウレ・ルティーナを無視し、ソリュ・フェイトはレガフィオールの前に膝を着いた。
「レガフィオール、俺達は皆、お前の成長と幸せを望んでいる。そして、愛しているからこそ、時に叱り、お前の心を傷付ける事もある。お前が道を違えぬように、お前が愛する者達と幸せになれるように、その未来へと、導く為に」
「ソルパパ……」
くしゃりと小さな頭を撫でてやると、レガフィオールは感極まったようにソリュ・フェイトの胸へと飛び込んできた。自分達とは違い、この幼子は生まれてきた意味も、どんな役割を背負い生きていくのかも、わからない事ばかりだ。
『瘴気』を生む力とは真逆の、無垢で素直な雛鳥そのもの。
レガフィオールが全ての命から忌まれぬように、愛される存在となれるように。
「うんっ、うん!! オレ、もうあんな事しないっ。絶対しない!!」
厳しさを与えた後には、子を想う親の愛を。
ソリュ・フェイトは愛しい幼子をそっと抱き締め、レガフィオールが泣き止むまで黒い髪を梳き、小さな温もりを撫で続けたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふむ……。あのやんちゃっ子は表で元気に遊んでいるというのに、『貴女』はいつまでも眠り姫のままですね」
自分以外の神々と幼子が島で遊んでいる様子を遠見の術で眺めながら、大神殿に一人だけ残っていたトワイ・リーフェルは傍らに在る巨大な赤い石に語りかけた。
五年前にソリュ・フェイトとガルヴァの手によって大神殿に持ち込まれた、新たな神の卵。
リュシン・フレイスに献上された指輪より生まれ出でたあの幼子と違い、赤い石の中で身を丸めて眠っている幼い女の子は、いまだに外へと出てくる気配がない。
「皆と外で遊びたくはありませんか? そんな石の中で眠っているだけでは退屈でしょう?」
どんなに語り掛けても返って来ない反応。
相手のいない独り言も同然だが、トワイ・リーフェルはこの五年間語り掛ける事を続けていた。
ソリュ・フェイトがレガフィオールにとって一番近しい父親のような存在ならば……。
(さしずめ、俺がこの子の父親、という事になりますかねぇ。おや? でもそうなると……、俺に張り合ってこの大神殿に通ってくるどこぞの女神が母親という事に……)
それは何と胸が高鳴る、――なわけもなく、考えただけで拒絶反応が鳥肌となってトワイ・リーフェルの全身を駆け巡った。
あの女神と自分は根本的に相容れぬ存在であり、好きか嫌いかで問われれば、あの女マジ面倒臭い、が本音である。
価値観も、考えている事も、選択する道も、二人は決して重なる事のない道を歩いているようなものだ。まぁ、簡単に言えば相性が悪すぎるから、あまり顔を合わせたくない、というわけである。
そんな相手が母親で、自分が父親など、あぁ、あり得ない、あり得なさ過ぎて胃が重たくなってくる……。
トワイ・リーフェルは夕陽色の髪を耳に掻き上げ、淡く光輝く背もたれつきの宙に浮いている椅子に腰を据えたまま、くるくるとそれを回転させた。
とりあえず、あの女神の事はどうでもいい。
それよりも、石の中で眠っている新たな神をどうやって孵化へと導くか……。
色々と干渉を試みてみたが、ようやく姿が見えるようになっただけで、意思の疎通は取れない。
赤ん坊から始まり、レガフィオールと同じように成長を重ねているというのに。
「セレネ、セレネフィオーラ、寝すぎると馬鹿になりますよ~?」
石の中に満ちている水のような揺らめき。それは、腹の中に子を宿す女性の胎内と同じ役割をはたしているようだ。幼子の黒く長い髪が波のように揺蕩い、その瞳は閉じられたまま。
やはり、今日も変化はなしか……。残念だが、自分もそろそろ島の方に。
そう諦めかけた矢先の事――。
『……も、あ、……び、た、い』
「ん?」
必要な光以外は排除してある薄暗い闇の中で聞こえた小さな音。
気のせいか? 卵のように丸く巨大な石に背を向けかけていたトワイ・リーフェルが警戒しながら振り返ると。
『……ネ、セレネも、皆と、遊び、たい』
柔らかみを帯びた甘く愛らしい声。……この大神殿に今、トワイ・リーフェル以外には、常駐している十二神の眷属ぐらいしかいない。
だが、自分以外の者達はあの扉の向こう側。この部屋の中には、自分と石の中の少女だけ。
「……セレネ? セレネフィオーラ、俺の声が聞こえますか?」
『……え、る。聞こえ、る』
五年間、ずっと傍で見守り続けてきた新たな命。
幼子が反応を示してくれた事に、もしかしたら、今この時に孵化を迎えようとしているのかもしれない状況に、らしくもなく、トワイ・リーフェルの胸が高鳴る。
彼は両手を大きく広げ、幼子を、セレネフィオーラを呼ぶ。
「もう眠るのにも飽きたでしょう? さぁ、出ていらっしゃい、自分の力で」
高揚を帯びた声音で呼びかければ、それに呼応し始めたかのように石の中心から大きな亀裂が広がってゆく。中を満たしていた水のようなそれが亀裂の隙間から溢れ出す。
目の前の幼子を守り、その経過を監視する為に作られた間が、水浸しになってしまう。
トワイ・リーフェルの膝下までを満たした揺らめき。
冷たくはなく、それはほんのりとした温もりを感じさせるもので……。
「セレネフィオーラ!」
一層強く叫ばれたその一声が、幼子の目覚めを完全なものとした。
トワイ・リーフェルの視界に飛び込んできた、白銀の閃光。
そこに在るもの全てを飲み込んでしまうかのような奔流の波は、彼の姿さえも白に溶かす勢いで空間全体へと広がってゆく。
五年前に十二神の間を侵食した瘴気とはまるで違う、清らかなる洗礼。
石から生まれ出でる際に多少の被害を想定してこの空間を創ったが……、これは。
「セレネ……!」
その瞬間を、彼は決して目を逸らさずに見つめ続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ソルパパ~!! え~い!!」
「なんの!! 行け(ゆけ)!! 暗黒の凶魔人!!」
「うわぁああっ!! ぐぅううっ、負けないぞぉおおお!! 正義の巨人、レガレガー!! やっちゃええええ!!」
所変わって、実に楽しそうな島でのひととき。
一ヶ月前にレガフィオールが生み出し、我が家を滅茶苦茶に破壊してしまった頑丈鉄壁製巨人……の、ような存在。
それをこの島の中で再び創造させ、ソリュ・フェイトもそれを手本に自分好みの創造を行った。
二人ともそれぞれの巨人の肩に立ち、先程から正義の味方ごっこを繰り広げている。
「あはは! いいぞ~!! レフィ、頑張れ頑張れ~!!」
「おお~……。話には聞いてたけど、これが新しい玩具か。レフィって、俺達の知らない面白創造の達人だよね」
雲と魔力を集めて創った乗り物に二人で座り、そこからごっこ遊びの様子を楽しそうに眺めている兄弟神。レヴェリィが両手を振ってレガフィオールを応援している横で呟いたフォルメリィの言う通り、あの幼子は自分達十二神とは同じように見えて、異なる存在だ。
十二神やその眷属達は、自分の知っているものや、イメージしたものを創る事は出来る。
けれど、レガフィオールの場合は違う。
勿論、自分達と同じ事は出来るのだが、この世界には存在しないであろうイメージをよく創造しているのだ。
生まれてより五年……、生活の主体はソリュ・フェイトと暮らしている館と、他の一部の場所にしか行った事がないというのに。
創り出された巨人は、岩を集めて出来た物や、土人形の類とも違う……。
完成された造形美を抱いた、まるでどこか別の場所に在った物をそのまま移し摸した物のようで。
これに関しては、『もしかしたら、あの子は俺達の知らない世界を見ているのかもしれませんね~』と、トワイ・リーフェルがひとつの見解を示していた。
「でも、変な話じゃないかな? だって、僕達の守護してるこの世界以外に、他の世界なんてないじゃない。ねぇ?」
「うん……。この世界の外には星の海が広がっているだけだからね。新しく世界を創造する事は出来るんだろうけど、……それはいつかの未来の話だ」
「だよね~。でも、僕達十二神の誰も、その未来の世界の事どころか、一分先の出来事だって視る事は出来ないんだよ? って事から予想してみると~」
「レフィは、俺達よりも進化した神、なのかもしれないね……」
誰も知らない未来を視通し、それを形に出来るもの……。
一度本人に何が視えているのか聞いた事があるが、幼子にもよくわからないようだった。
ただ、断片的に掴んだイメージをそのまま形にしただけ。つまり、完全な未来視の力ではないという事だ。
成長していけば、もっと明確に視る力が強まるかもしれないが……。
願わばくば、あの幼子の未来に影を落とす力ではないように、彼らはそう祈っている。
「ねぇねぇ!! フォル!! 僕達もあれ創ろうよ!! 二人ですっごく強さそうなのを!!」
「役どころは?」
「勿論!! 正義の味方を援護するお役立ち要員!! ――と、思ったけど、……少しの間、おあずけみたいだね」
「うん……。ようやく来たみたいだね」
フォルメリィが器用にその場でお出迎えの謎ポーズを決めながら首だけをその方向に向ける。
空を飛翔してきたその影は徐々に明確な姿を彼らの瞳に映す。
ごっこ遊びをしていたソリュ・フェイト達も動きを止め、そちらに向いた。
その腕に一人の幼子を抱え、白衣の裾を風にはためかせながらこちらへと向かってくる男神。
二体の巨人から飛び降り、ソリュ・フェイトはレガフィオールを片腕に乗せて他の十二神達と合流した。
「ふぅ……。皆さん、お待たせしました。眠り姫のお目覚めですよ」
「ははっ、随分と寝ぼすけなお姫様だ。――待ち詫びたぞ? セレネフィオーラ」
ソリュ・フェイトに優しい笑みを向けられた新たな幼子、赤き石より生まれし少女神セレネフィオーラは、少し気恥ずかしそうにはにかんで見せた。
柔らかにふわふわとした線を描く黒の髪。パッチリとした真紅の瞳。
愛らしい幼子はその容姿に相応しい、お嬢様テイストなフリルやレースたっぷりの服を着せられている。……恐らくは、目の前でニコニコと胡散臭い笑みを浮かべている男神の完全な趣味だろう。
ソリュ・フェイトはトワイ・リーフェルの腕からセレネフィオーラを受け取り、ぽかんとしている自分の息子の前へと差し出した。
「レガフィオール、お前の友達がようやく起きてくれたぞ。どうだ? 嬉しいか?」
「う、うぅ……」
「……こんにちは」
何か言おうとしながらも声を発する事の出来ないレガフィオールに、セレネフィオーラの方が先に小さな挨拶をして微笑んだ。
同じ、石という母体から生まれた新たな神。レガフィオールも十二神達と同じように、彼女の目覚めを待ちかねていた。……だというのに、何故だろうか? 何秒経ってもソリュ・フェイトの可愛い息子は挨拶を返そうとはしない。
「レガフィオール? どうした?」
「うぅ……、ううううぅぅぅっ、や、やだ!!」
「はっ!? お、おい!! レガフィオール!?」
小首を傾げたセレネフィオーラがその小さな手を戸惑って呻いている幼子に伸ばそうとした瞬間、レガフィオールは何を思ったのか突然その場から逃げ出してしまった。
それはもう、天晴なくらいの全力ダッシュの逃亡劇。あっという間に姿が見えなくなったレガフィオールの意味不明な行動に、十二神達が不思議そうに顔を見合わせる。
「おやおや、レフィは恥ずかしがり屋さんですね~」
「セレネ……、嫌われた?」
「いえいえ、違いますよ。今までずっと待っていた貴女が急に現れて、心の準備が出来ていなかっただけです。ねぇ? 一の神兄殿」
「ふむ。恐らくそうなんだろうが……。仕方がない奴だな」
今までに初対面の相手を前に逃亡した事など一度もなく、照れていたとしても、自分の陰に隠れる可愛いものだったのに。
溜息と共に微笑を零し、ソリュ・フェイトがレヴェリィとフォルメリィに捜索隊の役目を命じていると。
「セレネが行く!」
身動ぎをしてソリュ・フェイトの腕から飛び降りたセレネフィオーラの言葉に、クスクスと笑っていたトワイ・リーフェルが「おや」と興味深そうに声を発した。
まだ石から出て来たばかりだというのに、きちんと自分の意思を持っている。
「そっかそっか~!! じゃあ僕達と一緒に行こうよ!! ついでにこの島の案内も出来るし、一石二鳥じゃん!!」
「うん!! お姉ちゃん連れてって!!」
「待て、セレネフィオーラ。レヴェリィは男だ。見かけ詐欺の中身は野郎だ。ちゃんと覚えておけ」
「ちょっとソル兄ぃ!! 可愛さに男も女も関係ないでしょー!! 僕はお姉ちゃんでもお兄ちゃんでも、全然オッケーなんですー!! ばーか!!」
女装、と呼んでも差支えがない程に、レヴェリィの今日の装いも可愛さ重視だ。
唯一の救いはスカートではなく、綺麗な生足が見える半パン仕様であるところぐらいだろうか?
何にせよ、セレネフィオーラにはしっかりと正確な情報を教えておかなければ。
フォルメリィに羽交い絞めで止められながらも足をばたつかせ、自分の背中に蹴りを繰り出すレヴェリィにもかまわず、ソリュ・フェイトは幼子に言い聞かせる。
そして、すっかりむくれてしまったレヴェリィにセレネフィオーラを託し、やんちゃで照れ屋な幼子捜索隊を見送った。
「あの、ソル……、レフィは大丈夫でしょうか? セレネに対して気恥ずかしさもあったのでしょうけど……、もしかしたら」
レガフィオールをレヴェリィ達に任せ、休憩タイムに入った面々の中で、若草の色彩を纏う女神が心配そうな表情でリュ・フェイトの前に進み出て来た。
「わかっている。アイツの事だ……。恐らくは、俺達が自分に与える愛情をセレネフィオーラに奪われるとでも思ったんだろう。子供らしい発想だ」
「なら、レヴェリィ達だけに任せず、様子を見に行きましょう? 何かあっては」
「心配性ですね~、貴女は。レフィだって愚かじゃないんです。女の子相手にいつまでも拗ねている事もないでしょう。ガルヴァよりも頭が悪くなければ、ねぇ?」
「うがー!! 俺様に対して何たる侮辱!! うがー!! うがー!!」
まぁ、その通りだろうな。レガフィオールも、自分自身ではわかっているはずだ。
本当は誰よりもセレネフィオーラの目覚めを待ち望み、その存在を前にして抱いた僅かな嫉妬心など、すぐに消え去るものだと。
それに、子供は子供同士、自分達大人はその交流を見守るだけでいい。
「戻ってきた時には、きっと仲良く手を繋いでいる事だろうな」
「子供は喧嘩もいっぱいしますが、大人ほど面倒ではありませんからねぇ……。ふふ、お菓子でも用意しておきますかね」
眷属達が運んできたティータイムのセットを手に取りながら、ソリュ・フェイトは内心で意外そうに呟く。トゥレーナ・ツァルトに毒を向けるでもなく、上機嫌な様子で幼子達の世話を焼こうと浮かれている様子がよくわかる。
(まぁ、どちらかといえば……、セレネフィオーラへの親心が強い、というべきか)
きっと、五年間ずっと傍で見守り続け、語り掛けてきた一番近しい存在だからなのだろう。
レガフィオールを引き取り、ずっと傍で関わり続けてきた自分と同じように。
一人で研究事にばかり熱中している事が多い男神にはしては珍しいその光景を眺めながら、晴れ渡る空の下で笑みを深めるソリュ・フェイトであった。