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ファンタジーが始まる  作者: カカ
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【暗転】 1

 鳥のさえずりに、意識が浮上する。

 閉じている瞼の先が白くて、顔全体にじんわりとした熱を感じる。やわらかいひかりが私に降り注いでいる。

 どうやら私は弾力のある地面に横たわっているらしい。身じろぎをしたら、もふもふとした肌触りの土地が足に巻き付いた。ぎし、と下のスプリンクがきしむ。


 頬を撫でるさらりとした布の感触には覚えがあった。

 人工的な、馴染みのあったフローラルの香りにつられ目を開けば、無地の、少し草臥れた掛け布団があった。頭の上には枕があって、ベットボートにはデジタル式の目覚まし時計があった。更に向こうにスライド式の窓があって、少し空いたカーテンの隙間から日が差していた。

 昔住んでいた場所に緑はわずかしかなかった。灰色のマンションや薄いクリーム色の一軒家が足並み揃え立ち並び、息を吸えば肺に入るのは排気ガス交じりのざらついた空気。

 忘れかけていた記憶の一片。


 あの時は当たり前だった景色が、私が唯一叶えられない景色が、広がっている。


 これは夢なのか、幻なのか。


『綾芽』


 肩が鞭にうれたかのように跳ね上がる。

 生まれ落ちてからずっと持っていた名前はもう輪郭さえもあやふやで、名付けた親の顔も思い出せない。のに、優しい声はそっと私を包んだ。


『綾芽』

 

 そう呼んでくれた友の声だけが、私のこころを撫でていく。瞬きした表紙に両目から涙がぼろ、と落ちていった。


 此処はどこだ。

 いやそんなことはどうでもいい。


 なんて、むごい仕打ちをする。


 思えば私は、既に心身ともいっぱいいっぱいだった。


 魔女を引き継いでから出来るだけ周りに迷惑をかけず、ひっそりと、道端の石ころのように生きて行こうとしていた。そうすれば私を避けないでいてくれるはずだ。先代のように、寂しくて誰かを犠牲にすることもないに違いない。

 とにかく生きるのだけで精一杯だったのだ。他に目なんていかなかったから、ある意味平静でいられたのだろう。


 それが騎士様に会ってがらりと変わった。


 日本人から魔女になり、ひとりの生活にようやく慣れたところで騎士様と出会って、秘密を知り、呪いを知られた。

 日本のお菓子を作り、騎士様に食べて貰うようになって、今日はドーナッツを作った。【彼】を探した。

 はじめて住民の前で茨を出した。騎士団長に会って、目を付けられた。騎士様の名前を知った。

 そして、本名を口にした。


 情緒不安定気味になり、茨を暴発することが増えた。その度騎士様に助けてもらっている。


 原因はひとえに【綾芽】だった部分が滲み出て来ているから。


 これは、良い事なのだろうか。いや、悪いことだ。だって皆に迷惑をかけている。現にまた騎士様を困らせているじゃないか。


 どうしよう。至らない私に呆れて、もう薬を買いに来て下さらなくなるかもしれない。二度と顔を合わせなくなるかもしれない。

 考えるだけで、腹の底が震える。頭上の枕を掴んで顔を伏せた。ぶるぶると体中が震え、嗚咽を殺そうともがく。


(目を開けたくない)

 

 帰りたい。


(どこに?)


 【綾芽】には後ろを振り向く余裕も、場所もないじゃないか。


『魔女さん』


 声は後ろから聞こえた。枕を持ったまま振り向けば、部屋の境目がぼやけていて、更に視線をやると今まで居た公園に、見知った姿があった。


 ベッドを挟んで、昔と今の世界が広がっている。


 確かに彼は私を呼んだ。

 ならば返事をしなければ。そして謝罪し、また、店に来て下さるか聞いて――


 もう何度目になるだろう。同じ失敗ばかりして謝っての繰り返し。

 魔女になってからの自分が嫌でたまらない。


 綾芽。綾芽。

 両親が私を呼んでいる。


 身体を起こし、もう一度前を向く。目覚まし時計に刻まれている時刻は、いつもの起床時間より早かった。ここで目をつむりベッドに身を預けたら、何か変わるのだろうか。


(先代の意思も継がず)


 右腕で涙をぬぐい昔に背を向け名前を読んだら、相手は小さく頷き銀髪を揺らした。


(貴方に出会うまでは、帰るなんて事考えもしなかったのに)


 目頭がかっと熱くなり、喉からくぐもった悲鳴が漏れた。


 相手は黙ったまま、右手を前に掬い出す。今までは決して取らなかった手だ。


『君の瞳は夜の星空だ。見つめると、気持ちが凪いでいく』

『君は僕の拙い話にも耳を傾けて笑ってくれる。ずっと楽しそうにしてくれる姿はとても眩しくて、宝石みたいに見えた』

『君だけが違う』


(私を、受け入れて下さった)


 あれはあの場のノリというか、社交辞令だと思っていた。でも、もしかしたら、ほんの少しだけ本気だったのかもしれない。

 そうじゃなきゃ、あの団長に盾突いたりしない。


 彼の呼びかけにも答えないで、頂いた沢山の恩だけ貰って逃げるような、そんな女なのか、私は。


 ここまで心を砕いて下さっているのに、なにを怖がっているんだ。

 しっかりしろ、嫌われたくないんだろう!もしまた居なくなったら、その時は元に戻るだけだ。

 大丈夫 怖くない。

 枕を捨て、前に向かって歩きだす。


 名前が私にまとわりつくのを耳をふさいで封じ、相手の元へ向かい、目の前の掌に触れた瞬間、景色が泡となって消えた。



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