ラントタス
村を出て半日ほど歩いた頃だった。
緩やかな坂を登り切った春月さくらが、ふと立ち止まる。
「……わぁ」
その先には、石を幾重にも積み上げて築かれた巨大な防壁が街をぐるりと囲んでいた。
見上げてもなお、上まで届かない。
灰色の石がどこまでも積み重なり、その中央には大きな門が口を開けている。
「あんな高いところまで、岩を積み上げて作ってるんだ……」
思わず首を反らせる。
歩き始めても、まだ視線は防壁の上を追っていた。
「上ばかり見てると転ぶぞ」
クローディスが声を掛ける。
「あっ」
春月さくらは慌てて前を向き、照れくさそうに笑った。
「えへへ……見上げすぎて首が痛くなっちゃった」
ガラティアは歩みを止めない。
「もう少しだ」
春月さくらは再び門を見つめる。
分厚い石壁。
向こう側は何も見えない。
村より大きいとは聞いていた。
だが、その向こうに何が広がっているのかは想像もつかない。
期待と少しの緊張を胸に、門へ近付いていく。
門の脇には衛兵が立ち、掲示板には何枚もの紙が貼られていた。
行商人募集。
迷子の届け。
荷運びの求人。
賞金首の手配書。
クローディスは一瞬だけ視線を向ける。
「……」
「もう少しで街の中に入れるよ♪」
春月さくらの声が弾んだ。
そして――門をくぐった。
「焼きたてだよー!」
元気な呼び込みが耳へ飛び込んでくる。
焼きたてのパンの香りがふわりと風に乗った。
「今日採れた薬草だ! 安いよ!」
通りの向こうでは鮮やかな薬草が並び、色とりどりの看板が風に揺れている。
カンッ――ン!
鍛冶屋から乾いた槌の音が響く。
「道を開けてくれー!」
荷車が石畳を軋ませ、人々が笑いながら左右へ避けていく。
炭火で焼ける肉の香ばしい匂い。
香辛料の刺激。
甘い果物の香り。
子どもたちの笑い声。
灰色の防壁の向こうには、色も、音も、匂いも、人々の暮らしも、一度に押し寄せる別世界が広がっていた。
春月さくらは思わず立ち尽くす。
「……わぁぁ」
「すごい……」
右を見ても。
左を見ても。
初めて見るものばかりだった。
「あまりはしゃぐなよ」
クローディスが小さく言う。
「はーい!」
元気よく返事をする。
ちゃんと歩こう。
そう思いながら前を向く。
「見て見て!」
店先に並ぶ剣が目に飛び込んだ。
思わず駆け寄る。
陽の光を受け、何本もの剣がきらりと輝いていた。
「こんなにいっぱいあるんだ!」
一本一本、形が違う。
細い剣。
幅広の剣。
長い槍。
大きな斧。
「かっこいい……」
「勝手に動くな」
ガラティアの声が飛ぶ。
「はっ!」
肩をびくりと震わせる。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて二人の隣へ戻った。
「迷子になるぞ」
「気を付けます!」
今度こそ。
そう心に決める。
ふと視界の端で、色鮮やかな布が風に揺れた。
「きれい……」
足は止めない。
でも顔だけがそちらを向く。
その時。
香ばしい匂いがふわりと漂った。
「……おいしそ〜」
炭火の上で串焼きがじゅうっと音を立てている。
気付けば足がそちらへ向いていた。
「春月さくら」
「はっ!?」
慌てて振り返る。
クローディスしかいない。
「あれ?」
きょろきょろと辺りを見回す。
少し先で、ガラティアが腕を組みながら待っていた。
「だから言っただろ」
「えへへ……」
小走りで追い掛ける。
ようやく二人に並んだ、その時だった。
何気なく帯へ手を当てる。
「あれ?」
もう一度触る。
「……ない?」
表情が固まる。
「あー! 春鏡が……ない!!」
慌てて帯を見る。
袖を見る。
腰の後ろまで探す。
「どこで落としたの!?」
急いで来た道を振り返る。
石畳の端。
小さな春鏡が陽の光を受けて静かに光っていた。
「あった!」
駆け寄って拾い上げる。
表を見る。
裏を見る。
縁をぐるりと確かめる。
「よかったぁ……」
胸へ抱き寄せ、ほっと息をつく。
今度は帯へしっかり差し込み、両手で何度も押さえた。
「これでもう大丈夫!」
「今度は落とすな」
「はい!」
元気よく返事をすると、春月さくらは再び二人の後を追い掛ける。
色とりどりの看板が並ぶ通りを抜けた先に、一際大きな石造りの建物が姿を現した。
厚い石壁に支えられた堂々たる佇まい。
大きな木製の両開き扉の上には、剣と盾を組み合わせた紋章が堂々と掲げられている。
武器を携えた冒険者たちが当たり前のように出入りし、その姿だけで、この建物が街の中心の一つであることを物語っていた。
「ここが……」
春月さくらは思わず見上げる。
ガラティアは迷うことなく扉へ向かった。
「ラントタス冒険者ギルド支部だ」
三人は、その大きな扉をくぐった。




