魔物たちの館
辺りにはどこまでも続く森林が月明かりに照らされる。暗闇にぽつんと二つの街灯が霧を映し、浮かび上がっていた。
「……やっと、帰ってこれた」
洋装の少女が、木に手をかけて力なく息を切らす。
緩いウェーブがかったホワイトアッシュの髪を耳にかけ、正面を見上げた。視線の先には一つの古びた屋敷がそびえ立つ。草木が生い茂る庭は植物で土が見えず、道と言えないそこを歩き出した。
数ヵ月前に少女の両親がしばらく出掛けると言ったたまま帰ってこなくなった。しびれを切らして探しに出たのは一週間前のこと。近隣の町にも見つからず、とぼとぼと帰る時、近道にと森の中で道が分からなくなっていた。一週間も、普通の少女が経験するとは思えないようなサバイバルを行う事になったのだ。
「もう近道なんて、絶対しないんだから……無事でほんとよかった」
森の中には、この世界で人を襲うとされる「魔物」がいる。生まれつきの種族や、堕落した天使、果ては悪意の生き霊など、とにかく人に害する危険な存在。それらに何とか遭遇せずに済んだのが奇跡に思えた。少女にとってどんなに怖かったか、家を前に泣き出しそうになっていた。
「よかった……ほんとによかった……あたし、助かったのね」
門の前で息を切らし、現実を認識する。足元に目をやると、主の不在で雑草が生え始めていた。――生き延びた。疲れた。――そんな思いに駆られる。歩き抜きボロボロになった靴を見つめ、涙を浮かべた時だった。
「いらっしゃいませ」
「…………はい?」
急に、人の声が聞こえた。少女は驚いて顔を上げる。辺りにはうっそうとした木々に、濃霧に包まれる屋敷以外、何もない。
「……」
静かにすると、風と葉がざわめく音がやけに大きく聞こえる。さっきの音は気のせいだと思い込んだ。
「あれ、でもなんか……」
景色の一部に違和感を感じる。それに気が付き異常が認識できるようになるも事態が飲み込めなかった。ゆっくりと頭の中を整理する。
「お待ちしておりました」
喋ったのは、二つの街灯。それが人間の体で服を着ている。少女は目をこすり、もう一度見る。確かに、そこには異質な存在が立っていた。
「ま、魔物だーー!?」
「あなたはメア様ですね」
「なっ、何!?」
見たこともない異様な存在に大慌てする。名前を呼ばれた少女、メアは街灯を凝視した。
(あたしの名前……。っていうことは魔法の設備か何か?)
敵意は無さそうだが安心はできず、メアの頭は混乱した。両親がいつの間にか帰っていて、高性能な門へとグレードアップしたのだろうか。いくらメアの両親が放任主義だったとはいえ、子守りに使われる魔法のようで嬉しくはなかった。むしろ左右に立つ街灯頭の男は不気味に感じる。
「あの、あなたたちは……」
「こちらへ」「どうぞ」
「あ、はい……」
街灯の新機能にメアは疑問だらけだった。だが丁寧な二人の態度に、流されるように従った。
――――
メアは交互に喋る左右の街灯に導かれる。草木が生い茂る庭を抜け、館の中へと足を踏み入れた。古びた屋敷は、少女が家を出る前からすでに放置されており埃っぽい景色が広がっていた。これでは魔物が住み着いても不思議ではないとメアは反省した。三人は洋館の階段を上がって三階へ登る。街灯の二人が立ち止まったのは、一番奥の父親の部屋の前だった。一体不在の間、両親に何が起きたのだろうか。メアは胸元で手を強く握った。
「こちらへ」「お入り下さい」
「は、はぁ……」
あの父親が帰っていたのかとメアは思ったが、あり得ないという考えの方が強かった。普段、父親は娘であるメアや母親の事をほったらかしにして酒に遊戯と遊び暮らしていた。家庭を蔑ろにしたしわ寄せで母親が多忙となり、メアに対しても面倒そうにして相手ができなかった。そんな両親が急に新設備の自慢でも始めたのかと困惑していた。メアは混乱を振り払うように扉を開けた。
「お父さん、なの?」
「客か」
月を眺めていたらしい椅子が回り、こちらへ振り返る。男は父親ではなかった。見知らぬ男。人と異なる牙や異なる肌の色、銀の長髪。これは、人間ではない。確実に異常事態だ。そんな思考も白に染まり、メアは口元を両手で押さえた。
「どちら様なの……」
「私はイレーズ。この家の主だ」
「ここあたしの家なんですけど……」
「私を誰だと思っている」
男には話が通じなかった。威圧的な態度に、メアは言葉が聞こえないのでは? と思った。どう反論していいか分からなくなった時、メアの背後から、ハッと掠れた笑い声のような音が聞こえた。メアは驚いて振り返る。
「裁判勝負でもするかい、嬢ちゃん」
「ひっ……!」
またも、そこにいる人離れした姿にメアは身の毛がよだつ。大きな黒い革靴とタキシード。恰幅のいい体格。そして頭は、狼そのもの。初めて間近で見る獣の姿だった。メアは驚きで体が縮こまるっていると、狼がにやっと一笑する。
「ハハッ、お客さんにはきちんと挨拶しないとな」
「その必要はない」
銀髪の男が立ち上がり、バサッと衣服をなびかせた。装飾が施された剣が、月明かりできらりと輝く。
「ここで殺してしまえ」
「ち……ちょっと!?」
金属音と共に剣は引き抜かれる。月光でまぶしい刃を向け一歩、また一歩とメアに近づく。男の表情には感情がない。
「まぁ待て、イレーズ」
狼頭の男が、メアとイレーズの間に颯爽と立つ。メアは大きな背中を見上げた。
「なんだ」
「せっかくの人間なんだ。生かしておこうぜ」
イレーズは言葉を受け、表情のないまま無言になる。そして剣を再び鞘にしまった。歩き出し、狼の横で立ち止まる。
「どうでもいい、好きにしろ。物好きなやつが」
冷たく言い放つと、何事もなかったかのように部屋を出ていく。とても淡泊なやり取りだった。だが、これでメアは命拾いをしたのだ。安堵し、へなへなとその場に座り込む。
「ありが、と……」
「ハッ、どういたしまして」
「……あいつが、あたしの家の主って嘘でしょ」
「まぁな。誰もいない時を狙ったんだとよ」
「何それ……」
即認められる。手口も姑息だった。メアは先程の威圧的な男を思い出して、脱力感に襲われる。
「たった一週間家を空けただけなのに。それっぽっちで家を乗っ取られるなんて油断も隙もありゃしないね……」
――――
メアは呼吸が整い、立ち上がる。狼に話しかけようとしたが、冷静になるとだんだん目の前の狼が恐ろしく思えた。話すことも忘れて震え始めると、先に狼が口を開いた。
「それでだ。これからどうするんだい」
「どうするって……」
「ここの仲間になるか、出ていくかだな」
「あなたたちは、出ていってくれないんですか?」
「悪いな」
「じゃあ、危ないかもしれないし……」
「おっと、断りなく家を出たら、速攻であの吸血鬼の餌になるぞ」
「っ!?」
「ハッ、断りがあればいいんだ。面倒だろ?あいつ」
吸血鬼。そのワードに驚きを隠せなかった。吸血鬼とは希少な魔物で、人里近くかつ孤立した館を好む生態。メアは言葉が出てこなかった。同時に人間離れしていた姿にも合点がいった。もし出ていくと断ったとしてもその瞬間餌になるのでは、と恐怖が沸く。それは同じ恐怖は目の前にいる狼に対しても同じだった。
「あぁ、俺は嬢ちゃんの事を食ったりはしないさ。なんてな」
飄々とした狼の笑みに、メアは足元がすくむ。この館はすでに、魔物たちの手に墜ちていた。
――――
狼男の先導で廊下を歩く。行く先は大広間。夕飯の時間で、そこに皆が集まるらしい。魔物たちはメアが不在の一週間で、すっかり館の部屋を把握しているようだった。
「そうそう、俺の名はギヴ。嬢ちゃんの名前はなんて言うんだい」
「あたしはメアです」
たどたどしい会話の途中、メアの視界に何かが入る。廊下の先に何かがいるように見えた。
「……?」
よく見ても分からない何かが、こちらに向かってきているようだ。メアが何なのだろうとじろじろ見ていると、それは立ち止まった。
「……邪魔だ」
「あっ、すみません……」
一言、低く唸るような声色。それでようやく人なのだと理解した。詳しく言えば人か定かではない。闇の中でローブに身を包み、フードで顔を隠しているためメアには判別のしようがなかったからだ。
「おっと、こいつは失礼」
「……」
ギヴからの返事に、男は無反応のまま去っていく。メアはその後ろ姿を不安げに見つめていた。
「あいつはソロー。まぁ、色々とある奴だ」
「まだお仲間の方がいたんですね」
「あぁ。外にいる街灯の兄弟には会ったんだろ?」
「そういえば……」
館の入口で会った街灯の二人を思い返す。あの二人もやはり魔物なのだろうか。そんな事を考えているとギヴに扉を開けられて、大広間へ導かれた。部屋の中央にあるテーブルは十人は座れるであろう大きさで、蝋燭の火が灯り揺れていた。一番奥には、吸血鬼であるイレーズが腰かけていた。
「来たか。今は一応客だ。ゆっくりしていけ」
(……丁寧なんたか無礼なんたか)
先程の事もあり、メアは遠くの入口ちかくの席にちょこんと腰かける。狼は吸血鬼の近くに腰掛けた。この二人に「夕食はお前だ」と言われやしないか、おかしな妄想がメアの脳裏に過った。どぎまぎと待つ。少しするとガシャガシャと食器の音がして、ノックの音が届いた。
「お待たせしました」「夕食の準備ができました」
同じ声が聞こえて扉が開いた。現れたのは、メアが最初に会った街灯の二人だった。
「どうぞ」「ごゆっくり」
テーブルにパンやスープなどの夕食が並べられていく。二人と離れて座るメアと、一番奥に座している吸血鬼の目が合う。何を話していいか分からなくなり、ふいっと目を反らした。
「そう怯えるな。この狼は、私の友人のようなものだ」
「友人か? よく言うぜ。いつもこき使う癖によ」
二人は互いの言葉にトゲがありながらも、長年の友人関係のようなものを感じさせた。それを見ていたメアはじっと物思いに駆られ、表情を曇らせる。
「どうしたんだい」
「いえ……あ、あたしは、友達が一人もいなかったから」
まるで話の流れを切るような言葉だった。狼と吸血鬼がメアを見つめる。配膳をしていた街灯の二人が準備を終えて帰ってきた。メアは気にせず、言葉を続ける。
「いつも一人でいる事が、多かったから。他の子と馴染めなくて……」
メアが口ごもりがちに話す。その様子を見たイレーズは吐き捨てるように言った。
「全くくだらん。そんな些細な事象に悩む暇があるのか」
「あたし人間だもん……」
「その程度では、我が館ではやっていけないな」
同じ形の街灯たちは何事かと、顔を見合わせる。そしてイレーズの方へと顔を向けた。
「イレーズ様」
「この方は新しい仲間になるのですか?」
「さあな。ただの客か……私の手下か」
二人はメアの方を向き直った。
「僕はレスト。フラットの兄です」
「僕はフラット。レストの弟です」
「よ、よろしくお願いします」
二人はメアに気を使って話しかけ、間を取るようにテーブルの中央を挟んで腰掛けた。魔物の巣窟となった我が家。最初は恐怖の感情しか持てなかったが、メアには一つ気付いた事があった。
(あ。あたし、久しぶりに他の人と喋ってる……)
幼い頃から家でも部屋にこもりっきりで、対人関係の築き方も分からず寂しい思いをした。友達もおらず、だんだんと人間に対して苦手意識を持つようにもなった。それが今、魔物達には自然と受け入れられている。それは少女にとって、大きな進歩に思えた。
「小娘、お前は明日出ていくか」
(どうしよう、住む場所もないし……)
出ていくという返事が揺らぐ。少女の中で徐々に二択が拮抗し、やがて決心した。
「いえ……、ここで生活し……いえ、働きたい、のですが」
メアは不安で握りしめる胸元の手をほどき、僅かにうつむいた。
「お父さんと、お母さんが帰ってくるまでは……一緒にいたい、かも」
「そうか」
言葉を聞いた吸血鬼が、嘲笑うように口端を上げた。仲良くしてもらえるなら魔物でも。むしろ魔物ならば。そう考えてしまう理由は、メアがどうしようもなく感じている、自分自身の性格のせいだった。
「……人が、苦手だから」
「貴様も人ではないか」
メアが返事をせず、場に静寂が訪れた。問い掛けが痛い。イレーズの見下すような視線が刺さるようだった。メアにとってこの機会を逃しては、他に頼りがない。どきどきとしながら、返事を待った。
「ならば空き部屋なら好きに使え」
「え……それって」
イレーズの言葉は柔らかく、空気がふっと軽くなるようだった。狼のギヴが頬杖をつきながら笑った。
「なんだ嬢ちゃんは同族が嫌いってか。俺と同じじゃねぇか。よろしくな、嬢ちゃん」
ギヴが力強く言う。街灯頭の双子は顔を見合わせた後、メアの方を見る。表情がないというのに、明るくなったようだった。
「よろしくお願いします」
人ではないが、こうして仲間が出来た。得体の知れない仲間を見つめて、メアは、今日初めての笑顔を見せた。




