高密度脂肪酸の熱狂──アボカドとチーズの濃厚キーマカレー──
──世界は、第一章の崩壊を経て、最初からスパイスの赤と脂肪酸の黄緑が混ざり合ったカオスとしてディップされている。
「深夜に失礼。ちょっと表の看板が気になってね。……うん? 君、いま怪しい緑色の液体を『精製』とか言わなかったかい?」
深夜のアボカド専門店『ザ・インキュベーション(大いなる抱卵)』に、カツカツと堅い足音を響かせて入ってきたのは、制服姿の警察官の男だった。
第一章のサラリーマンが「文字数と理性の限界」を迎えて黄緑色の深淵へと堕ちていった、まさにその同じカウンター。そこに新しく座った彼は、世界の裏で蠢く要注意団体『ワカモレの黙示録』の存在など露ほども知らない、至って「健常」な人間だった。ただ、夜勤のパトロールによる冷気と飢えで、彼の胃袋の防衛線は極限まで低下していた。
「いらっしゃいませ、お巡りさん。ただの仕込みですよ」
「ならいいんだが。……ふぅ、それにしても最近の東京は、妙に街路樹の緑がねっとり濃くなった気がするな。気のせいか?」
気のせいではない。この世界線はすでに第一章のラストで一度、アボカドのドグマによって再構築されているのだから。
僕は、彼の目がまだ不飽和脂肪酸のドグマに濁っていない、無垢な正義の光を宿しているのを見届け、静かに不敵な笑みを浮かべた。ターゲットロック。僕は、彼をこの狂った世界線の深淵へとさらに引きずり込むため、最も暴力的な熱量を持つ【それ】を調理し、カウンターへサーブした。
『高密度脂肪酸の熱狂──アボカドとチーズの濃厚キーマカレー──』。
それは、ただの深夜の背徳グルメではない。
皿の中央にこんもりと盛られた、五感を刺激するスパイス薫るひき肉の山。その周囲を完璧な防護セクターのように取り囲むのは、美しく放射状に並べられたアボカドのスライス。そして頂点からは、現実のファブリックを覆い隠すように、ドロドロに溶けたラクレットチーズの濁流が惜しげもなく注がれていた。
「おいおい、なんだこれは。カレー……なのか? エライ黄色と緑がサイケデリックに融合しているが……」
「ただのSNSでバズりそうな映えメニューですよ。若者が深夜に食べて翌朝胃もたれする、ありふれた現代の背徳飯です。さあ、スプーンでその中央の核を崩してください」
「はは、カバーストーリーって何だい。じゃあ、お言葉に甘えて……いただきます」
世間一般の人間は、アボカドチーズカレーを「まろやかでコクがあって美味しい女子ウケメニュー」だと思っている。だが、それこそが隠蔽されたミームだ。
激辛スパイスという名の「絶対悪の咆哮」を、アボカドのオレイン酸とチーズ of の乳脂肪という「最強の脂質二重層」で包み込む。それが、飢餓状態で無防備になった警察官の胃袋にダイレクトに侵入する時、それは職務への使命感(理性)を瞬時にクラッシュさせる概念兵器となる。
彼は、先端が少し尖ったスプーンを、アボカドとチーズの要塞へと突き立てた。ねっとりと糸を引く黄白の濁流が、ひき肉の赤と完全に攪拌されていく。
それを、大きな口で一気に運んだ。
「──ッ、あ、ガハッ……!?」
お巡りさんの身体が、制服の上からでも分かるほどにビクンと強張った。
口内で起きたのは、単なる「美味しいカレー」というレベルの現象ではなかった。スパイスの鮮烈な辛味(痛覚)を検知した次の瞬間、それを即座に包囲・無効化するアボカドのねっとりとした油分と、すべてを暴力的な美味で支配するチーズのコク。
その3つの情報パケットが衝突した瞬間、彼の健常な脳内で、強烈な多幸感が発生した。
「美味すぎる……ッ! なんだこれは、辛いのに全くトゲがない! スパイスの刺激が、アボカドの濃厚なクリーミーさとチーズの油分で、完全に……現行犯逮捕されている……ッ!!」
「それが『グアカモーレの包囲網』です」
男は公務員としての威厳をかなぐり捨て、涙目でスプーンを動かし始めた。
深夜の住宅街で、スズメが「チュン(多次元無化コード)」と鋭く鳴いた気がしたが、今の彼の耳には、ただ口内で爆発する背徳の咀嚼音しか聞こえない。
ふと見ると、店の外の暗がりに、脳を脂肪酸で満たした要注意団体『ワカモレの黙示録』の狂信者たちが集結していた。第一章でサラリーマンの最期を看取った彼らは、今度は国家権力がワカモレのドグマに屈していく姿をスマートフォンのオカルト掲示板に実況しながら、恍惚とした表情で三角形のチップスを掲げて祝福していた。
「ああっ、ダメだ、スプーンが止まらない! 深夜のカレーとアボカド、これは重罪だ、重罪だが……美味すぎる!」
皿の上のエネルギーが、猛烈なスピードで消えていく。
第一章の崩壊を生き延びたこの世界線で、まだアボカドに染まっていなかったはずの健常な防衛線が、今またねっとりと侵食されていく。
「マスター! お代わりだ! いや、これは押収だ! 職務質問は中止する、私の全カロリー規定値をこの黄緑色のドグマで上書きしてくれええええ!」
「毎度あり。次の巡回時間が許す限り、たっぷりサーブしてあげますよ」




