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日記  作者: ダイすけ
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美咲の日記 その17の3

美咲の日記 その17の3


 あたしは立ち止っていた。木村律子と書かれた部屋の前で。後ろにはあたしの背中に手を添えている真由がいる。

 あたしは一度だけ、唾をごくりと飲み込んだ。そして「行くよ」とひとり言を呟くようにいった。病室の扉に手を掛けた。そしてあたしは一気にそれを引いた。見た目よりも意外と軽く開いた扉を通り過ぎるように、あたしは大股で一歩を踏み出していった。

 中の広さは室名札にあった通り、一人部屋らしい狭さだった。カーテンが中途半端に閉まっていたので、ここからではベッドの様子までは窺えない。

「すいませーん」

 あたしは病室ということもあり、声を押え、遠慮気味にいったが、返事はなかった。あたしはまた一歩中に入り「だれかいませんかあ」といったが、またその問いかけにも反応はない。

「どう?誰もいないみたい?」

 真由も怪訝そうな表情であたしの横に並び、一緒に中の様子を窺っていた。

「いないみたいだね」

「そうだね」と答えるあたしは、部屋の中に漂う異様な空気を感じていた。「何か、変じゃない?」というあたしの言葉に真由はツカツカと中へ歩いて行き、中途半端に閉まっているカーテンを一気にめくった。

「もしかして・・・運ばれたんじゃないかな」

 真由はカーテンを掴んだままの体勢で、口だけを動かしていった。

 あたしは返す言葉が見つからなかった。でも内心あたしも真由に同感していたのだ。

 真由とあたしがそう思った理由。あたしたちの視線がある場所で釘づけになっていた理由とは・・・

この部屋には今、ベッドがないということだった。そして、多分その脇に立っていたであろう丸イスが無造作に倒れていたこと。そしてもうひとつ、枕元のナースコールのボタンがぶら下っていたことだった。

 あたしの胸騒ぎは、静まるどころか余計に動悸を感じるほどに高まっている。胸の辺りの服を掴んだ。気が遠くなっていきそうだった。

 その時だった。

「ご家族の方ですか?」と背後で声がしたので、真由とあたしは同時に振り返った。そこには片手にバイダーらしいものを抱えた看護師さんが立っていた。若く見えるが、帽子には線が2本ひいてあった。

「あのお、この部屋の方は」

 真由の恐る恐るないい方に、看護師さんはとてもいいづらそうに答えた。「容体が急変した」のだと。

「大丈夫なんですか?」

 あたしは反射的に訊いたが、その表情は更に曇ってしまった。

 あたしたちはその看護師さんに一礼し、部屋を飛び出した。そして以前に通った階段室まで一気に走っていた。無我夢中、そんな言葉が当てはまるくらいに走った。すれ違う小走りする看護師さんを見ると、悪い予感を覚えてしかたがなかった。木村律子という人が誰なのかも、どんな人なのかも、あたしとはどういう関係なのかも知らないのに、あたしの心は動揺していた。

 重たい鉄のドアを勢いよく開き、あたしたちは身を隠すように飛びこんだ。

「一旦、帰ろうか」真由は息を切らしながらそういった。「ここにいても、家族でない限りは関われないよ」

 真由のいい分は間違っていなかった。例えここで木村律子の容体について調べたとしても、それをあたしたちが知る権利も、あたしたちに教える義理も、義務もまったくないのだから。落胆の色を隠すことなく、あたしは同意した。

「少し時間をおいた方がいいかもね」と真由は鉄のドアを開きながらいった。「美咲も気持ちの整理、した方がいいよ」

 俯きながらあたしはそれを訊いていた。走ってきた廊下を戻るようにして、エレベーターに向かって歩いていた。

(他人なのに、どうしてこれほどまで動揺するの?)

 腑に落ちない疑問を考えながら歩いていたあたしは、突然現れた車椅子の患者さんと衝突しそうになった。

「ご、ごめんなさい」

 つい口走ったあたしに、ムチムチした手のおばさんが「大丈夫だよ」と笑顔でいってくれた。

「大丈夫?美咲」

 真由はまたあたしの背中に手を回し、まるで介抱でもするようにエレベーターの前まで連れていってくれた。

「大丈夫かな」

 あたしは見ず知らずの木村律子を心配していた。それと同時に白髪のおばあちゃんのことも思い出していた。あたしに顔が似ているおばあちゃんだ。

「美咲、ほら乗るよ」

 真由はすでにエレベーターの中にいるが、あたしは何故か乗ることを躊躇っていた。何故なのかはわからないが、今ここで帰ってしまうと、もう一生会えないような気がしたから。会ったこともない木村律子に対してだ。

「美咲、扉閉まっちゃうよ」といいながらあたしの腕を引っ張った真由。と同時に閉じ出した扉。

 あたしは叫んでいた。閉まる扉へと向かって。あたしと木村律子とを隔てようとしている扉へと向かって。

「死なないで・・・」と。

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