表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/23

絶対不屈の魂と、神々の焦燥

――そこは、無限の広がりを持つ全知の神殿だった。



天地の概念すら曖昧な白き空間に、世界の運命を司る最高位の『運命の神』、万物を慈しむとされる『至高の女神』、そして破壊と混沌を統べる『絶対の魔神』が鎮座していた。神話の主役たる超常の上位存在たちは、一切の妥協を許さぬ神々しい威光を放ちながら、中央にぽつんと浮かぶ一人の人間の魂を見下ろしていた。


つい数分前まで、彼は日本のブラック企業で徹夜明けの泥水をすするようなコーヒーを飲んでいたはずだった。

前世での人生は、文字通り「他人の利益のために全身の肉と骨、精神の髄まで搾取され尽くす毎日」だった。



幼い頃は親の過度な期待に応えるための道具として扱われ、学校では歪んだ規律に縛られて個性を摩り下ろされた。社会に出てからは、さらに壮絶な地獄が待っていた。就職した先はいわゆる超ブラック企業。毎月の残業時間は二〇〇時間を優に超え、休日など数ヶ月に一日あれば良い方だった。


上司からの人格否定を交えた怒号、深夜のオフィスに響く同僚の鳴咽。終わらない業務の山を前に、睡眠時間は毎日一時間か二時間。肉体は常に悲鳴を上げ、脳は疲弊しきって正常な思考を失っていた。


どれだけ尽くしても、得られるのは雀の涙ほどの給与と、さらなる理不尽の押し付けだけ。手柄はすべて上司に奪われ、失敗の責任だけを押し付けられた。心身が限界を迎え、文字通り脳の血管が千切れてデスクに突っ伏した瞬間、彼が感じたのは死への恐怖ではなく、「ようやく、ようやくこれで解放される」という底なしの安堵だった。



死んで、すべてから解放された。そう思った。

なのに今、意識を取り戻した彼の前に広がっていたのは、黄金の光を放つ三柱の巨大な人影――世界の頂点に立つ神々の姿だった。



「目覚めたか、迷える魂よ。私はこの世界の運命を司る神。そして隣に立つのは至高の女神、および絶対の魔神である」



運命の神が、空間全体を震わせるような威厳ある声で告げた。その背後では、至高の女神が慈悲深い笑みを浮かべ、魔神が腕を組んで傲然と見下ろしている。



「お主よ。元いた世界での人生は実に痛ましくかつ強靭なものであった。その『極限の理不尽に耐え抜いた不屈の精神』こそ、我が異世界が求めていたもの。今、この世界は魔王軍の脅威によって崩壊の危機にある。君には新たな肉体と、神々の加護たる【万象解明システム】を授けよう。それを用いて異世界へ降り立ち、救世主として魔王を討伐するのだ。これは神々からお主へ与えられた大いなる使命であり栄誉である」



続けて、至高の女神がうっとりとした表情で、それがどれほど素晴らしい特権であるかを語り継いだ。



「喜びぶが良い、人間よ。これから赴く世界は、かつて君がいた退屈な泥の星とは違う。美しき精霊が舞い、奇跡の魔法が実在する神秘の世界だ。そこで君は『救世主』という唯一無二の座を与えられる。人々は君の足跡を称え王族すらも君の前に跪き数多の美女たちがその愛を請うだろう。前世では奪われ続けた君に、私たちは全ての頂点に立つ権利を、至高の名誉を、そして何不自由ない無限の幸福を約束しましょう。これは神々から君へのこの上ない哀れみと最高の褒美なのです」



神々は当然のように、彼が涙を流して感謝しひれ伏すものだと思っていた。神からの直々の勅命、そして誰もが羨むような異世界での英雄という華々しい第二の人生。拒む理由などどこにもないはずだった。


しかし、中央に浮かぶ彼の魂は、神々の放つ圧倒的な神威に押し潰されるどころか底冷えするような憎悪を込めて彼らを真っ向から睨みつけていた。



「ふざけるな……ッ! 誰がそんなクソみたいなやり甲斐搾取に引っかかるかよ! 綺麗事で飾り立てたって、要するに『高い給料と役職をやるから、命を削って魔王っていう厄介な競合他社を潰してこい』っていうヘッドハンティングだろ! 結局お前たちの都合のいい道具として使い潰されるだけじゃないか!」



魂が激しく明滅し神殿に怒号が響く。



「断る。俺はもう誰の利益のために働かない。誰かのために自分の人生を消費するのは前世だけで十分だ」


「神の決定に拒否権などない。行け、人間よ」



運命の神が冷酷に指を弾いた。世界の理が強制的に駆動し、神殿の床に異世界へと繋がる巨大な渦が開き、彼の魂を引きずり込もうとする。


だが、その強力な吸引力に抗うように、魂の輪郭をめちゃくちゃに変形させながら床の縁にしがみつき、みっともないほど激しくゴネ始めた。



「嫌だ嫌だ嫌だ! 誰が動くかよ! おい待てクソ神ども、話を聞け! 労働基準法って言葉を知らないのか!? 本人の同意のない強制配転は違法だろ! なんで死んでまでサービス残業で魔王討伐しなきゃいけないんだよ! 有給休暇は!? 週休二日制は確保されてるんだろうな!? 労災は下りるのか!? おい、無視するな!」



彼は手足をバタつかせるように魂を激しくのたうち回らせ、白き神殿の床をガリガリと引っ掻きながら必死に抵抗する。その姿には救世主としての尊厳など微塵もなかった。あるのは、ただひたすらに「これ以上搾取されてたまるか」というドス黒いまでの執念だけだった。



「だいたい魔王討伐なんて実質二十四時間勤務の超絶3K(きつい・汚い・危険)職場じゃねえか! 美女だの王族だのそんな不確定なインセンティブで釣れると思うな! 固定給を出せ! 週に百六十八時間の完全自由時間を保証しろ! それができないなら絶対に働かない! ここで一歩も動かずにストライキを起こしてやるからな!!」



魂を醜く引き伸ばしながら、なおも罵詈雑言と駄々をこね続ける。その姿は、神々がこれまでに見てきたどの聖人や英雄ともかけ離れた異質で不気味なほどに折れない頑強さを持っていた。


だが、彼らは上位存在としての絶対的なプライドから、平民一人の意志や見苦しい愚痴など最初からこれ以上考慮するつもりはなかった。運命の神がさらに指を強く鳴らすと、次元の渦の吸引力が十倍に跳ね上がる。



「ど、畜生があああああああ!! 覚えてろよクソ上司どもォォォォ!!」



どれだけゴネようとも無情にも彼の魂はまばゆい光の奔流に完全に飲み込まれ、下界へと引きずり落とされていった。



これが、終わりなき「抵抗」の幕開けだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ