第13章:灯の消えない場所
その夜、モラの店には珍しく人が多く集まっていた。
「モラズ・キッチン」と書かれた古びた木の看板は、ほんのりと暖かな灯に照らされて揺れている。
店内では、木製のテーブルを囲んで何人かが談笑し、湯気の立つ皿からは香ばしい匂いが立ち上っていた。
奥の長テーブルには、ライナ、ジュリアン、イナ、ミーラ、セオ、ノア、そしてエレナが揃っていた。
その周囲には、大勢のクラディアの住人たちも顔を見せていて、それぞれの席で談笑したり、楽器を弾いたりしていた。
誰もが静かに、でも確かに、この夜が“特別な時間”であることを感じ取っていた。
モラはカウンターの奥で鍋をかき混ぜながら冗談を飛ばし、店中を包むような声で笑っていた。
「なによ、あんたたち、明日出てくってのに暗い顔なんてしてんじゃないよ。
泣くのは出てってからにしな!」
そう言ってテーブルに湯気の立つスープと、焼きたての特製パイを並べていくと、セオが大げさに肩をすくめて言った。
「はは、結局ここがこの街で一番のレストランってわけだな。……まあ、飯が食えるのはここしか無いんだけどな」
みんなが笑い、ノアもようやく口元を緩めた。
しかし、その場にいた誰もが、どこかで感じていた。
──これは、戻れなくなるかもしれない夜だと。
言葉には出さない。誰も口にしない。
その静かな予感が、皿の温もりの奥に、グラスの揺れの中に、確かに染み込んでいた。
エレナはふと、天井の明かりを見上げた。
その光は柔らかく、まるで「灯の消えない場所」とでも呼びたくなるような、温かな色だった。
⸻
夜は静かに明けた。
クラディアの空は澄んだ青に染まりはじめていた。
前夜の晴天を引き継いだ空気は静かで、ひんやりとした冬の冷たさだけが、旅立ちの朝を静かに包んでいた。
モラズ・キッチンの裏手には、準備を整えたノアとエレナ、そしてライナたちの姿があった。
荷物は最小限にまとめられ、武器や携帯端末、必要な補給品が手際よく収納されている。
モラが小さな袋を抱えて現れた。
「ほら、これ。道中で食べな。パイは冷めても美味しいし、スープは無理だけどパンくらいはね。
……うちの看板に恥かかせんじゃないよ?」
セオがその横でうなずいた。
「こいつは本当に、クラディアの“胃袋”だからな」
ノアが苦笑しながら頭を下げた。
「ありがとう、モラさん。忘れません、絶対」
モラは何も言わず、ただ軽く手を振った。
出発の時は、特別な号令も合図もなかった。
ただ、風が少しだけ向きを変えたような気がしただけだった。
モラズ・キッチンの軒先で、ジュリアンが手をポケットに突っ込んだまま、彼らの背中をじっと見送っていた。
「補給が必要になったら、通信を入れてくれ。回線は繋がってる」
そう言いながらも、その声には少しだけ寂しさが滲んでいた。
ノアが小さく手を上げた。
「ありがとう、ジュリアン。──必ずまた会おう」
ジュリアンは返事の代わりに、顎を軽くしゃくってみせた。
ノアとエレナが先に歩き出す。
そのすぐ後ろに、ライナ、ミーラ、イナが続く。
振り返ることはなかった。
しかし、その背中には──確かに、誰かの想いが置かれていた。
灯の消えない場所から旅立った者たちは、今、新たな風を受けて歩き出していた。




