■おまけ話■その後
王宮奥の私の部屋には事務官吏ユーロウスがいる。
今後の予定について話をするために呼んだのだ。
起き上がれるようになってからの私の回復は早かった。ただ陛下の許可が下りないので公務はまだ控えている。
王妃の仕事など大したものはないので私が仕事ができないからといって国政に影響があったりはしない。王妃の存在感というのは、執務側としては薄ければ薄いほどよいらしいので、宰相などは王宮奥に閉じこもって何もしないでくださいとアピールしているほどだ。
だから、私は大概大人しくしているでしょうよと思うのだが、微妙な顔を返される。おそらくは最近まで私につきっきりだった陛下のせいなのだろう。
陛下も不安定だったし、私も心配かけたし、薬を飲みたくなくてかなり愚図っていたせいもあり。なかなか執務室に行かない陛下に複雑な思いがあったに違いない。
だが、それももう終わったこと。
最近は陛下も元のように毎日遅くまで執務に追われており、私のところに来るのも一日に数回短い時間だけになっている。そのうち以前の一日に一回王宮奥に顔を見に来るくらいになるだろう。
私も定期的に頭の傷に塗り薬を付けてもらっている以外は普通に生活がおくれている。そろそろ私も元の生活に戻らなければ。
というわけで、ユーロウスと今後を打ち合わせようと思っていた。
「じゃあ、神殿の敷地の一部は売りに出されるの?」
「はい」
打ち合わせの前に、エテル・オト神殿にいた神官見習いのウェス・コルトンのその後を聞いてみたのだが。うっかりと話が弾んでしまっていた。
エテル・オト神殿は王家の護りという特別な地位を剥奪され、それとともに規模を縮小されることになったらしい。彼女は、“見える者”として特別な祭司としての地位が与えられ、エテル・オト神殿にとどまるのだそう。そして、まだ混乱している神官達とともに神殿を立て直していくという。
それは大変と思っていたところで、縮小される余った土地はどうなるのかが気になった。一般的な神殿にしては小さいとしても、家ではないのだから王都内では広い敷地だ。商業的な区域ではないが、王都でも治安のよいいい場所にあり、どうとでも利用できる魅力的な土地。興味がわかないはずがない。
「欲しいわね、その土地」
「……何のために欲しいとおっしゃるのでしょうか? 王妃様がお住いになるのを陛下はお許しにならないでしょう」
「私が住むんじゃないわ。ぬいぐるみを作っている作業場、狭そうだったから。ちゃんとした工場にした方がいいと思うのよね」
「王妃様が出資なさっている子供用品店のことですね。今回は役にたってもらいましたからそれはいいかもしれませんが、作業場を拡張するなら、近くの広めの場所に移転すればいいのではありませんか? 神殿の土地が売りに出るのは、まだ先の話ですよ」
「ぬいぐるみ工場だけではないわ。そばに賃貸住宅を建てるの。工場で働く人には安く入れるようにして。働き手は女性がほとんどだから、安全な住居を確保したいのよ。それに若い女性や小さな子供を持つ女性もいるから、託児所や学校も欲しいわね。ゆくゆくは工場や店で働く次の技術者を育てる環境作りも整えておきたいのよ」
「そういうことでしたら、手を回してみましょう」
「周辺の治安を悪くしないためにも他の土地の利用用途も早めに知りたいわ。資金がどれほど必要になるのかも」
「承知いたしました」
「王妃様、飲み物をお持ちいたしました」
私と事務官吏ユーロウスの間に割って入ったのは、侍女リリアだった。
珍しい。いつもなら黙ってカップを置くはずだけど、と彼女の方へ顔を向けると。
「陛下がいらっしゃいました」
遅いわよ、リリア。
もう睨んでるじゃないの。
「それでは、王妃様。そういうことで進めてまいります」
「お願いね」
事務官吏ユーロウスはそそくさと退出していった。
陛下の視線が冷たい。
最近は私の看病してくれていたから、すごくマイルドだったんだけど。今は。
青い目がクール。ひえひえ。
「いらっしゃい、陛下」
私はにこにこと笑顔で迎えた。
悪い事をしていたわけじゃない。少しばかり事務官吏ユーロウスを使って、ぬいぐるみ店の便宜を計ろうとしていただけで。
陛下に何も言ってないので少々後ろめたい気もするけれど。でも、ぬいぐるみ店の出資は私のポケットマネーという名の大事な個人資産から捻出したもの。配当金を貯めて、更に増やしたいと思うのは普通のはず。私のポケットも膨らみ、お店も潤い、従業員も潤えば万々歳。
そのために、ちょっとユーロウスを使ってしまうのは、仕方ないことよ。私が王宮を出て動き回ると、みんなが迷惑するし、宰相も嫌がるのだから。
ひたすら笑顔で、内心では言い訳を並べてたてていた。
元気がなかった陛下が嘘のよう。視線が冷たいったら。
「何の相談をしておったのだ?」
「別に?」
えーっと、薬の時間だったかな。
もうじゃりっとした極マズ薬ではない。普通にマズい薬になっている。
私は侍女リリアに助けを求めるように笑顔を向けた。
「リリア、お薬の時間だったかしら?」
「いいえ」
冷たいわ、リリア。
そして女官達が部屋を出ていく。
部屋には陛下と私が残された。
陛下が看病していたから、最近はいつもそうだったけど。今日は空気を読んで居てくれてもよかったのよと勝手なことを思う。
「ヴィルは今は絵本の時間よ」
「そうか」
ここにヴィルがいてくれたら、冷え冷え空気にはなりきらず和ませてくれたはずなのに、残念だわ。
今、ヴィルには発音の綺麗な乳母や女官達の読み聞かせに時間をとっている。私の発音でヴィルが覚えてしまうと困るからだ。
陛下の反応はそっけない。
執務の合い間に家族団欒の時間を過ごして気分転換するために来たんだろうに。
ユーロウスを頭を突き合わせて喋っていたのが悪かったらしい。
何かを企んでいるように見えたのかも。
何もしてないわよ? 大人しく過ごしているでしょ? やましいことなんて何もありませんから。
私は無言の笑顔でそう主張した。
「そなたは何故、金を増やそうとするのだ? 王妃として金を使えばよかろう!」
うん? 金を使え?
使わないなら使わないで、問題なくない?
王妃の予算も使ってるはずだけど、最近は何に使ったんだったかな。
確か、南街道整備事業に大投資したんだったわ。だって、国を挙げて商業拠点を造る計画っていうんだから絶対に儲かるし、大金投入すると戻りも大きいのよね。その戻りをポケットマネーに……。
元本は減らずに、私のお金が増えてるわね。でも一応、使ってはいる。でも、そういう意味ではないのだろう。
「ドレスは新しく作らせたわよ」
王都暮らしの時のドレスなどの支払いの多くは陛下の愛人手当てだったが、一部王妃の金で支払ったはず。だから、あのフリフリドレスも新しく作らせたことになる、はず。
「ほう? ドレスを新しく作らせたのか。余は見ておらぬな」
見てます!
あのフリフリ姿を見せました! 不本意だったけども。他にももう四、五着ほど新しいフリフリドレスがある。あの敗北感におそわれる恐ろしいドレス達。古着に出したいけど、新品のまままだクローゼットに入っている。
「着て見せてくれぬか? その新しく作らせたというドレスを」
あるなら見せてみろって?
ドレスを作らせたって嘘を言ってると思ってるらしい。
いつもなら陛下は私の行動くらい全部把握しているのだが。陛下の記憶がなかった時期のこと。陛下も詳細は把握していなかったらしい。
嘘ではない。
嘘ではないけど、あのフリフリを着て見せたいわけがない。あれは二度と着たくないドレスなんだから。
他に陛下が見てないドレスはなかったかと脳内を繰りまくっても、さっぱり出てこない。前にドレスを作ったのは三カ月以上前。しかも全く同じ基本形で色違いや少し飾りに変えて作らせたものを数着。仮縫いとか調整とか時間がかかるのを少しでも短くしたかったのだ。あれは形が同じすぎて、さすがに陛下の記憶にも残っているだろう。それより前になると産中・産後で体型がガンガン変化してた時だから……もう合わない。
マズい、ない。
「どうした、ナファフィステア? 余には見せられぬのか?」
「そうね、まぁ、陛下には、ちょっと……見せたくない、かな……」
「なぜだ?」
「失敗したの……そう、すっごく失敗作になったのよ、だからね」
「失敗作でもよい」
「嫌」
「ドレスを作らせたというのは、嘘なのか?」
「嘘じゃないけどっ、着たくないのよ!」
おかしい。ドレスの話じゃなかったはずよ。お金を使うとか使わないとかそういう話だったはず。
「お金はちゃんと使うわ。それで構わないでしょ!?」
「そういう問題ではない」
「どういう問題?」
「本当にドレスを作らせたのであれば、見せられるはずだ」
「作らせたわよ。……嘘じゃ、ないわ……」
嘘じゃないけど、誤魔化そうとした。嘘も誤魔化しも、されて気分いいことではない。
そうなんだけど。
「着なくても、持ってくるから、それでいいでしょ?」
「ならぬ。そなたのドレスかわからぬではないか。着て見せよ」
うーん。私のドレスかどうかなんて、普通の女性用とは長さが全然違うんだからわかるって。それなのに着て見せろと主張する。
これは相当に疑っているか、私に対する嫌がらせか。
ここまで意固地にさせてしまった以上、もう着て見せるしかないのか……。あの、フリフリを?
「笑わない?」
「……何を、だ?」
「いいわ、着て見せる。でも、見ても絶対に何も言わないで頂戴。絶対よ! リリア、ドレスを着替えるわ」
ええい、女は度胸よ。
プライドは捨てて、時には敗北を選ぶのも……。
と、自分を鼓舞したものの。
奥の部屋に入ったところで女官が掲げてくれているフリフリピンクのドレスを前にしては、敵前逃亡もやむなしか。
悩む私を無視して、女官はさっさと着替えさせてくれた。なんて手際のいい事。
そして、誰も、余計な事は言わない。
陛下と違ってさすがにわかってくれてるわ、女官達は。
「王妃様のお支度が整いました」
それを陛下に言ってしまうと、出ないといけないじゃないの。
度胸なんていらないし。敗北感に虚脱感。
ああどうしてこうも……。今この瞬間に世界が破滅すればいいのにっ。
私がうだうだと陛下の前に出るのを渋っていると、陛下の方がやってきてしまった。
「……おかしくはないではないか」
「何も言わないでって言ったでしょ! 陛下にはわからないのっ」
八つ当たりしてしまう。
このふりふりドレスを着れば、首が埋もれてピンクのだるまに頭が乗ってる不気味な物体と化すことはわかるっているのだ。鏡なんぞ見なくとも。
その場にしゃがみ込み、顔を伏せた。
「もういいでしょ? あっち行って」
早く着替えてしまいたい。
服の一つで私が変わるわけではないけど、私の気分には多大な影響を与えるのだ。
よりによって陛下に見せる悔しさったら。
愚図っていると、身体がふわりと持ち上げられた。
「王都で暮らしていた時に作らせたドレスか。泣くほどおかしくはあるまい」
「……泣いて、ないわよ……」
ちょっと悔しくて気に入らなくて、目の端に水が滲んだだけよ。
「あの家では同じようなドレス姿だったではないか」
「あの時は街娘だったから、あの格好じゃないとダメだったから諦めてたのよ。もう着なくてもいいと思ってたのに……」
「街娘も似合っておったが……それほど気に入らなかったのか」
「気に入らなかったわ」
「街の暮らしが気に入ったのではなかったのか? そなたは王宮へ戻ろうとはしなかったではないか」
「陛下が迎えに来ると思ってただけ」
「そうか。余が迎えに行くのが遅かったのだな」
「そうよっ」
「これから王宮で暮らすのならば、金は必要あるまい?」
「いいえ、必要よ。ヴィルの誕生日プレゼントには私のお金でプレゼント買ってあげたい」
「……何を買い与えるつもりなのだ」
「もしも私とヴィルが王宮を出されたら、私がヴィルを養わなくちゃいけないし、陛下が王宮を出されたら、私は二人を養わなくちゃいけないでしょう。子供が増えたら、その子はいずれ王宮を出るから実母として資産をうんと分けてあげないといけないのよ。だからお金は必要です」
「そのようなことを、そなたが心配する必要はない」
「何が起こるかわからないのよ。病気になっても良く効くお薬は高いし。お金は役に立つわよ?」
「……まあ、よい」
陛下の冷たい雰囲気はなくなっていた。背中を軽く撫でているところをみると、不貞腐れた子供をあやす陛下、という感じ。
ふりふりモコモコドレスの大きな子供を抱えてるわけだし、間違いではない。鏡で見たくはないけど。
私も打ちのめされた最下層から気分が落ち着きを取り戻しつつある。結局、陛下が何を不機嫌だったのかというと。お金を使わないで貯めようとしてるのが気に入らないと思われる。そもそも王妃が金のことを考えてる段階で、陛下的にアウトなのかも。夫を甲斐性なし扱いしてるって? よく、わからない。
「着替えるわ。降ろして」
そう言うと、大きな溜め息を吐かれた。
「新しいドレスは、余が手配しておく」
「いらないわ」
「そのドレスで式典に参加したくはあるまい」
それは絶対に嫌。
私は黙って頷いた。
呆れた様子の陛下だが、怒っているわけではなくて普通で。暗く沈んでいた気分からは脱したらしい。
過保護で気落ちした陛下より、こっちの陛下の方がいいなと思う。過保護な陛下はずっと付いててくれて、甘いし、怒らない。凄く優しくていいんだけど。
やっぱり、執務に時間を忘れて、たまに思い出してきてみれば何してるんだと不機嫌になるほうが陛下らしい。怒鳴られたいわけじゃないけど。
ドレスを着替えると陛下はいなくなっていた。
また執務に戻ったらしい。
で、式典に参加? 陛下がそう言ってたのは?
「リリア、私が出席する式典があるの? ユーロウスは何も言ってなかったけど」
「陛下がいらっしゃったので、控えたのでしょう」
リリアの言葉は表情のわりに冷たかった。
内心では、あの馬鹿は余計な事ばかり話して肝心なことを伝えない役立たずがっ、とか思ってそうだ。当たらずとも遠からずかな。
式典は、王家を護る故王妃を悪の手から救いだし、王宮へ取り戻した私に対して特別な名誉が与えられるためのものらしい。
私の快復を待って執り行われるので、すぐにという訳ではない。
そんな式典にあのフリフリドレスで出席するなんて絶対にあり得ない。さすがに陛下も新しいドレスがなくとも、あれはないとわかっていたはず。あれは庶民の子供向けドレスなのだから。
知ってて口にするとは、意地が悪い。
私が凝ったドレスを作らせようとしないからなのだろう。
仕方がない。今回は主役級のドレスにしてもらおう。時間がかかりそうだけど。
「リリア、ドレスメーカーに式典用ドレスのデザイン画を頼んでおいて」
「はい。すぐに」
「宝飾品も頼んだ方がいいかしら?」
「そちらは陛下がご用意くださいます。王妃様のためのものですので、陛下が自らお選びになってくださるでしょう」
リリアは、とても誇らしそうな顔だった。
でも、リリア。陛下にセンスないのをわかってて言ってる?
と思ったけれど、口には出さずにおいた。
陛下は国王陛下だから。
「さて、そろそろヴィルのところへ行きましょうか」
私は立ち上がった。
それを受けてリリアが他の女官達に合図を送り、騎士達がゆっくりと動きだす。
王宮の日常は多くの人に支えられて、ある。
戻ってきたんだな。そう思った。
~The End~




