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悪夢を殺せるのは、夢の中で死んだ人間だけ  作者: 妙原奇天


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第8話 ドリーマーの正体

 螺旋階段は、最後まで螺旋だった。

 上に行くほど狭くなる。狭いほど、音が近い。自分の靴音が、誰かの息づかいみたいに追いかけてくる。


 凪斗はナイフを握ったまま、指先の感覚を確かめた。

 夢の中なのに、汗が出る。掌の汗で柄が滑ると、現実より怖い。夢は「失敗」を、気軽に本気にするからだ。


「相原」


 真白の声が、背中に当たった。

 呼びかけが強い。置いていかれないための強さだ。凪斗は頷き、振り返らずに答えた。


「大丈夫」

「多分」


「多分って言うな」


 真白がすかさず突っ込む。

 緊張しているのに、こういう時だけ口が軽い。軽くしないと崩れる、と本人も分かっているのだろう。


「じゃあ……大丈夫」


「うん」


 瑛士が、後ろで鼻を鳴らした。


「二人ともさ、恋人の会話してる場合?」

「敵の本拠地だぞ」


「うるさい」


 真白が即答する。


「恋人じゃないし」

「あと、敵の本拠地なら黙ってても怖い」


「それはそう」


 瑛士が認めるのが腹立つ。

 凪斗は呼吸を整え、最後の段差を踏んだ。


 頂上だった。


 時計塔の最上階は、広すぎた。

 広いのに、天井が低い感じがする。空気が重い。湿っている。照明はないのに見える。見えるのに、色がない。

 夢の中の明るさは、いつだって不正確だ。


 中央に、巨大な寝台のような装置が鎮座していた。

 病院のベッドを、工場の機械で包んだみたいな代物だ。金属フレーム、無数のモニター、配線。太いコードが何本も束になり、寝台へと伸びている。


 その上に、一人の若い男が横たわっていた。

 目を閉じたまま、眠っている。頬はこけて、鎖骨が浮き、指先が細い。生きているのに、生きていないみたいだ。

 顔には無数のコード。眉間、こめかみ、首筋。吸盤のような端子が貼り付いている。


 凪斗は喉が鳴るのを自覚した。

 この装置が「夢のネットワーク」の中心だと、説明されなくても分かる。中心というより、心臓だ。脈動がここから出ている。


 寝台の周囲には、ガラスのカプセルがいくつも並んでいた。

 透明な棺。中に人が眠っている。大人も子どももいる。制服のままの者もいる。

 全員、目を閉じている。眠りの顔をしているのに、顔色が妙に薄い。


「……昏睡」


 凪斗が漏らすと、瑛士が頷いた。


「多分、現実側ではそう扱われてる」

「長期昏睡、原因不明、回復見込みなし」


 真白が唇を噛んだ。

 怒りの噛み方だ。怖いからじゃない。誰かの人生が「眠ったまま」固定されていることへの怒り。


「これ、霧ヶ丘だけじゃないんだね」


 凪斗は返事ができなかった。

 自分が戦ってきたのは、怪物だった。影だった。砂時計だった。

 でもここにあるのは、人間だ。眠る人間が、道具にされている。


 その時、拍手が聞こえた。


 ぱち。ぱち。ぱち。

 乾いた音。濡れた空気に似合わない音。


「おめでとう」


 前方、装置の足元。

 そこに、仮面のドリーマーが立っていた。


 相変わらず不気味な仮面だ。

 無理やり笑顔を貼り付けたような裂けた口。真っ黒な目の穴。そこからコードのようなものが伸びて、天井の闇へ溶けている。


「ここまで来たの、初めてだよ」

「よく頑張ったね、悪夢の狩人さんたち」


 声が軽い。

 軽いのに、床が震える。声が空気を押している。言葉に重量がある。


 凪斗はナイフを構えた。

 真白は凪斗の半歩後ろに立ち、瑛士は二人の横で肩を回した。


「……お前が、ドリーマーか」


「うん」


 ドリーマーは肩をすくめた。


「正確には、そう呼ばれてる方」

「呼び名って便利だよね。相手を箱に入れられる」


 凪斗は一歩踏み出す。


「人を殺していい理由にはならない」


「殺してる、か」


 ドリーマーは楽しそうに首を傾けた。


「君はさ、死ってどこまでを死って呼ぶ?」

「心臓? 脳? それとも、忘れられた瞬間?」


 真白が叫んだ。


「屁理屈!」

「眠ってる人を集めて、何してるの!」


 ドリーマーは仮面の口元を指でなぞった。


「集めてるわけじゃないよ」

「繋がってくるんだ。夢は、孤独が苦手だから」


 凪斗は、寝台の男を見た。

 仮面の下の輪郭と、寝台の男の輪郭が重なる。気づいてしまう。似ている、じゃない。同じだ。


「……お前」


 凪斗の声が、少し掠れた。


「お前の顔……」


 ドリーマーは、仮面を少しだけ傾けた。

 笑っているように見える。仮面の笑顔が、さらに深く裂けたように見える。


「気づいた?」


 凪斗は喉が乾いた。


「お前は……あそこに寝てる男の……」


「そう」


 ドリーマーが言った。


「僕は“こっち側”」

「眠ってる彼は“あっち側”」


 真白が震えた。


「分かんない」

「同じ人なの?」


 瑛士が代わりに言う。


「同じ顔の別人格」

「夢の中の人格が、現実から分離した」

「つまり……夢が本体で、肉体は端末みたいなもんだ」


「端末、かあ」


 ドリーマーが嬉しそうに手を広げた。


「いい言い方だね」

「君、ほんと好き。頭がいい人は味がする」


 瑛士が舌打ちした。


「食レポすんな」


 凪斗は一歩踏み出した。

 床の白線が脈打つ。血管みたいに。塔の外の街も、同じように脈打っているのが分かる。

 ここは夢だ。だが、夢だけじゃない。


「名前を言え」


 凪斗が言った。


「お前の名前」


 ドリーマーは仮面の指を止めた。


「夢山 柊司」

「そう呼ばれてた」


 その言い方が引っかかった。

 過去形だ。生きているのに、死んでいるみたいな言い方。


「研究者だった」


 ドリーマーは淡々と言う。


「睡眠と夢の研究」

「夢は、脳が作るノイズじゃない」

「むしろ、人間の本体だ。起きてる間は嘘をつく。でも眠ってる間だけは本音が出る」


 凪斗は嫌な想像をした。

 柊司が、夢の中の人間に魅了された。嘘のない世界に。


「夢のネットワークを作った」


 瑛士が言う。


「人の無意識を繋げる仕組み」

「ドリーム・チェインは、その入口」


 ドリーマーは頷いた。


「うん」

「最初はね、良いことをしたかったんだよ」

「悪夢を減らす。睡眠を整える。トラウマを治す」


 真白が小さく言う。


「最初は、って言うのやめてよ」


 ドリーマーは無視した。


「でも、見ちゃったんだ」

「人間の本音」

「羨望、憎悪、罪悪感、欲望」

「それが、夢の中では嘘なく出る」


 仮面の目の穴が、こちらを見た。


「綺麗だった」

「起きてる人間より、ずっと純粋だった」

「だから、現実に興味がなくなった」


 凪斗の胸がむかむかした。

 純粋だと言って、人の汚さを美味しそうに眺める。

 それを美と呼ぶのは、ただの暴力だ。


「装置に繋いだ」


 瑛士が続ける。


「自分を眠らせ続けることで、夢の側に寄せた」

「夢の世界の神になる」


 ドリーマーが拍手した。


「正解」

「君、ほんと良い」

「説明が早いと、夢がよく熟す」


 真白が怒鳴った。


「人を道具にするな!」

「昏睡の人たち、ここに閉じ込めて……!」


 ドリーマーは指を立てた。


「閉じ込めてない」

「彼らは、ここに“繋がってきた”」

「逃げ場が欲しかったんだよ」

「現実の苦しさから」


 凪斗の背筋が冷えた。

 その言葉は、現実の誰かに刺さる。刺さるから危険だ。

 逃げた人を責める話に聞こえる。逆に、逃げを正当化する話にも聞こえる。

 どちらにも転ぶ言葉は、人を操る。


「でもさ」


 ドリーマーが軽く言う。


「繋げば、増幅する」

「トラウマも恐怖も、罪悪感も」

「ネットワークは便利でしょ? 共有できる」

「共有って、つまり、濃くなるってことだ」


 凪斗は思い出した。

 廃遊園地。影の触手。砂時計。

 あれらは誰か一人の悪夢じゃない。多分、寄せ集めだ。

 集約された恐怖が、怪物として自律した。


「悪夢が増えた」


 凪斗が言う。


「お前が繋いだせいで」


「そうだね」


 ドリーマーはあっさり認めた。


「僕の研究は行き過ぎた」

「だから“制御”が必要だった」

「制御するために、僕は僕の中に、別の人格を作った」


 凪斗は、嫌な予感がした。

 別の人格。制御。

 それが、目の前の仮面だ。


「それが、お前か」


「そう」


 ドリーマーは笑う。


「制御装置はね、快楽がないと動かない」

「罰だけじゃ人は続かない」

「だから僕は、悪夢を食べると気持ちいいように作られた」


 真白が息を呑む。


「最低……」


「褒め言葉?」


 ドリーマーが首を傾ける。


「君たち、人間って面白いね」

「最低って言いながら、見続ける」


 瑛士が吐き捨てた。


「見るのと食うのは違う」


「本当に?」


 ドリーマーが笑う。


「君、覗き込み癖あるよね」

「怖いものを覗いて、自分の怖さをごまかす」

「ねえ、君、分かるでしょ?」


 瑛士の表情が一瞬だけ固まった。

 だがすぐに笑って見せる。


「分かるから、殴る」


 凪斗は一歩進み、ナイフの切っ先を向けた。


「終わりにする」

「お前がやってることは、人の心を踏みにじってる」

「本音を見たいなら、同意を取れ」

「殺していい理由にはならない」


 ドリーマーは肩をすくめた。


「殺してる、か」

「君、真面目だね」


 次の瞬間、空気が変わった。

 ドリーマーの声が低くなる。笑いが消える。

 冷たい水が、背中に流れたみたいに、凪斗の肌が粟立つ。


「だったら君はどうだい?」


 凪斗は言葉を止めた。

 この問いが来る気がしていた。来てほしくなかった。


「君も、自分の罪悪感を使って怪物を殺している」

「助けたいという建前の裏で」

「自分の過去を正当化したいだけなんじゃないの?」


 胸の痣がずきりと痛んだ。

 痛みは証拠だ。自分の中の黒いものが反応している。

 凪斗は拓海の顔を思い出す。

 助けなかった。止めなかった。見て見ぬふりをした。

 その罪悪感が、今の自分を動かしているのは事実だ。


 言い返せない。

 言い返せないから、世界が少しだけ揺れる。

 ドリーマーはそこを狙う。揺れを足場にする。


「ねえ、凪斗」


 ドリーマーが呼んだ。

 名前を呼ぶのが卑怯だ。近づく。勝手に距離を詰める。


「君が守りたいのは、本当に“誰か”?」

「それとも“自分が許される未来”?」


 凪斗は唇を噛んだ。

 許されたい。

 そう思ってしまった時点で負けだ。

 でも、人間は許されたい生き物だ。そういう生き物を餌にするな。


 その時、両肩に手が置かれた。

 左が真白。右が瑛士。

 支えるというより、倒れないように固定してくる。


「それでもいいよ」


 真白が言った。

 声は震えていない。震えを越えた声だ。


「自己満足だろうと」

「誰かが今日生き延びられるなら、それで意味ある」

「相原が汚い動機を持ってても」

「それで助かる人がいるなら、私は許す」


 凪斗は息が詰まった。

 許す、という言葉が刺さる。自分が欲しかった言葉だから。

 だが同時に、許しは万能じゃない。許しをもらっても、罪は消えない。

 それでも、立ち上がる力になる。


 瑛士も言った。


「動機が綺麗かどうかなんて、後から決めればいい」

「今、目の前で人が死ぬか生きるかの方が大事だ」

「お前が助けたいと思った瞬間」

「その瞬間だけは本物だろ」


 凪斗の胸の痛みが、少しだけ引いた。

 痣の熱が、冷える。完全には消えない。だが、鎖みたいに首を締める感じが弱まる。

 否定をやめたからだ。

 自分の汚さを「ないこと」にしようとするほど、人は弱くなる。

 汚さを抱えたまま進むほうが、ずっと強い。


 凪斗はナイフを握り直し、言った。


「汚くてもいい」

「俺は生きて守る」

「許されるためじゃない」

「死なせないために」


 ドリーマーが、仮面の奥で笑った気配がした。


「やっぱり人間は面白い」


 その声が、少し遠くなる。

 離れるのではない。上に広がる。塔全体に染みる。


「じゃあ、君たちには最後の悪夢を見せてあげる」


 ドリーマーが指を鳴らした。


 ぱちん。


 音は小さい。なのに、世界が割れた。

 寝台の上の男――夢山柊司の身体から、黒い霧が噴き出した。

 霧は煙じゃない。液体のように重く、粒のように細かい。

 天井へ向かって渦を巻き、形を作り始める。


 骨格。

 首。

 翼。

 鱗。


 巨大な龍の輪郭が、黒い霧の中から浮かび上がった。

 生き物の形をしているのに、生命の温度がない。

 代わりに、感情の温度がある。恐怖の温度。罪悪感の温度。絶望の温度。

 それらが混ざって、煮えたぎっている。


 龍の鱗一枚一枚に、文字のようなものが刻まれていた。

 読む必要はない。見た瞬間に分かる。

 誰かの「怖かった記憶」だ。

 怒鳴られた声。閉じ込められた暗闇。見捨てられた瞬間。

 全部、誰かが抱えたまま眠ってしまったもの。


「……これが」


 凪斗が呟く。


「悪夢の全部」


「全部じゃないよ」


 ドリーマーが楽しそうに言った。


「全部になりかけてるだけ」

「君たちが止めないなら、もうすぐ全部になる」


 龍が目を開けた。

 眼球はない。代わりに、無数の目が集まって、一つの視線になっている。

 視線が凪斗に向いた瞬間、凪斗の背中に冷たい針が刺さった気がした。


 龍が息を吸う。

 吸うだけで、塔の壁が軋む。

 霧ヶ丘の街の白線が、さらに脈打つのが分かる。境界が薄くなる。


「来る!」


 瑛士が叫んだ。

 凪斗は真白を背にかばい、ナイフを構える。

 龍が咆哮した。


 音が、破壊だった。

 耳で聞く前に、骨が震えた。内臓が揺れた。

 時計塔の外の街が、同時に震えた。ビルの窓の目が一斉にこちらを見る。

 そして――現実側の霧ヶ丘で、地震が起きる。


 凪斗の視界に、現実の断片が割り込んできた。

 スマホのニュース速報。緊急地震速報。アナウンサーの焦った声。

 夜の街に飛び出す人々。

 夢と現実が混線して、同じ映像を共有し始める。


「やばい」


 瑛士が歯を見せる。


「境界が……本当に壊れる」


 真白が凪斗の袖を掴んだ。


「相原、これ……私たちが夢で負けたら」

「現実も、巻き込まれる?」


 凪斗は答えを知っていた。

 知っているのに、口にすると決定になる。

 決定したくない。でも、決定しないと動けない。


「巻き込まれる」


 凪斗は言った。


「もう、夢だけの話じゃない」

「ここで止めないと、街ごと飲まれる」


 ドリーマーが、装置の前で手を広げた。

 救世主みたいなポーズが腹立つ。

 救う気なんてないのに。


「さあ」

「悪夢の狩人さんたち」

「君たちは、何を守る?」

「街? 友だち? 自分の正しさ?」

「それとも――自分の罪悪感?」


 凪斗はナイフを上げた。

 黒い刃が、龍の鱗の文字を映す。

 怖い。正直、足が震える。

 でも、震えているのは生きている証拠だ。


 凪斗は一歩踏み出し、言った。


「全部だ」

「正しさも、汚さも」

「背負って、守る」


 真白が横に並ぶ。


「相原、言い切るの珍しい」


「今だけだ」


 瑛士が肩を鳴らす。


「じゃあ今だけ、勝とうぜ」

「勝ってから反省しよう」


 龍が翼を広げた。

 黒い霧が嵐になる。塔の壁が剥がれ、外の街の景色が覗く。

 夢の街と現実の街が、同じ角度で重なり始める。


 境界線が崩れていく。

 崩れるなら、こちらから切るしかない。


 凪斗はナイフを握り、走り出した。

 龍へ向かって。悪夢の中心へ向かって。

 背中に真白の気配、隣に瑛士の足音。

 三人の足音が重なり、脈動のリズムに割り込む。


 ドリーマーの笑い声が、塔の天井から降ってきた。


「いいね」

「最高」

「人間の本音って、ほんと美味しい」


 凪斗は叫ばなかった。

 叫ぶと負ける。声が割れると、心も割れる。

 だから、短く言った。


「黙れ」


 龍の咆哮が、再び来る。

 世界が震える。

 凪斗の胸の痣が、熱を持つ。

 その熱が、刃に移る気がした。


 夢と現実が、今夜、同じ戦場になる。


 そして――ここから先は、戻れない。

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