50 天を裂く咆哮、届かぬ牙
夜が明ける寸前、風の流れが変わった。
あれほど乱れていた空気が、今は不気味なほどに凪いでいる。
静寂は、何かが始まる前の“間”だった。
その気配を感じ取りながら、リアーネは空を見上げる。
天に並ぶ三つの影。
中央には黒鉄の鎧を纏ったホブゴブリンロード。
小型とはいえ筋肉質なドラゴンの背に跨っていた。
その両脇には、純白のグリフォンに騎乗するホブゴブリンジェネラルが二騎。
彼らは三角陣を組み、高高度を保ったまま、静かに旋回していた。
ロード「巨女よ、貴様の力は知っている。だからこそ“降りて”やらぬ。空こそ我らの城壁よ!」
リアーネは返事をせず、静かに一つの石を拾った。
地面に転がっていた、投石機の残骸に近い三メートル級の岩弾。
(そっちがそう来るなら……力押しじゃ意味がない)
■ 見えない敵、避けられる一撃
リアーネは助走をつけ、岩をフルスイングで投げた。
だが――
すかさずジェネラルの一騎が、グリフォンと共に急旋回しながら魔法陣を展開。
空中に形成された氷の槍が、投げられた岩弾を粉砕する。
砕けた氷片が霧状となり、視界を奪う。
その隙に、雷撃と毒霧の魔法が交差し、リアーネの足元に着弾。
地面がえぐれ、焦げ、立ち位置すら危うくなっていく。
ブーツに傷はない。
だが――
(地面すら……奪われる)
敵は“倒せない”のではない。“届かない”のだ。
■ 届かぬ恐怖、削られる心
火球、雷撃、毒霧、氷槍。
ありとあらゆる魔法が、リアーネの巨躯を狙って飛んできた。
焼かれ、濡れ、凍てつかされ、突かれる。
けれど――効かない。まるで皮膚に触れただけのように、ダメージはゼロ。
それでも、心は確実に摩耗していく。
(私は……ただ立ってるだけ。届かない。なにも、できない……)
これまで踏みつけ、斬り伏せ、圧倒してきた。
それが今は、ただの的。空からの一方的な戦い。
(こんな……こんな戦い、あるの?)
孤独の中で、ほんの一瞬、リアーネの肩が沈んだ。
■ 誘いの舞台
だが、すぐに思考が切り替わる。
(“的”にされているなら……それを利用する)
リアーネは姿勢を落とし、わざと息を荒く演出する。
肩で呼吸し、視線を伏せ、疲労を装う。
ロード「……ふん。限界か。巨体にも息切れはあるらしい」
空の三騎が動きを変えた。
魔法の命中率を高めるためか、飛行高度が徐々に下がってくる。
特にジェネラルの一騎が、毒霧を地上に展開するため低空へ――10メートル圏まで降りた。
その時だった。
リアーネは、あらかじめ自身の影に隠していた岩塊を掴む。
そして――投げない。振りかぶらず、そのまま地面に向かって叩きつけるように足で“蹴る”。
岩が回転しながら舞い上がり、ジェネラルのグリフォンの左翼に直撃した。
ジェネラル「しまっ──!」
その直後、リアーネは走っていた。秒速40メートル。
地面すれすれを滑るように、落下するグリフォンの真下へ。
ドオオオンッ!!
跳びかかるように上体を叩きつけ、地上へ墜落したジェネラルを押し潰す。
装甲ごと砕けた。グリフォンは潰れ、魔法陣は即座に消失。
リアーネはすかさず岩陰に身を伏せ、残る一騎の射線から逃れながら、次の仕掛けを整える。
■ 二の矢の準備、反応の観察
リアーネは、地面を爪先で掘る。
地中の泥を露出させ、その前に「少しふらついた姿勢」で立つ。
あえて無防備に見せる。それが罠。
視線を誘われたもう一体のジェネラルが、間合いを詰めてきた。
魔法槍を構え、低空からの突き下ろし――それは不意打ちのつもりだったのだろう。
しかし、足元に入った瞬間。
リアーネが泥を思いきり蹴り上げる。
水気を含んだ泥がグリフォンの顔を覆い、騎手の視界が消える。
「がっ……!」
反応が遅れた一瞬を突き、リアーネは地面に埋もれていた岩を拳で“打ち飛ばす”。
それは投擲ではない。拳による打撃と同時に飛んだ岩塊が、グリフォンの顔面に直撃。
ジェネラル「ぐ……おぉおおおおッ!!」
悲鳴と共に、グリフォンがもつれながら墜落。
リアーネは駆け寄り、まだ息のあった騎手ごと――
ドン、と片足で踏み抜いた。
血と骨の音が、確かに足裏に響く。
■ 残る敵は、一騎
上空。
ホブゴブリンロードが、ドラゴンの背で静止していた。
高高度まで戻ったその口元は、かすかに震えている。
ロード「……愚か者どもめ。お前を近づけさせるなと命じたのに……!」
その言葉に、リアーネは軽く髪を払って応じた。
微笑みながらも、額にはうっすらと汗。
「本当に、届かない相手って……面倒。でも、二人いただいたわ。あと、あなた一人ね」
ロードは黙ったまま、手綱を握り直す。
(……そうか。策を使うとは思わなかったか)
彼のドラゴンが、翼を広げる。
今度は――近づいてくる。




