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ブリミル年代記 <深淵の影に飲み込まれた運命>  作者: a.z.bako
魔法クッキー:ひとかけらの大災厄
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1. 魔法使いと赤い魔法石

その日、忘れられた戦場を駆け抜けた雄叫びのように荒々しく凶暴な音を立てる風が、冷たく、北の方から吹きつけてきた。


かつては広大な平原であったその場所、今では忘れられた記憶の断片が眠ってる《遺跡》と呼ばれている。その地を撫でてゆく風の鋭い音が、輝く黄昏の中で砕け散る巨人たちが互いに最後の拳を交差した光景を思い起こさせた。


その日の跡形が残った平原を越え、幾多の往来の跡が作った道を伝って南へ。


傷跡の上に築かれた神遠き庵、あの日の恐怖も怯えも知らぬ者たちの息吹に満ちたこの地、

ここ、ガングラードにも少しずつ冷たい風が吹き始める頃だった。


人々に古くから伝わる物語と、この季節の冷たい風だけが、あの日の恐怖と絶望を思い出させる。


だが、それもほんの束の間。


氷の上に立つ恐れはすぐに忘れられ、その上を駆け回る子供たちのようた。


忙しない日常は、見えぬ恐怖に目を向ける暇を与えない。

微かな音に耳を澄ますことなく、喧噪の中へと身を向ける。


消えぬ炎、押し寄せる群衆。

温かいが冷たく、柔らかいのに鋭い、軽やかなのに重く、手に掴もうとすれば消えてしまうもの。


華やかな街並みで押しやられ、みすぼらしい路地裏に身を寄せる者たち。冷たく硬くなった土の上に倒れ伏す人々の間を赤髪のフレアは慌ただしく走り抜け、古びた建物の中へと入った。


バルダーの神殿の片隅で、ローレンは小さなビンを指先で支え、慎重に何かを入れていた。


「ローレン!聞いて!この時期になると現れる年配の魔法使いがいるんだって!赤い帽子の魔法使い。子どもたちを集めて不思議な魔法をいろいろ見せてくれるらしいよ」


ローレンは小さなビンの中身を見つめながら答えた。

「うん?赤い帽子?」


フレアはローレンの横に並んだ小さなビンを見ながら言った。

「シードホートの魔法使いの帽子って、みんな同じじゃないの?」


「うーん、帽子は自分の好きに飾ることもあるからね。帽子にこだわる魔法使いもたまにいるよ。魔法石を帽子につけている魔法使いもいるし、つばの長い帽子を作ってかぶる魔法使いもいるね。でもシードホートの魔法使いなら帽子に紋様があるはずだよ」


「どんな魔法を見せてくれるんだろう。みたいな」


「ふむ、まあ、光の幻い魔法かな。色んなものを作れるし」


「あ、ローレンがやってるあの蝶の魔法?」


「違う。あれは何かを探す時に使う魔法なの、まあ、人によって現れるものは違うけど、私はノーブルが見せてくれてたのと同じものになってるだけ。それよりフレア、頼んだものはちゃんと持ってきた?」


「あ、うん、ここに。ローレンが教えてくれた店、すごく混んでたよ。来る途中も神殿に向かう人がたくさんいたし。さすがガングラードだね。何を作るの?」


ローレンはフレアが持ってきた小さな紙に包まれた黄金色に光る粉を見ながら言った。

「《フレイユタール》だよ。これは全部トニーおじいさんから教わったんだ。あ、もちろん学校の授業でもやったけど、そこでは基本的な組み合わせしか習わないんだ。よし、黄金色に光る《グルンフの角の粉》をここに入れて煮ればいい」


小さな釜で煮えていたところに黄金色の粉を入れると、朱色の煙が立ち上った。


「へえ、これって飲むの?」


「《フレイヤの涙》だよ」


「《フレイヤの涙》?それって何?」


「ふむ、人々はこれを【愛の媚薬】と呼んでるね」


「え、愛?それってどういうこと?この薬を飲むと恋に落ちるの?ローレン、本当に効果があるの?」


ローレンは慎重に長いスプーンで薬を鍋からすくい、小さなビンに移した。


「ふむ、私はよくわからないけど、魔法使いが作ったこの薬はたくさん売れるの。ちなみに味は不味いよ。うぇっ。ぜんぜん美味しくない。なんの味か分かんないのにな。まあ、でも旅のお金稼ぎにはちょうどいいよ。作るのも簡単だし、こうやって作ったものは全部商人ギルドで売れるしね」


ローレンは薬の入ったビンを軽く振りながら、その向こうにいるフレアを見て首をかしげた。


「ふむ、フレアは誰かのこと、好きなの?」


「あっ!わ、私はね、えっと……かっこいい人が好きなの!冒険者の中に《エリック》っていう有名な人がいるんだ。あ、あと《レックス》も好き!《ナシル》も!えへへ、それから……」


「えっ、ちょっと待って。何人好きなの?」


「ん?ああ、五人くらい!」


「え?なにそれ?本当に《好き》なの?」


「うん、ただの片思いだよ。五人の順番もあるんだ。あ、シャーリン!

シャーリンは好きな人いないの?」


「うーん、私は【人を好きになる】って、よくわからないですね。神殿の子どもたちも、みんな好きですけど。バルダー様の愛はすべての人に平等ですし、祈っているとその愛を感じられるんです」


いつのまにかローレンとフレアのそばに来ていたシャーリンは、釜から立ちのぼる煙の匂いを嗅ぎながら言った。


「少し鼻にぴりっとくる香りですね。味があまりよくないなら……あ、そうだ。ここに蜂蜜を入れたら、もっと飲みやすくなるかもしれません」


「ハチミツ?うぇっー」


「えっ、ローレンは蜂蜜が嫌いなの?」


「うん、あの匂いが苦手なんだ。それに、飲むと胸がむかむかして、頭までズーンとくる感じが嫌だ。うーん、ガングラードなら砂糖も手に入るんじゃないの?」


シャーリンが言った。


「そうですね。ここ、ガングラードでは砂糖はあまり手に入らないんです」


フレアが続けた。


「ふん、そうだな。ハチミツの依頼は良くあったよ。ガングラードでは西の森で採れるんだ。えっと、あの鳥の名前なんだっけ……とにかく、ある鳥を追っていけば見つけられるって言われてるよ。私も一度、高い山の崖にある蜂の巣を探す依頼を受けたことがあるんだ。もちろん私は下で、ヨツンや獣が来ないように見張りしてただけだけどね。専門家はすごいよね、手だけであんな崖をヒョイヒョイ登っちゃうんだから――あれ?もうできたの?」


ローレンが釜に取り付けられた小さな金属棒をくるりと回すと、釜の端から黄金色の液体が小さなビンの中へと流れ落ちていった。ローレンはビンの口に小さなコルクを差し込み、しっかりと封をした。


「熱いから気をつけてね」


フレアは、ローレンが作ったものを小さな木箱に入れながら言った。


「へへ、熱いのは慣れてるからこれくらい平気だよ」


ローレンとフレアは神殿を出て、慣れた足取りでオードの家の方向へ歩いて行った。


外で待っていたシャーリンは、いつものように道端に座る人々に温かいスープを配り、祝福の言葉をかけていた。


フレアはシャーリンに手を振りながら言った。


「シャーリン、行ってくるね!」


シャーリンは二人を見送り、微笑んで道端の子どもたちのところへ行った。


フレアはローレンを見て言った。


「ヘルはいつ戻ってくるのかな?」


ローレンは空を見上げて答えた。


「パルマグドに行く前には戻ってくると思うよ。ヘルが旅立ったのは、夜空の半月がそっと大きくなる時だったから。うーん、すぐに戻るんじゃないかな。

私一人で行ったときは長くかかったけど、ヘルは私より速いし、眠らないだろうから」


ローレンは、何か思い出したくないことを思い出したように、苦しげな表情を浮かべて言った。


「うーん……せっかく覚悟を決めて行ったのに、船が出てないなんてさ。

ほんと、力が抜けちゃったよ。

あぁ……また船に乗ることを考えると、もう気分が悪くなるな」


「ふむ、ローレンはどうしてそんなに船が嫌いなの?」


「ふー。波の音と海の匂いが頭の中をいっぱいにして、

そのうち身体がふわっと浮くような感じになって、

ぐるぐる回るんだ。松ぼっくりが耳の中で転がってるみたいで。

それに、あの海の匂いも、うぅ、嫌い」


「匂いか……うん、うん、あ、いい匂いがする。おいしそうな匂い」


「うぇ……フレア、これがおいしい匂?」


冷たい風が吹き、フレアの赤い髪がフレイヤの炎のように揺れた。


「はぁ、あったかいお茶と、トニーおじいちゃんのクッキーが食べたいな。

こんな日には最高なのに」


「クッキーの作り方は教わらなかったの?」


「私は食べる専門だもん。料理は無理だよ」


「へぇ、不思議だね。薬は作れるのに?」


「薬は簡単なんだよ。決まった分量と決まった材料を鍋に入れて、

決まった時間煮るだけでいい。

でも料理は違う。

材料を入れるだけじゃなくて、材料を切ったり混ぜたり、なんか細かいことが多くてさ。めんどくさいんだよね。うーん……商人ギルドにあるか聞いてみようかな」


「ん?あれ、なんだろう?」


いつの間にかローレンとフレアは、入り組んだ人波の中を歩いていた。


途切れることなく流れる川のように、色とりどりの布が風に揺れ、人の波が絶え間なく流れていた。それぞれが目的を持つように歩みを急ぎ、けれども流れの中では誰もが同じ方向へと吸い寄せられていく。


露店が並ぶ通りには、果実の赤、金属の銀、瓶に反射する淡い光がきらめき、動くたびに影が形を変え、まるで生き物のように通り全体がうねっていた。


「魔法石?」


「あ、フレア、そんなの買っちゃダメだよ」


「え?なんで?こんなに安く買えるのに。見て、これ。

こんなに小さいのもあるんだよ。これなら私でも買えそう!」


「はあ……好きにすれば」


フレアは興味津々に店の台の上に並ぶ魔法石を見て回り、店主にいくつも質問を投げかけた。ローレンはそんな彼女を見守りながら、周囲をきょろきょろと見渡していた。やがて、フレアは小さな魔法石を一つ選び、店主と値段の交渉を済ませると、嬉しそうに駆け戻ってきた。


「ねぇローレン、見て見て~!すっごく安かったんだよ。

ほら、ここに小さなヒビが入ってるでしょ?

だからもっと安くしてもらったの。えへへ、うまくやったでしょ?」


「ふん、魔法石でもないただの石にお金を払うとはね」


フレアは小さな石を太陽にかざし、きらめく光をしばらく見つめたあと、小さな袋にしまいながら言った。


「だって、わかんないじゃない。本物かもしれないでしょ?

それに、偽物でもきれいだもん。こんな赤い魔法石、

私の石以外では初めて見たんだよ」


「そうだね。君の魔法石がどんなものかは、シードホートに行けばわかるだろうね。トニーおじいさんならそういうの、得意だから。でも、ああいう石はもう買わないでよ」


「えへへ~ちょっと待って、あれも綺麗だな」


フレアはもうローレンの言葉を聞いていなかった。

彼女は再び人々の波の中に飛び込み、どこかへ消えていった。


フレアが魔法石を手に取り、光に透かしていたそのときだった。

人の流れを逆らうように、一人の男が歩み寄ってきた。


雪のように白い髪が薄暗がりに浮かび、男は柔らかな笑みをたたえて立っていた。その笑みは場のざわめきと調子がずれ、静かに張りついているように見えた。


男はフレアに一歩近づき、声をかけた。


「おや、その選び方…いい目をしてますね。子どもには少し高いでしょう? こんなのを買うお金、あるんですか? もしかして冒険者かな?」


フレアは嬉しそうに答えた。


「あ、そうだよ。冒険してるよ。へへ。おじさんが見ても、この魔法石いいの?」


「フレア!」


男の視線が駆け寄るローレンへと滑るように移った。


「これは驚いた」


薄く笑みを浮かべたまま、感嘆するように小さくつぶやいた。


「こんな年で魔法使いとは」


男はローレンを見て言った。


「坊や、君……シードホートの魔法使いだろう?」


その言葉が終わる前に、別の一団が近づいてきた。

その中の一人がローレンに手を振った。


「へえ、本当かい?少し時間あるか?ちょっとした依頼があってな、魔法使いが探していたんだ」


ローレンの顔が強ばり、すぐにフレアの手首をつかんだ。


「フレア、行くよ」


小声で告げ、ローレンはフレアを人混みの中へと引き入れた。

背後で誰かが呼ぶ気配があったが、二人の姿はあっという間に群衆へ紛れ込んでいった。

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