第9話「異物」
患者Aの移動が決まった。
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閉鎖病棟から、
開放病棟へ。
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表向きの理由は、
状態の安定。
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だが、
それだけではないことを
私は感じていた。
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——隔離。
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これ以上、
閉鎖病棟に置いておけない。
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そんな判断が、
どこかで下された気がした。
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開放病棟は、
閉鎖とは空気が違う。
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自由度が高く、
患者同士の距離も近い。
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だがその分、
“何か”が混ざりやすい。
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患者Aは、
移動初日から周囲を観察していた。
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いつものように、
静かに。
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——ただ一人を除いて。
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病棟の奥。
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窓際の椅子に、
一人の患者が座っていた。
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動かない。
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ただ、
外を見ている。
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誰とも関わらず、
誰にも関わらせない。
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異様な存在だった。
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「あの人には近づかない方がいいですよ」
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近くにいた患者が、
小声で言った。
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「何考えてるか分からないんで」
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その言葉に、
私は違和感を覚えた。
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——何も考えていない人間に、
そんな印象は持たれない。
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むしろ逆だ。
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“考えすぎている”人間の方が、
そう見える。
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そのときだった。
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患者Aが、
その人物に近づいていった。
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止める間もなかった。
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「こんにちは」
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いつもの調子で、
柔らかく声をかける。
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だが——
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反応がない。
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完全な無視。
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患者Aは、
一瞬だけ動きを止めた。
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ほんの一瞬。
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だが、
確かに“間”があった。
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——初めてだ。
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患者Aが、
反応を読めていない。
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「……聞こえてますか?」
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もう一度声をかける。
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それでも、
反応はない。
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数秒後。
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その人物は、
ゆっくりと視線を動かした。
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患者Aではなく——
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空間を見るように。
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そして、
一言だけ呟いた。
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「……浅いな」
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空気が止まった。
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患者Aの表情が、
わずかに崩れる。
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ほんの一瞬。
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だが、
確実に。
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その人物は、
それ以上何も言わなかった。
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再び、
窓の外へ視線を戻す。
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患者Aは、
しばらくその場に立っていた。
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やがて、
何も言わずに離れる。
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その背中を見ながら、
理解した。
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初めてだ。
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あの人が、
“読めなかった”相手に出会ったのは。
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そして——
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あの人物は、
ただの患者ではない。
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何かが、
始まる。
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