6. 痕跡の道
(丸く、丸く)
体が覚えている。
(あの時はこんないい肉じゃなかった。傘の広い濃い茶色のキノコで作ったんだ)
キノコを細かく刻んでヤナギの樹皮を煮出した汁と混ぜ、そこにはちみつを少し加えて丸めて蒸した。
森の苦い香りとほのかに漂う甘い匂い。
その匂いに騙されて口いっぱいに詰め込んだ私たちは、喉の奥に広がるほろ苦さに顔をしかめた。
そうして想像していたものとは違う味にがっかりもした。
「ははは、少しずつ、よく噛んで食べてごらん。口の中で甘みが広がって、苦みとも調和するんだ。小さな経験でも味わってみるといい。きっとまた新しい味を知ることになるよ。新しいものを怖がらないようにね」
ローレンスはそうやって私たちに様々な食べ物を作ってくれて、材料について教えてくれた。
こはくいろの大きな傘を持つキノコは鶏肉のような味がして、気に入った私は、森で見つけられるキノコを見つけるたびに全部持ち帰った。
もちろん、キノコには危険なものも多かった。あるキノコは、小さいうちしか食べられなかった。せっかく一番大きなものを持ってきたのに、ローレンスはそれを捨ててしまった。
「そのキノコは若い時は美味しいが、成長すると毒ができるんだよ」
鍋の底で肉の脂がゆっくりと溶けていき、その匂いが空気に広がった。
そこへ肉団子をひとつずつ落としていく。
(この音、この匂い)
体の芯まで温かくなり、聞こえてくる笑い声。
夕焼けの中で食べた一食。
待ちきれない子供たちはいつも私のまわりでそわそわと足踏みしていた。
「汚れた手で食べ物に触っちゃだめだよ、ニール」
「ふーん、なんでダメなの?」
「早く食べたいんだもん」
「ハンス。危ないよ。ヒルダ。子供たちを近づけないで」
「みんな! 聞いたでしょ! あっちへ行って!」
「えー!やーだ」
「もう少し待てばできあがるよ」
味や香りはもう薄れてしまった。それでも、あの時の思い出は今も濃い。
「出来ました」
フレアは私のそばで、食べ物を見つめながら嬉しそうに笑った。
「わあ!」
ローレンは静かに目を閉じて座っていた。
(眠ってるのかな? バルダー様…こんなに幼い体で、どれほどの夜を越えてきたのでしょう。眠る顔は、まるで子どものように穏やかで……どうか、この安らぎが長く続きますように)
「名無き者よ、なんじの声を聞かせたまえ。
我が生命の鼓動が汝に響き、古き我が願いが、
こだまして返るとき、それがそなたの名であるように」
(ああ..光が踊っているな。まるで小さな紙人形のみたいだね)
「わあ。ローレン、もう魔法を使ってもいいの?」
「うん、大丈夫かどうか確かめてみようと思ってね。
この魔法は【バニソフスタード】で魔法石を選ぶ時に初めて教わるよ。
その場で真似して唱えられなかったら家に帰されちゃうね。
覚えたとしても、返ってくる声がなけりゃ、同じだけどね」
フレアはまばたきをしながら、料理を味わいつつ話した。
「へえ、私にはそんなの無理だなあ。そういえば、シャーリンは魔法、いや、なんだけ、お、恩?え、その奇跡みたいなのをするのに魔法石を使ってるでしょう?」
「はい、この首飾りにあります」
「ほーお、バルダーの使者はみんな、その同じ首飾りなの?」
「いいえ、【サールマルク】の大きさによって作られる道具が変わります」
「サールマルク?」
「あ。シードホートの魔法使いの言葉では魔法石ですね」
「ふむ、それは魔法石じゃなくて 【バニールの破片】だろうな。
魔法石が作れるのは、バルダーの魔法使いたちにはできないはずだよ。おっ、ヘル。ようやく来たね。ほら、食べてよ。やっぱり、シャーリンが作った料理は美味しいんだ」
「そろそろ出発したほうがいいと思う」
フレアはその言葉で、口にいっぱい肉を入れながら話した。
「えー、う、これ食べてから行こうよ。こんなご馳走、次はいつ食べられるかわからないし!こんなに美味しいもの、洞窟の中じゃ食べられないでしょう?」
「まあ、大丈夫だよ。フレア。ノーブルの話だと、すぐに抜けられるって言ってたしね」
フレアは少し、怖そうな顔をして話した。
「洞窟の中って、やっぱり、ヨツンがたくさんいるよね?」
「さあな、奥に行けばいるかもしれないけど、私たちはドワーフが作った道を通るんだ。大丈夫さ」
「そうか、本当に今向かってる洞窟には、もうドワーフはいないの?」
「そうだろうな。門が閉ざされて、行き来が途絶えてから長い時間が経ってるからね。
まだ門を閉ざして、洞窟の中の深い場所にいるという話を聞いたことはあるけどね」
「ねえ、ドワーフの歌を知ってるよ。これ、私大好きなんだ。
水の落ちる広間で、燃やす者が降り立ち、
夢を紡ぐ者が目覚め、
石の床から《モートソグニル》と《ドゥリン》が立ち上がる。
《ノルズリ》、《スズリ》、《アウストリ》、《ヴェストリ》が
彼らを槌で打ち下ろす。
黒い塵が舞い、露のような火の光が飛び散り。
その中から、星の欠片のような《ファフニール》が跳ね出し、
炎のように赤き《レギン》が飛び出し、
残されたのは灰のように黒い《オトル》だった。
銀の髪は闇の兄弟となり、
赤き髪は漂う火の種となり、
黒き髪は血を大地に流し、大地の傷跡となった。
歌はここまで。ドワーフって色んな髪の色があるらしいよ。洞窟は確か、黒の髪を持つドワーフって聞いてたな」
「へえ、初めて聞く歌だね。フレアって、ドワーフのことよく知ってるね」
「あぁ、いや〜。ドワーフのことをよく話してくれる人がいたんだ。
小さい頃から、物語を聞くのが好きだったんだよ。ははは」
食事を終えた私たちは、最後の道しるべへ向かった。
道しるべから次の道しるべへ進むときは、いつも少し時間を置いていた。
これは歌にはなく、ノーブルさんが教えてくださった内容だ。
「まあ、ゆっくり行くように見えますが、こうして進むのがいちばん早いです。
一つ目は、太陽が頭の上に来たら太陽の昇る方角へ進む。
二つ目は、樹皮に苔が厚く生えている道をたどる。
三つ目は、枝と葉が傾いて光へ向かう方へ進む」
「ふーん、そんなの、魔法で探せばいいんじゃないの?」
「《フィン・リ・オス》──その魔法を信頼しているんですね。魔法はあくまで道具のひとつです。
ローレン、魔法は便利ですけど、答えにはなりません。問いを生むための道具です。
まあ、いつかはたどり着くでしょうけどね。
でも、あなたたちにはヘルさんがいます。この方法のほうが、魔法より早いと思いますね」
(ローレンもあのときはブツブツ言ってたのに、今じゃおとなしくついて来てる。ふふ)
「もう少しで着くんでしょ?え?え?」
(ヘル様が剣を握った!何かあった? ヨツン? いや、この音は――)
ブレッドお爺さんの家に行ったあのときは、ヒルダを攫った者たちを決して許すまい――それだけを胸に刻んでいた。
夜の森が息を潜め、焚き火だけが小さく語る、
その静けさを裂くように、夜の虫の声がぱっと広がったような音
(そう、この音のあとに漂ってきたあの匂いは)
その匂いは私にもっと古い記憶をよみかえようとした。
初めてヨツンを光の炎で焼き、騎士たちを助けたときの記憶――
けれど、その記憶に心を奪われる暇もなく、子どもたちの動きに思わず声を上げていた。
「うわぁ、ローレン、その魔法、なに?」
ローレンが黒い門の痕跡に向かって両手を差し出し、ゆっくりと指を動かしたら、掌から柔らかな銀色の光がこぼれ、水面に石を落としたように痕跡が揺らめいた。
光は吸い込まれるように消え、舞い上がった塵が渦を描きながら、やがて灰色の残像を形づくっていった。
(……人? 群れになって、どこへ向かっているんだ?)
「【深淵を映す魔法】なの。門の跡の話をしてたら、ノーブルがもしかしたら使えると言って教えてくれたんだ。へぇ、本当に使えるな」
ヘル様は灰色の残像の中を静かに歩きながら話した。
「彼らは何かを話しているようだ」
フレアはヘル様に付いて行きながら周りをよく見ようとしながら話した。
「えっ、どうしてわかるの?」
「唇の動きを読んだ。だが、私の知る言葉ではない」
フレアが興味深そうに近づき、残像を触ろとしたが、像は塵のようにほどけ、風に溶けていった。
「うーん、やっと形が見える程度なのに、どうやって見分けてるの?」
(しかし、こんな多い群れが移動してるのに、周囲には不思議なほど痕跡が残っていない)
ローレンは彼らが行ってる方向を見ながら話した。
「どうして、こんな場所に門の跡があるんだ?」
ヘル様が地面に落ちた羽根を拾い上げた。
「オオワシの羽根だ。北嵐の前に海沿いに現れる、氷の王の鳥だ」
ローレンは何かを考えてるように一人ことをつぶやいた。
「ビヨンダー、彼らはなぜここに来てるんだ」
(また独り言……心中で、いろいろ考えてるんだね。あの歳とは思えない。最初、出会った時にはあんな小さな子が魔法を使ったとは思えなかった。オードの家から追いかけた。あの子ならもしかして、それがここまできてる)
ローレンは何か決まったように話した。
「ここで答えを求めても無駄だ。私たちは私たちの道を行こう」
私たちは黒い門の跡を後にし、急な斜面を登っていった。
青々とした森は次第に荒れた岩地へと変わり、
深い谷と赤く染まった峡谷が目の前に広がっていく。
(……水の音? 下の方で川が流れてるのかな?)
「え? あれは何だ? ヨツン? 木? ああ……本当にラウペイか? いや、違うか? なんて変な形の木だ……巨大な穴が――あっ!? 枝が動いた!」
ローレンは興味なさそうにちらりと見ただけで、ヘル様のあとを追った。
「ふむ、フレア、近づかなければ大丈夫そうだよ。私たちはあっちへ行く用はないし、無視して行こう」
巨大な存在が口を開けているような断崖が目の前に広がっていた。
大きな赤い岩山が、まるで燃え上がるようにそびえ立っている。
「橋だ!」
(ツタで編まれた橋。最後の道標だ)
私たちは崖沿いを歩き、橋へと向かった。
「思ったより頑丈だな、この橋。どれくらい古いんだろう?本当にドワーフが作ったのかな」
「ふむ、少し揺れるけど、それにしてもツタでこんなに丈夫に作るなんて……魔法を使ったのか?」
「気をつけて!」
突然、橋の下から大きな音がして揺れた。
橋の隙間から、緑色の光を放つ何かが見えた。
「なんだ、あれは?」
ヘル様は橋の隙間から矢を放ち、緑の光の何かは下へと落ちていった。
その瞬間、橋の上まで這い上がってきたのは、巨大な触手のような植物だった。
だが、その植物は一瞬で赤く燃え上がり、苦しげにのたうち回りながら橋の下へと消えていった。
ローレンは橋の下を見ながら話した。
「ちっ、なんだよ!よく見えないな。ヨツンか」
ヘル様は橋の上に飛び上がり、下へ向けて矢を放った。
フレアは剣を握りしめながら話した。
「うわっ、ヘルはあんな体勢でよく撃てるな」
橋から飛び降りたヘル様は、燃え上がる植物の上を駆け抜けながら矢を放ち、
別の植物を踏みつけて跳び移り、橋の向こう側へと渡っていった。
ローレンは走りながら叫んだ。
「フレア、シャーリン、今のうちに渡ろう!」
私たちは橋を渡りきると、ローレンが崖の下の岩を魔法で打ち砕いた。
岩は崩れ、下にいた植物たちを押し潰した。
ローレンは小さく息をつき、ぼそりとつぶやいた。
「驚かせやがって!」
フレアは振り返って、巨大な赤い山々を見ながら言った。
「最後の道しるべだったよね? この橋を渡ったら、次はどこへ行くの?」
ローレンは、白い煙がもくもくと立ちのぼる方角を指さした。
「うん、この匂い……たぶん、あっちだね」
フレアは鼻を押さえながら顔をしかめた。
「うぇっ……なんだこの臭い? 何か腐ったような匂いがするよ」
周囲には、何か腐ったような強い匂いが満ちていた。
霧のような白い蒸気が地面から立ちのぼり、熱い風が頬をなでていく。
「まるで、ドラゴンの口の中に入っていくみたいだね」
ローレンの瞳が好奇心に光るように見えた。
赤い光の峡谷を通って、そこには天に丸く曲がった大きな木が倒れていた。
幹の中は空洞になっており、まるでその中が洞窟の入口のようだった。
(熱い風、そして、匂いが苦しい)
「うっ、入ってみようか」
フレアは不安げに後ろを振り返った。
「ちょ、ちょっと待って、本当にこの中を通るの? 他の道はないの?」
「ないみたいだよ。風がこっちへ流れてる」
スキブーがその場に立ち止まり、フレアを見上げ、鳴いた。
ローレンは一歩を踏み出し、風の魔法で空気を押し広げた。
「こうやれば、ちょっとマシかな」
(なんか、妙な音かする)
空洞を進むほど低く大地が響くような音が大きくなって来た。
空洞を抜けると、目の前には赤く輝く岩山が広がっていた。
フレアがつぶやいた。
「あ、滝だよ。不思議だな、ここはそこまで匂いが酷くないね」
滝の音がともなく響き、山が呼吸しているような風の音が聞こえた。
(滝に沿って回ると山が息づく場所、そこに【忘られた門】がある)
赤い岩壁がまるで屋根のようになって、そこを通り、滝の後ろに入った。そこには蔦が風の歌に息を合わせ揺れていた。
その奥には確かに古びた門があった。
(石?分からない素材だな。黒くだが、金属のようではないけど、何だろう?)
それは閉ざされた大扉ではなく、何かに砕かれ、朽ち果てた残骸だった。
洞窟の中は暗く、土の壁はほんのりと温かい。
どこからか涼しい風が吹き抜け、かすかに金属のような香りが混じっていた。
(バルダーの光よ、闇を照らしてください)
「ありがとう、シャーリン。よし、行ってみようか。 早くここを通過しようと!」
(ヒルダ、待ってね。これでもう一歩、あなたに近づくんだね)
暗闇の中でこそ、光がはっきり見えるものだ。
痕跡には、それぞれ理由がある。
そして、そこには二つの道がある。【思い出】になるか、【傷】にもなるか。
シャーリン。暗闇に負けるな。前を見て、光に進め。
暗闇の中にあった時間も【思い出】になるのはその道しかないのだ。
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