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19 見送り


「綾殿、よろしくお願いします!」

「はい、こちらに寝かせてください」


 弟子たちが次から次に患者を運んでくる。その中を、綾子はさばいていく。


 予防接種を終えて、診療所内は自由に行き来できるようになったとはいえ、この部屋に立ち入るのは限られた人だけ。この場では、綾子と岩木のみと決められた。


「いやぁ、忙しいですね」

 気休めにしかならないだろうけど、と口と鼻を布で覆いながら、伊藤は明るく笑って出て行く。


「綾子さん、見てもらえますか」

「はい」


 岩木に呼ばれ、綾子は隣に座った。点滴の針がきちんと刺さっていることを確認して、

「大丈夫です。薬を入れてください」

 と答える。点滴の手順はもうすっかり覚えたようだ。


 その時、すぐそばでムクリと起き上がる患者を見つけた。


「まだダメですよ。寝ていてください」

「うるせぇ……っ。オレは……医術師になんか……っゲホッ!」


 綾子が慌てて駆け寄り手を伸ばすが、患者はその手を振り払う。


「離せ……帰る……ゲホッ、ゴホッ!」


 じゃあ帰ればいい。なんて思いはぐっとこらえておく。この患者を野放しにすれば、疫病はまた広がっていくだけだ。


「落ち着いてください」

 岩木がすっと患者の背中に手を添えた。

「あと5日もすれば帰れます。今のまま帰っても、つらいだけですよ」


「知るか! ゴホッゴホッ!」

「家にお孫さんがいらっしゃるでしょう。お孫さんにうつしたら、命を落とすかもしれません。お孫さんのためと思って、治るまでいてください」

「……っ」


 岩木の口からそれを聞くと、男性は諦めて横になった。


「……ありがとうございます」

「いえ。弦太郎殿の真似をしただけです」


 うってかわって、淡々とした様子。優しく患者を諭したかと思えば、いつものように淡々とした一面もある。おもしろい男だ。


「み、みず……」

 患者の中から聞こえた声に、

「すぐお持ちします」

 綾子はそう答えた。




「綾殿!」


 伊藤がまた患者を運んできた。その腕に寝ていたのは、

「お玉さん……」

 見知った顔だった。


「……っ」


 里にいる時は、知った顔が病に倒れることなんて日常だった。医術師としてできることをするだけだと、綾子は気を引き締める。


「そちらに寝かせてください。岩木様、補液の準備をお願いします」

「はい」


 横になったお玉のそばに膝をつき、綾子は点滴の準備をする。


「あ……綾姉様だぁ……」

「お久しぶりです」

「やっと、会えたぁ……」


 嬉しそうにほころぶ笑顔には、汗が浮かんでいて。赤い発疹が痛々しい。


「また、助けてくれるの……?」

「お玉さんが私の言葉を聞いてくださるなら」

「ふふ……じゃあ、大丈夫かぁ……」


 いつもの元気はない。熱が出ているのだから、当然だ。

 火のように熱い腕に手を置き、針を刺す。そして、点滴とつないだ。


「寝ていてくださいね」

「はぁい」


 弱々しい返事を聞き、綾子はまた忙しく動き回る。


 この流行が収まったら、予防接種を広めてもらおう。体内に菌を入れるのだから抵抗がある人は多いだろうが、滝川に頼めばなんとかなるはず。予防接種をするだけで、発症を防げるのだから。


「綾子さん」

 岩木の声に、ハッと振り返った。


「危篤です」

「……っ」

 隣町から運ばれてきた男性だった。


「隣の部屋に運びましょう」

 岩木と協力して患者を隣に運ぶ。ここで病と闘う患者たちに、その病によって命を落とす人を見せたくなかったから。


「岩木さん、こちらは任せてもいいですか?」

「はい」

 岩木に看病を任せ、綾子は危険な状態の患者の手を握る。


「……頑張って」

 そっとつぶやく。

「あなたを待っている家族がいます。頑張ってください」


 どんなに治療を続けても、助けられない命もある。それはわかっていても、患者の生命力、運、神様、何にすがってでも、助けたかった。医術を信じて、頼ってくれたのだから。




 男性が息を引き取ったのは、翌日の夜のことだった。


「お疲れ様でございました」

 姿勢を正し、三つ指をついて、丁寧に頭を下げる。


 助けられなかった。そんな悔しさは、表には出さないように。


「兄上」

 部屋を出て、治療に当たる兄を呼ぶ。忙しそうに振り返った彼は、ふと動きを止めた。


「……うん、わかった」


 何も言わずとも、伝わった。そう頷き、患者の目につかないように遺体を運び出す指示を出す。


 静かに運び出される遺体を、綾子は頭を下げて見送った。露子もその場で深々と頭を下げる。それを見て、弟子たちも倣った。


 この診療所ができて初めて、命を送り出した瞬間だった。




 悲しみにくれる暇はない。患者は次から次に運び込まれてくる。


 弦太郎が指示をしたのだろう。都の診療所の機能を止めないように、流行り病に対応する診療所は定めておく。綾子たちの診療所はそのひとつ。


 そのため、麻疹の患者は後を絶たない。たくさんの患者を見送った。元気に出て行った人も、何も言わずに出て行った人もいた。


 ひとつひとつの命と、丁寧に向き合った。

 そう言えるはずなのに。患者を見送った時の無力感は、やっぱり拭えない。


 おごりだと言われても、過信しすぎだと言われても、全ての命をすくいたかった。




 危篤となった患者を見守る部屋で、綾子は1人、対応に追われていた。

「綾子さん」


 岩木に呼びかけられる。すぐに襖に駆け寄り、

「はい」

 と答えた。


「ひとり、いいですか」

「……はい」


 またか。ここが最後の砦。この部屋から回復した患者だっている。そう信じて、襖を開ける。

 岩木が抱いていたのは、お玉だった。


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