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庭と花と散歩事情 後編




「あっ」


 庭を歩いていたビアンカは転びかけた。

 躓いてから回避する能力があるはずもなく、地面に飛び込む未来を覚悟した。しかし、あっ、と言った直後には体が支えられ、事なきを得た。


「お前は相変わらず、何もない場所で転びそうになるな」

「も、申し訳ありません」


 共に外に出たデューベルハイトが支えてくれたのだった。

 ビアンカの転倒を阻止したデューベルハイトは、そのままビアンカを抱き上げた。

 その方が効率的だと判断したのかもしれない。


「陛下は滅多にお庭には出られませんから、今ではお姫様の方が庭を知っているかもしれませんねー」


 珍しく灯りを手に、微妙に前を行っていたフリッツが、再び歩みが進み始めた際に言った。

 そんなことないとビアンカは思った。

 今だって、案内と言われて必死に記憶の糸を探し、手繰り寄せているのだ。

 五日前にあの花を見た花壇はどこだっただろう、と。

 何とか案内しているものの、言わずもがなそんなに自信がない。

 銀毛の狼が少しだけ先を行って、ときどきちらっとこちらを見ているのは、もしかしてこちらで合っていると教えてくれているのだろうか……あ。


「あ、あそこです」


 ぼんやりとした青い光が見えて、ビアンカはデューベルハイトを見上げた。

 うっかり迷って、デューベルハイトを無駄に歩かせてしまったらどうしようかと思っていたから、安堵した。


 ほっと胸を撫で下ろしたところで、辺りを照らしていたものがなくなる。

 フリッツが手にしていた灯りが消えていた。

 辺りは真っ暗になったが、到着地点が判明したあとなので、デューベルハイトの足取りは淀みない。もちろん転ぶ気配もない。彼の目には、景色が暗闇に遮られていないのだう。

 暗闇の中、唯一の光源が近づいていくと、花壇の側にしゃがみこむ姿があった。そこだけ青い光がなかったから、ビアンカにも分かったのだ。

 姿は後ろ向きで、背中がこちらに向いているようだったけれど、ビアンカがその服装を正確に捉える前に、姿が動いた。

 気配に気がついたのか、まずは頭が。顔が振り向く。


「──陛下」

「デズモンドだな」


 あの庭師の吸血鬼だった。

 庭師の吸血鬼は手を軽く払って立ち上がり、デューベルハイトの方に体の正面を向け、


「お久しぶりでございます」


 恭しく頭を下げた。

 その行動の優雅さと、土に汚れた格好が、やはりというか何と言うか絶妙に合わない。


「本日は如何なさいましたか」


 普段、デューベルハイトが庭に出ないからかそんな問いがされた。

 デューベルハイトは簡潔に答える。


「花を見に来た」


 王の返答に、デズモンドは大層驚いた表情をし、次いで、なぜかデューベルハイトの腕の中にいるビアンカを見る。

 しかし、不意を突かれた様子は短い間。

 庭師となった吸血鬼は、「陛下にもお目にかけられるとは、光栄の限りです」と微笑んだ。嬉しそうな雰囲気が滲み出た微笑みだった。


 目的の花壇についたことで、ビアンカは地面に下ろされる。

 青い花は変わらず光を放ち、不思議な魅力を持つ佇まいだった。

 心なしか、五日前に見たときより、鮮やかだ。曇り空と、この新月の夜との違いだろうか。

 ……いや、月がないどころか星も出ていないと、たった今気がつく。こんなに真っ黒な空は、初めて見た。星はどこへ?

 とはいえ、空に月が出ていないということは、地上を照らす自然な光がないということである。

 灯りを消し、唯一の光源である月がないとなると、それはもう真っ暗だ。

 その環境が前方の花壇の花の存在を際立たせたようだ。

 バルコニーで見たときよりも光が際立ち、そして花が多く集まっていることから、光そのものが咲いているようだ。

 微かな風が吹くと、光が揺れる。


「陛下が庭にお出になられたのは、随分久しぶりのことかと思います」

「ああ、そうかもしれないな」


 庭師の言葉に、デューベルハイト自身は大して気にしていなさそうな言葉を返した。

 一方、二度目ながら青い花を注視していたビアンカは、何となく引っ掛かって視線を上げた。

 デューベルハイトと目が合った。青い光と正反対の色の目。きっと、赤く光る花が生まれても、この瞳の色の美しさには敵わないだろう。


 ──ではなく。

 随分久しぶり、とは、どれほどの期間を示すのか。改めて気になった。

 吸血鬼と人間は、寿命が異なり、どうも時間間隔も少々異なるようであるとはビアンカも感じていたところ。一年二年は別に久しぶりではない、とか。


「と言うことは、お妃様と散歩されることもあまりないのでしょうか」


 自分と?

 ビアンカは自らが引き合いに出されるとは思っておらず、言われて、庭師を見てからデューベルハイトを見た。

 すると、デューベルハイトもビアンカを見た。


「ないな」


 ないのである。

 気がつくには、遅すぎたかもしれない。

 思い返してみると、城の庭を一緒に歩くのは、もしかして初めてではないだろうか、と思い至った。

 部屋で一緒に過ごすことや、最近では図書館で過ごすこともある。けれど、デューベルハイトの趣味の狩りで森に行くこともあるものの、この城の庭を散歩することはなかったのではないか。

 散歩は、いつもアリスと狼と。


「では、本日はせっかくです。ごゆっくり」


 深く一礼した庭師は、花壇の側から退き、花壇そのものから離れていった。




 ──王が人間の妻を側に寄せ立つ姿と、その背景に庭がある光景を目にした庭師は、穏やかな微笑みを讃えていた。

 見たのは、ついてきていた側近と侍女のみ。狼は、しっぽを振って、静かに庭を駆け出していた。




 庭師が去った花壇の側で、ビアンカは花に気を引かれるやら、デューベルハイトの反応に気を引かれるやら。

 ビアンカがこの花を見せたかったのはその通りなのだけれど、花の感想を聞くのは違う気がする。

 そもそもデューベルハイトは、庭にも花にも興味があるわけではないらしいので……。


 デューベルハイトはしばらくじっと青い花を見ていて、ビアンカはそんなデューベルハイトをちらちら見ていて。


「お前は、この花が気に入っているのか」

「は、はい」


 急な問いに、ビアンカは一言だけなのに妙に力の入った返事をしてしまうはめになった。


「そうか」


 そんなことは気にならなかったらしい。デューベルハイトはただ一言口にした。

 彼が花を見て、何を思っているのか、何か思っているのかは分かりようがない。


「……デューさまは、お庭をお散歩されることはないのですか?」


 庭師が言っていた言葉の数々を思い出して、ビアンカは尋ねた。


「必要だと感じたことがないからな」


 そんな答えが返ってきた。

 確かに散歩は、しなくても支障のないことだと言えるだろう。ビアンカとて、祖国では庭に散策しに出ることはなかった。

 デューベルハイトは、狩りが趣味と嗜むものがないわけではなさそうだから、観賞の類いは興味がないのだろうか。

 狩りで庭より距離のある森へ行くのと、庭に出るのとでは完全に違うらしい。……することに明確に違いがあるので、それはそうか。


「お花にもご興味がない、のです、よね……?」


 それはそうと、庭に出てきてくれたデューベルハイトだけれど、やはりそれは変わらないのではないか。

 ちょっとおそるおそる、確認するように聞いてみると、


「そうだな」


 案の定、さらっと想定された答えが返ってきた。

 そこで、浮かんでくるのは一つの疑問だ。なぜ、デューベルハイトは出て来てくれたのだろう。

 ビアンカは思わず、庭に素敵な花があるから、可能ならばデューベルハイトにも存在を知ってほしいと、見て欲しいと言ったのだが。言ったあとは、駄目元の気分だったのだ。

 現に今、彼は花に興味がないということを肯定し、その前には散歩は必要と思ったことがないと答えた。

 だけれど、だ。


「お前が私に見て欲しいと言い、私が見に行こうと思ったから見に来た。それだけだ」


 だけれどデューベルハイトは庭に出て来て花壇まで来たように、確かに彼が発した言葉とは反対の行動を述べた。


「お前が気に入っているならば、それでいい」


 ビアンカは気に入っていても、結局デューベルハイトはと思って、やっぱり時間を取らせてしまったとではないかとか思わなくもなかったけれど。

 髪を撫でる手と、降ってきた口づけが優しく、ビアンカの気にすることは気にすることではないと感じさせるようだった。


「少し歩くか」


 デューベルハイトは返事は待たず、ビアンカを抱き上げ、歩き始める。




 ──吸血鬼の現王は、先代の王が妻と仲睦まじく庭を歩いていたことに興味を抱かなかったから知らないし、代々の王がそうしていたことも知らない。


 その日以来、吸血鬼の王とその人間の妃は時折共に庭に出るようになったが、人間のお姫様が花や月や星を見ているのに対し、王はそんな自らの妻ばかり見ていたとか。


 庭に、人間のお姫様が、明かりに照らされなくともよく見える光る花が増えたのはもう少しだけ先の話。






 











 デューベルハイトが雪の花をビアンカに見せたが、ビアンカはお返しという意識はなく、無意識に自分だけが知っているにはもったいない素敵な景色を伝えたかった。

 デューベルハイトはビアンカがそう言うなら見に行ったが、別に花自体に興味があるわけではない。景色は見て、そうかと思って、あとはそれを見ている、見せたがっているビアンカの方を見る。

 そういう話。


 お久しぶりの方も、そうでない方もお付き合いいただき、ありがとうございました。



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