閑話 階段のない旅 (挿絵あり)
空は快晴。風が木々を揺らし、鳥の声が穏やかに空を泳いでいた。
そして問題は――階段だった。
「……あれ、登るのか?」
カイが見上げる。
苔むした石段が、斜面に沿ってずらりと並ぶ。
百段はあろうかという古びた神殿跡。見張り台のような高台へと続いていた。
「このくらいなら余裕だろ、俺らにはな!」
ゾルドが笑い、胸を叩く。
だが、全員の視線がリアーネの方へと向いた。
彼女は、段の最下部――というより、“階段そのものの幅”を覆うように立っていた。
肩幅は五メートル半。すでに目線は、階段の終点を見下ろしている。
リアーネは両手を腰に当てて言った。
「……私がここから見てる時点で、この階段、“登る”って言えない気がする」
ゾルドがぽつりとつぶやく。
「登山とか……登段とか、そういう名前に変えるべきかもな……」
リアーネは笑い、すぐに真顔で宣言した。
「私は階段じゃなくて、“地形”を登るから」
次の瞬間、リアーネは階段の外側、草の斜面に足をかけた。
ズゥン……ズゥン……
巨大なブーツの下で石が転がり、土煙が舞う。
腕と脚を大きく使ってよじ登るその姿は、まるで岩山を制圧する巨人だった。
一歩で十段分。見上げていたら、あっという間に高台の上にたどり着く。
「先に着いたわ。のんびりどうぞー」
リアーネは髪をなびかせ、上からひょいと顔を出した。
カイたちは呆れと苦笑を交えながら見上げた。
「それ、完全に登頂なんだけど……」
「反則技でしょ」
「ズルではない……戦術だ」マリナが妙なフォローを入れて、みんなが笑った。
*
次に訪れたのは、渓流沿いの小道。
谷に架かる橋は、細い木製だった。
「えーと、耐荷重……五トンまで」
マリナが橋の傍に立つ看板を読み上げた。
リアーネの方へ視線を向ける。
彼女は看板と自分を見比べ、ゆっくり首を傾げた。
「……片脚でアウトね」
リアーネはブーツのつま先で橋の端をつつき、確かめる。
「たぶん、踏んだ瞬間に全部落ちる」
そう言って、静かにしゃがみこみ、ブーツを脱ぐ。
片手に巨大なブーツを持ち、そのまま谷底へと降りていく。
ズゥシィーン……!
地面に足がつくたび、軽い揺れと音が谷にこだまする。
谷底に降り立った彼女の腰の高さは、まだ地上のカイたちを遥かに越えていた。
水深はせいぜい膝ほど――リアーネの足首より浅い。
「行くわよ」
片脚ずつ水に踏み出す。
ジャブゥーーン! ジャブゥーーン!
水柱が上がり、魚たちが四方に逃げた。
ブーツを脱いだ裸足が渓流に沈み込むたび、水が盛大にうねる。
歩いた跡にはミニ池のような窪みができ、泡と花びらがふわりと浮かぶ。
彼女は谷の向こう岸にたどり着くと、岩場に腰を下ろして足を乾かし、ブーツを履き直す。
「……やっぱり、この身長になると“道”は自分で選ばなきゃね」
ゾルドが小さくつぶやいた。
「やっぱすげぇな……橋を使わず、川を“越える”って考え方がもう違う」
「でも……」フェイが微笑む。
「なんか楽しそうだったよ、リアーネ」
リアーネは川面を見ながら、小さくうなずいた。
「うん。ちょっとだけ、気が楽だったかも」
いつも“通れない”“壊すかも”と気を張って歩く道。
でも今日の彼女は、道を壊さず、誰も驚かせずに進めた。
それがほんの少し、彼女の心を軽くしていた。
そのとき、川の向こうの森から小鳥がひとつ、羽ばたいていった。
水面に残ったリアーネの足跡には、小さな水たまり。
そして、淡いピンク色の花びらが、そっと浮かんでいた。




