51 巨石、跳躍、そして終幕の一撃
風が止まった。
空に舞っていた血も灰も、全ての粒子が沈黙し、まるで世界が呼吸を忘れたかのようだった。
リアーネは、夜明けの空を仰ぐ。
その視線の先にいるのは、最後の強敵――ホブゴブリンロード。
翡翠色のドラゴンに騎乗し、魔法を操って空を巡る、“空の王”。
けれど、地を支配する者が、ここにいる。
誰よりも強く、誰よりも大きい者――それが彼女、リアーネだった。
■ 牽制の始まり ― 試し投げ
「まずは……距離感から試してみましょうか」
リアーネは、地面に転がっていた1メートルほどの岩塊を拾い、軽く膝を折って投げた。
石は風を裂き、鋭く弧を描く。だがドラゴンは余裕の滑空で旋回し、かわす。
続けて左手でもう一投。今度も、ホブゴブリンロードは鼻で笑いながら命じた。
ロード「火球、回避で十分だ。焦りか? 無駄だな」
(ええ、その余裕が欲しかったのよ)
リアーネは静かに、次の岩に目をやった。
■ 礫弾 ― 空に撒く罠
次に彼女が目を向けたのは、直径4メートルを超える岩塊。
さきほどの投石の比ではない重さ――だが、リアーネはそれを拾わなかった。
「……これ、投げるには不向きね」
その代わり、両足をわずかに開き、肩をゆるく回す。
「でも、“撒く”にはちょうどいいわ」
巨腕がうなる。
リアーネの拳が、岩の中央へと真っ直ぐ叩き込まれた。
ドグァンッ!!
岩は音もなく砕けた。
何百、いや何千もの鋭く尖った礫が、空に向かって放射状に舞い上がっていく。
まるで地上から放たれた破片弾。
空を遮る無数の礫が、グリフォンの飛行経路を覆い尽くした。
「ぐっ……!」
グリフォンの一騎が翼を斬られ、姿勢を乱す。
ホブゴブリンロードの騎竜も思わず旋回をやめ、回避に意識を割いた。
(狙いじゃない、数で“空間ごと”制圧する。これが私の牽制よ)
空の優位に綻びが生まれた。
■ 誘いの罠 ― 巨塊の起動
リアーネの背後には、直径10メートルにも及ぶ巨石が転がっていた。
自分の体格に近い、それは「武器」というより「地形」に近い。
「これは、投げるためじゃない。……落とさせるための“仕掛け”よ」
彼女は両腕をその下に差し入れ、息を整える。
石が持ち上がる。
地面が悲鳴を上げ、巨体の膝が少し沈む。
そして――放る。
今度は高くではなく、ほぼ直線軌道で。
ホブゴブリンロードが、思わず視線を引かれた。
ドラゴンが反応するより前に、空気そのものが変形するような衝撃が前方から迫る。
魔法陣が一瞬展開されたが、岩の風圧で掻き消えた。
そのわずか数秒の静止。
それこそが、リアーネが待ち望んでいた“射程内”。
■ 大地を裂く跳躍
「よく耐えたわね。でも……そろそろ、終わりにしましょうか」
リアーネは大地を踏む。
ブーツの下で地面が崩れ、砂が弾け、轟音が鳴る。
そのまま跳躍。
巨体が空を割り、風を縫って昇っていく。
ホブゴブリンロードは一瞬、空中で動けなかった。
「馬鹿な、巨体が跳ぶだと……!?」
リアーネは空中で身体を反転し、踵を真下に構える。
跳躍の勢いと自重、そして彼女の全力を――一点に。
「――さようなら」
空中からの踏み抜き蹴りが、ドラゴンの背を粉砕した。
■ 砕落、そして沈黙
ドラゴンの背骨が砕け、ホブゴブリンロードが宙でバランスを失う。
騎竜ごと、地へ――
ドオオオンッ!!!
地面が爆ぜ、血と魔力と肉の破片が飛び散った。
空を支配した存在は、今や地の泥に埋まっていた。
彼の甲冑も、鞍も、顔も、何もかもが……形を失った。
■ 地の王、静かに立つ
リアーネは、静かに立ち上がる。
ブーツの底は、赤黒い魔の血と灰に染まり、
服の袖は焦げ、肌には風と魔力の名残が滲んでいた。
だが――息は、乱れていない。
「もう、誰も……空からは来ないわよ」
その呟きだけが、風に紛れて遠くへ溶けた。
■ 砦、遥か遠くに
砦の上では、夜明けの霞に包まれながら、兵たちが見上げていた。
空に何かが落ちた。
確かな視認はできない。ただ、遠雷のような振動だけが地を伝った。
「いま……何かが……」
「……リアーネか?」
確信はなかった。だが、願いはあった。
地に残った者たちは、ただ信じていた――あの巨影が、また立ち上がることを。
■ 静かな問い
リアーネは空を仰ぎ、静かに瞼を閉じた。
(カイ……街は、無事かしら)
そして、再び歩き出す。
巨きな背が、夜明けを背にして地平を踏み鳴らす。
この戦いは、まだ終わっていない。




