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薔薇帝の日常  作者: 柳澤伍
薔薇帝の相談室
3/3

文化部長×体育部長――2

*祐徳さんがちょっとゲスい

『―…という訳だ』

『つまり祐徳、君は早瀬に手籠めにされかけたところをぎりぎりで回避し、何とか貞操(ケツの穴)だけは死守して逃げ出してきたのだな』

『……理広、俺は君のその口からケツの穴という単語が出てきたことを嘆いてもいいだろうか…』


 項垂れる陣中の目の前に置かれたティー・カップには、胃に優しいハーブティーが注がれている。今宵のティー・セットはマイセンの波の戯れだ。ティー・セットを集めるのが趣味だと豪語して憚らないだけあって、この部屋を訪れるたびに異なるティー・セットでもてなされることには慣れてしまった。


 どこか遠い目をしつつハーブティーを飲む陣中を、この部屋の主――未来の薔薇帝こと相良宮が慰める。ただしその眼はどこか楽しそうに細められている。


『まぁ、あまり気にするものではないよ。それにしても君は本当に甘っちょろいな。というか何だかんだ言って君と早瀬は相思相愛なんじゃないか。それならばどうして受け入れてやらなかった。君がああ言ったところで早瀬の執着はなくならないし、むしろ貞操を頂かないだけで身体は好き勝手に弄ばれるぞ。むしろあの早瀬(バカ)の事だ、君の貞操を頂けないなら自分の貞操(ケツ)を捧げてくるかもしれん』

『………そこまでは考えが至らなかったな。しかし早瀬は俺に童貞を捧げるつもりはあっても、貞操までは寄越さないだろう。あれは華奢な見てくれに反して中身は立派な“雄”だからな。一度決めた自分の雌()に対して主導権を渡すことはないさ』

『君は敢えて主導権を握らせてやるつもりなのか』

『当り前だろう。そちらの方がずっと扱いが楽だ。俺は体を動かすことが好きだが、頭を働かせることだって嫌いではない。それに相手は早瀬だ。生まれた時から隣に居る早瀬(バカ)の考えていることなぞだいたいわかるさ』

『そんなことを言っておいて、足元を掬われるなよ』

『その為に君の所に赴いている』


 忠告めいたことを口にしながら笑う相良宮に、陣中も食えない笑みを返す。ティー・カップに残っていたハーブティーを飲みほし、陣中は席を立った。そろそろ戻ってやらねば、あの強くて弱い幼馴染は兎のように目を真っ赤にして泣き腫らしていることだろう。自分で線を引いた割に、ずいぶん甘いものだと陣中は苦笑する。


 それもそうだ。考えてもみるがいい。物心つかぬ年より幼馴染から執着じみた愛情をその身に受けてきたのだ。表面では嫌だの何だの思っていつつも、それが当たり前になってしまっている。今更それが無くなってしまう方が陣中は恐ろしいし、自身から目移りさせる気もないのだ。これではどちらが執着している方なのかわからない。


 陣中が早瀬に怒りを覚えたのだって、肝心な言葉を言わずに事に及ぼうとしたからに過ぎない。早瀬が順番を素っ飛ばすほど焦っていたとも考えられるが、知識も体験もないのにいきなり身体を割り拓かれるのだけは勘弁してほしい。陣中にだって夢や理想はある。


 出来るなら可愛い女の子や綺麗な女性と筆おろしをしてからにしてほしい、と思っているのは早瀬には秘密だ。陣中が早瀬を受け入れたならば、彼が己を手放すとは思えないし、逆もまた然り。せっかくのセックス・シンボルが、飾りのまま排泄器官として以外では一生使われることがないだなんてあまりにも惨めだ。


『ありがとう、理広。急に押しかけてすまなかった』

『君の事だからあまり心配はしていないが、少しでも揺らぐことがあればいつでもわたしのもとへ来い。わたしに話し難いようであればあれ(・・)にでも伝えるように』

『承知した。では、失礼する』


 相良宮の部屋を出て自室へ戻る。すでに灯りの消えた室内を見渡すと、早瀬の使っているベッドには布団の山が出来ていた。恐らく早瀬が中に閉じこもっているのだろう。普段ならば傍に寄り、山を撫でてやるところだが、陣中の中にある早瀬に対する怒りは未だ燻っている。


 結局布団の山を一瞥するだけにとどめ、陣中は自身のベッドに身を横たえ――ようとして先程の惨事を思い出し、素早く身を翻す。すっかり忘れてしまっていたが、陣中のベッドは先程早瀬によっていろいろやらかされてしまっている。早瀬に後片付けを求めたところで、彼がそんな気を回すとも思えない。


 失礼する、と言って出てきてしまった手前、相良宮の部屋には戻りにくい。しかしシーツがぐちゃぐちゃのドロドロになっているであろう自身のベッドでは眠りたくもない。もちろん、今からそれを片付けるなんて言う選択肢は論外だ。そうなれば、おのずと選択肢は限られてくる。


 陣中は早瀬の籠るベッドに近付くと、徐に山を形成している布団を剥ぎ取り、目を白黒させている早瀬を置いて素早くベッドに身を横たえた。1人だと広すぎるベッドも2人で寝る分にはちょうどいい。このまますぐにでも眠ってしまいたい、そう思っているのは陣中だけのようで、早瀬は口角泡を飛ばさんばかりの勢いて陣中に向けて言葉を飛ばす。


『祐徳っ、きみは何を考えているんだ!』

『煩いぞ早瀬。君は俺に、自身の体液ででろでろのぐちゃぐちゃになったベッドで寝ろというのか。そもそも君があのような行動に至らなければ、君と俺は今日もそれぞれのベッドで安眠を貪っていたと思うのだが、俺は何か間違ったことを言っているだろうか』


 陣中の言葉に、早瀬は痛いところを突かれたとばかりにぐっと詰まる。そもそもこの件に関して早瀬が反論できるはずがないのだ。早瀬にできるのはただ只管耐え忍ぶことだけであった。


『おれは、きみが何を考えているのかわからない』

『そうか、ならさっさと寝ろ。考えたところで時間の無駄だからな』


 早瀬が愚痴っぽくそう呟いた。それをいなして陣中は目を閉じる。ただの幼馴染であった陣中と早瀬の関係は、この夜から一変する。しかしそれを他人が悟ることはなかった。


 何故なら2人の関係において変わったことがあるとするならば、陣中が早瀬を名で呼ばなくなったことと、早瀬の女遊びが少し落ち着いたことくらいだろうか。しかしあまりに些末なそれを、気にするものはそういなかった。


 ――そして、4年が経った。



++++++++++++++++



「正直に言うと、俺は早瀬との根競べがこんなにも長くなるとは思わなかった」

「そうだな、わたしも想像していなかった」

「早瀬にはもう2年付き合った女がいる。しかし、貞操(ケツの穴)だけは死守しているが、俺もまた奴と身体を重ねている。……もういっそ俺から言った方がいいのではないかと思い始めてきたぞ」

「そう言えば君は今年の春に童貞を卒業したんだったな。それなら構わない気もするが、言うつもりはないのだろう?」


 アレクサンドラのティー・カップを傾けながら薔薇帝はニヤリと笑う。それに、陣中の頬が引きつった。薔薇帝はさも愉快だと言わんばかりに破顔し、空になったティー・カップに手ずからお代わりを注いでいく。


「わたしが言うのもなんだが、そろそろ潮時かもしれんぞ」

「……そうか」

「敢えて口に出してみろ。あれはひどく妬心が強いからな、何か変わるかもしれんぞ」

「手酷くやられて傷を負わないように祈っていてくれ」


 皮肉気にそう呟いた陣中は、残っていたアールグレイを一気に飲み干すと席を立った。邪魔をしたな、と右手を上げゆるりと去っていく陣中の背中を見送る。薔薇帝の切れ長の瞳には、身内にしか見せぬやわらかで慈しむような光が宿っていた。


「さて、祐徳は去ったぞ。新しいカップを用意するからこちらに来るといい」


 陣中の程よく筋肉がつき、引き締まった背中を見送っていた薔薇帝が、不意に茂みへと声を掛ける。薔薇帝はそちらを気にすることなく陣中が使っていたカップとソーサーをサイドテーブルへ退け、新たな訪問者のために1客のそれを用意する。


 陣中にしたように手ずからカップへ紅茶を注げば、慌てたように茂みから訪問者が飛び出してくる。薔薇帝は訪問者のことをよく知っていた。そして、その人が何のためにこの薔薇庭を訪れたのかも。


「やぁ咲都子嬢、久方ぶりだな」


 薔薇帝は訪問者に向けて口の端を持ち上げ、美しい笑みを見せた。咲都子と呼ばれた黒髪が美しい少女は、薔薇帝の微笑みに少しだけ気圧された様子を見せたものの、すぐに居住まいを正す。


「お久しゅうございます、薔薇帝様。挨拶よりもまず我が幼馴染殿のことで単刀直入に申し上げてよろしいですか?」

「口ではそう言いながらも許可を取るつもりなどないのだろう。ならばさっさと言うがいい」

「では早速ですが。薔薇帝様、わたくしはもういい加減、織部を許せそうにありません。祐徳の優しさに付け込んで彼の肉体を弄んだ挙句、自身は2年もの間、別の女性と交際している。どっちつかずの好色男と罵りたいところですが、幼馴染の誼で耐えていましてよ」

「確かに咲都子嬢の言う通りだ、わたしもほぼ同意する。しかしだな、咲都子嬢。早瀬もあれで弱い男なのだ。早瀬の選択肢には祐徳一択しかないのだが、祐徳もそうだとは思っていない。だから祐徳に受け入れられなかった時のことを考えて、彼女をキープしているのさ」

「ならばいっそ当たって砕けるべきですわ」

「それができないのが早瀬だよ、咲都子嬢。君も知っているだろう?早瀬は女々しくて弱くて狡い男だから、祐徳が自分のところに堕ちてくると確信するまで動かない」


 そこまで言うと薔薇帝は細く長い指先をアレクサンドラの取っ手に絡め、優雅な手つきでそれを口もとまで運んだ。ベルガモットのいい香りが鼻孔をくすぐる。薔薇帝に釣られたのか、咲都子も紅茶に口をつけた。


「先程祐徳を焚き付けておいたから、数日もしないうちに話は纏まるだろう。祐徳はあれでなかなかに意地の悪いところがあるし、惚れたが負けということで早瀬はこの4年間のツケを払わされることになるだろうな」

「あら、そうでしたの。そういうことでしたら何も問題はありませんね。織部のことですから祐徳の尻に敷かれるくらいでちょうどいいのではありませんか」


 大和撫子を体現したような咲都子の口から零れる辛辣な言葉に、薔薇帝も同意を示す。薔薇帝は陣中を身内と認めていても、早瀬を認めてはいない。嫌ってはいないが好いてもいないのである。なので、身内を困らせた不届き者に対して、少しくらい意地悪をしたっていいじゃないか、と言うのが薔薇帝の本音なのであった。


 ただ、薔薇帝の言う意地悪の程度が常人には些か酷であるというだけで。


 しかしそれを知るものはほとんど居ない。唯一それを知る者は、我関せず、とばかりに学園の中へ溶け込んでいる。まさに、触らぬ神に祟りなしである。


 薔薇帝の薔薇庭には、鈴を転がしたような咲都子の笑い声と、それを慈しむような薔薇帝の涼やかな声が日暮れまで響いていた。


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