61 影残りし森へ
復興作業の喧騒が、ようやく街から消えつつあった。
石畳の裂け目には仮設の板が敷かれ、破れた布で覆われた街灯には、子どもたちの描いた感謝の絵が貼られていた。
その光景を、街の外から静かに見つめていた影がある。
リアーネは草原に立ち、遠く地平を見据えていた。
背後から差す陽光が、彼女の巨きな肩と背を、淡く金色に縁取っていた。
*
ギルドの作戦室。
地図を囲む面々の間に、緊張が流れていた。
「……攻め込まれる前に、こっちから動くべきです」
レナの言葉が空気を切るように響き、周囲にざわめきが広がる。
「今まではずっと守ってばかりでした。でも、ゴブリンの異常繁殖は明らかに自然の範疇を超えています。――湧き出す場所がある。放っておけば、次もある」
ミレナが補足した。「これは“仕組まれた増殖”よ。拠点の構造を突き止め、根を絶たなきゃいけない」
「となると……あの地だな」
カイが口を開く。「北東の、黒壌地帯。地図にもほとんど記されていない場所。そこに踏み込むしかない」
編成された作戦隊には、S級のドーガとミレナ、カイと鳥足歩兵隊、それに志願した冒険者たちが加わっていた。D級からA級の、若く勢いのある顔ぶれだ。
「“死の谷”に足を踏み入れる日が来るとはな……」ゾルドが苦く笑う。
「妙に静かすぎる。鳥もいない」リュカが矢筒を確かめながら呟く。
「でもさ、あたしたちなら、きっと――リアーネさんも、いるし」
マリナの声がやや震えていた。
そのときだった。
ズゥゥゥゥン……
ギルド広場の石畳が、低く響いた。
誰かが息を呑む。「……リアーネさん……」
静かに、巨大な影が街の奥から姿を現す。
陽を背に受け、草原を踏みしめて歩いてくる。沈黙のまま、確かな足音を残して。
ギルドの面々が静まり返る中、リアーネは広場の外縁で立ち止まった。
一拍の沈黙の後、彼女は低く、けれどはっきりと告げる。
「……聞こえたわ。その判断、私も支持する」
わずかに地が鳴る。
彼女のブーツが石を削り、作戦室の床へまで微細な震動が届いた。
「私の脚なら踏破は早い。前線の偵察は任せて。――“向こう側”の地形、私の目で確かめておきたいの」
レナは頷き、地図の一角を指し示す。
「ここが未調査領域。“黒壌地帯”と呼ばれています。かつて、古い王国があったとも……でも、記録はここで途絶えている」
「ろくでもない予感しかしねぇな」ゾルドがうなる。
「でも、そこに踏み込まないと進めない」
カイが淡く笑いながらも真っ直ぐ言った。「行こう。この街が、次を迎える前に」
リアーネが踵を返し、街道へ向けて歩き出す。
ズゥゥン……ズゥゥン……ズゥン……
一歩ごとに、広場の空気が揺れるようだった。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……あの人が、味方で良かった」
*
森を抜け、岩丘を越えた先――。
そこには、陽の光が届かない谷があった。
空気は濁り、風はなく、草の背が低い。
リアーネは斜面に立ち、ゆっくりと片膝をつく。
森の底で何かが息をひそめている。その気配に、眉をひそめる。
「……この匂い」
獣臭、鉄、血の腐臭……それに、魔力が焼け焦げたような匂いが漂っていた。
地表には掘り返された痕跡。森の中でだけ、時間が止まっているかのような沈黙。
風も音もない中で――
ただ、微かに。耳の奥で、コッ……コッ……と規則正しい“何か”の音が鳴っていた。
鍛冶か、鼓動か。
それとも、地下の別の“意思”か。
リアーネは立ち上がる。風に金髪がなびいた。
「……本拠地が、動いてる。違う、“生きてる”のかもしれないわね」
その言葉と同時に、草が静かに伏れる。
この谷は、見られることに慣れていない。
けれど今は、むしろ**“こちらを見ている”**かのような錯覚に陥る。
吐息のような風が、谷を舐めるように流れた。
何かが――確かに目覚めかけていた。




