表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/28

20 お疲れさまでした

「はぁ……はぁ……」

 目を開けることも、喋ることもできずに、荒い呼吸だけを繰り返すお玉のそばに、綾子は座る。


「頑張って」


 点滴をし、熱を下げるために冷水を入れた革袋で要所を冷やし、湯桶を置いて部屋の湿度を上げて。

 できることはやっている。これで回復する人としない人の差はわからない。


「頑張ってください」


 特効薬というものはなく、ただ現れた症状を落ち着かせる対症療法で精いっぱい。

 そしてそれさえも尽きたこの部屋では、祈ることしかできないのだ。


「頑張って……」

「……ね、さま……?」

 綾子の願いが通じるように、小さな声が聞こえた。


 ハッと目を開けると、ゆっくり、わずかに、押し上げられた瞼から見えた、小さな光。


「お玉さん」

 綾子は、お玉の手を取り、そう呼びかけた。


「あ……ね、さま……」

 目が見えていないのだろう。目線は合わない。それでも、確かに手は握り返してくれる。


「ここにいますよ」

「……よか……っ、た……」

「私がそばにいます。必ず、必ず助けます。だから頑張ってください」


 医術に絶対はない。それはわかっていても。お玉を元気づけるために、綾子はそう告げた。

 すると、お玉は安心したようにふっと微笑み。


「……おか……さ……」

 次の瞬間、綾子の手から、お玉の手が滑り落ちた。

「……お玉さん」


 もう綾子の呼びかけに答えることはない。

「……っ」

 涙は出なかった。きゅっと口を結び。姿勢を正して、綺麗に頭を下げる。


「……お疲れ様でございました」

 すっと立ち上がり、兄を呼びに部屋を出る。


 布団の横の畳に、小さなしみが1つ、浮き出ていた。




「お玉! お玉ぁ!」


 迎えに来た家族に遺体を引き渡す。泣き叫びながら遺体を抱きしめる母親のそばで、父親は静かに頭を下げる。


「あなたがいてくれて、よかった」

 その言葉は、綾子に向けられていた。


「娘は安心していけたでしょうから」

「……力及ばず、申し訳ございません」


 綾子はその場で頭を下げた。

 お玉を連れて家族が出て行くと、綾子は静かに振り返る。


「う……っ、グス……っ」

「露、泣き止みなさい」

 鼻をすする妹を、たしなめた。


「泣いてはいけません」

「姉さま……っ」


 涙の浮かんだ瞳で見上げる妹に、綾子は厳しい視線を向ける。


「綾殿、よろしいのでは……? お玉さんとは面識があったわけですし……お露ちゃんはまだ幼いですし……」


 伊藤が露子を庇うが、綾子は首を振った。


「露は医術師でしょう。医術師は患者様を安心させるのも仕事の内。涙を見せては、患者様が不安になります」

「……はい……っ」

 露子はぎゅっと唇を噛んで涙をこらえる。


「さ、患者様は他にもいますよ。仕事の続きです」

 綾子はそう告げて、持ち場へ戻っていった。


 その背中を、弦太郎が心配そうに見つめていた。




 それから数日後。空に浮かぶ白いすじを、綾子は黙って見上げていた。

 青空に、高く、高く昇っていく、白い煙。


「綾子さん」

 岩木の声に、綾子はゆっくり振り返る。


「終わりましたね」

 そして、そっと告げた。


「そうですね」

 岩木が短く答える。


「8人」

 再び空に目を移す。


「この診療所で亡くなった方々の数です」

 ずっと、ずっとなくならない煙。


 ひとりひとりの顔、そしてその家族の顔を浮かべる。苦しそうな顔や、悲しそうな顔しか出てこない。

 しかし、その中でたったひとり。笑顔を知る人がいた。


「泣いてもいいんですよ」

 岩木の声が優しかった。


「泣きません」

 綾子ははっきり答える。


「亡くなった患者様のことは、心に刻みます」

 もう二度と同じことを繰り返さないように。そう誓うことが、災害で命を落とした人々への敬意の表れだ。


「予防接種を広めます」

「はい」

「父の話では、予防接種が広がれば、麻疹は怖い病気ではなくなるそうです」


 もっと早くそうしていれば。父が広めていれば。彼女は、生きていたかもしれない。

 医術にたらればないとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。


「麻疹にかかる人がいなくなれば、石碑を建てましょう。ここで命を落とした方を弔うために」

「いいですね」


 終わった。しかし、終わっていない。時代は巡る。再び同じ事態に陥った時、今のように後悔しないように。人間は、勉強していくのだ。


「綾」

 縁側から弦太郎が声をかける。


「岩木さんも」

 弦太郎は笑顔だった。


「少し休みなさい。しばらくゆっくり休めなかっただろう」

「必要ありません」

 綾子はそう言って縁側から診療所に入る。


「必要だよ。疲労は判断力の低下につながる」

「ちゃんと休みました」


 大人しく言うことを聞かない頑固な妹に、弦太郎は呆れる。そこへ、元気な足音が聞こえた。


「姉さま! 患者様から温泉の割引券をもらいました!」

「治療費以外もらってはいけないと言っているでしょう。返してきなさい」

 たくさんの紙を手に嬉しそうな妹を、綾子が叱る。


「イヤです! 兄さま、いいですよね?」

「ご厚意だからね。ありがたくいただこうか」

「ほら!」

「……兄上、露を甘やかさないでください」


 妹から券を奪おうとする綾子と、その手から逃れる露子が、弦太郎の周りでひょいひょいと動き回る。


「はいはい。仲良くね」

 弦太郎は妹2人をなだめ、

「露、それは何枚ある?」

 と尋ねる。


「みんなの分です!」

 露子が得意気に掲げた。その隙にと綾子が奪う。


「あっ! 姉さまが取った!」

「綾、いただきものだよ。大切にね」

「大切にしないのは露でしょう。私が預かります」


 相変わらずじゃれあう姉妹に、弦太郎は笑った。

「今からみんなで行こうか」

「本当ですか!」


 嬉しそうな露子に、

「では、私と露が残ります。診療所を留守にはできませんから」

 と綾子が告げる。


「たまにはいいよ。ここ数日、働きっぱなしだったんだ。休息も大切だ。ね?」

 兄の言葉にも一理ある。


「……わかりました」

「やったぁ!」

「準備して参ります」


 露子が嬉しそうに駆けだすそばで、綾子はふと振り返る。そこには、ずっと黙って立っていたらしい岩木が。


「岩木様も行きますよね」

「は……ま、まぁ、割引券があるのでしたら」

「全員分ありますから。皆様も誘いましょう」

「はい」


 彼も室内に入っていく。


「帰りはそば屋にでも行こうか」

「贅沢すぎます」

「頑張ったご褒美だよ」


 なぜかいい気になっている兄に、綾子は呆れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ