第10章:記録されない都市
かすかに空気が揺れた。
古い建材がきしむ音が、静かな部屋に響く。
そこはクラディア西側の奥まった一室──もとは気象観測設備の管理室だった場所。
今は、限られた者たちの会話のために使われている。
ホログラム端末の発光が、わずかにライナの頬を照らしていた。
その正面にはエレナとノア、そしてイナとセオが座っている。
「……つまり、ハイペリオンは表向き“再生”を掲げながら、裏では“選別”を始めてる。問題は、それが誰の手にも止められないってこと」
ライナの言葉に、ノアがうなずく。
「兄さんは、それを止めようとしてるのか。でも……一人じゃ無理だ。戦力も、情報も圧倒的に足りない」
そのときだった。
「来たな」
セオが扉の方へ目を向けると、重たい音を立ててドアが開いた。
先頭に立っていたのは、ジュリアン・ネヴァ。
そしてその後ろに──
「彼女だよ。ゼファルから来た」
ジュリアンが振り返り、淡々と告げる。
現れた女性は、灰色の防寒コートを羽織り、優しい眼差しを持っていた。
ポニーテールに纏められた髪、小柄なシルエットにはどこか都市の影をまとっていた。
「ミーラ・ローレン。第9構成区ゼファルから来たよ」
彼女は短く名乗った。
「久しぶりだね、ライナ」
「来てくれてありがとう。ゼファルは今も変わらず?」
「変わらずだね。多くの人たちがそれなりに豊かに暮らしてる。でも情報は色々手に入るから」
ライナが席を指差すと、ミーラは静かに腰を下ろし、すぐに腰のホルスターから古い端末を取り出した。
ホログラムが投影され、第7構成区・イグジスが浮かび上がる。
「これは、たまたま拾ったデータ。ハイペリオンが資材を大量に匿名搬入してる。AIネットに記録されていない、いわば“闇の流通”だよ」
イナが画面を覗き込みながら息を呑む。
「地表再生じゃない……この量は、兵器製造レベル」
「正確には分からない。でも、“外に出てきた者がいない”という事実がすべてだね。
……人が消える。それが、ハイペリオンの“内部”ってこと」
ノアがミーラを見つめたまま、口を開く。
「そこに、俺たちの兄さんが向かっているのだとしたら、絶対に止めなきゃならない」
その言葉に、ミーラの目がわずかに揺れた。
「アッシュのこと?」
ノアとエレナが驚いたようにミーラを見る。
「知ってるのか……?」
「名前だけじゃない。ゼファルにも通信が届いていた。“指導者の名前”としてじゃない。“怒れる一人の青年”として。
彼の語る言葉は鋭かった。理屈より先に、感情が動いていた。
それでも……誰もが彼を、見捨てられなかった」
エレナが小さく息を吐いた。
「その彼を、止めたいの。争いじゃなく、別の形で」
ミーラはしばらく沈黙し──やがて、ノアとエレナの顔を交互に見た。
「……あなたたちはアッシュの兄妹なの?」
セオが苦笑交じりに割って入る。
「驚くなよ、ミーラ。この2人、親子なんだとさ。母がエレナで、息子がノア。……ああ、それと、アッシュの“母親”でもある」
その言葉に、ミーラは数秒間動きを止めた。
視線が静かに、エレナの目を捉える。
「……まさか、あなたが、エレナ・クロノヴァ……?」
エレナは何も言わず、ただうなずいた。
「本物だなんて……」
ミーラはそう呟いて、端末を閉じた。
表情からは驚きも感情も消えている。
ただ、思考が止まらないだけだった。
「なら、あなたたちに渡すべき情報は、もっとある。
わたしは、あなたたちのためにここへ来たわけじゃなかった。でも──今、考えが変わった」
ライナが微笑んだ。
「それでいい。彼女たちは……世界を変える人たちかもしれないから」
雷鳴がまた遠くで唸った。
そしてそのとき──
ゼーレを貫く旅の軌跡が、静かに、新たな座標を結び始めていた。




