第6話「正体」
あの日を境に、
病棟の空気は変わった。
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目に見えるほどではない。
だが確実に、
何かが崩れ始めている。
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小さなトラブルが続く。
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物がなくなる。
些細な言い争いが増える。
理由もなく不安定になる患者。
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どれも、
偶然で片付けられる程度のものだった。
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——だが。
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私は知っている。
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偶然ではない。
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ある夜。
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巡回の時間を少しずらした。
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理由はない。
ただ、
確かめたかった。
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患者Aが、
何をしているのか。
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消灯後の病棟は、
静まり返っている。
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足音を立てないように歩きながら、
患者Aの部屋の前で足を止めた。
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——開いている。
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わずかに、
扉が開いていた。
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中を覗く。
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ベッドには、
誰もいない。
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心臓が強く鳴る。
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次の瞬間——
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背後で、
気配がした。
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振り向く。
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患者Aが、
立っていた。
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音もなく。
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「……何をしているんですか?」
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思わずそう聞いた。
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患者Aは、
ゆっくりと首を傾げる。
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「それは、こちらの質問です」
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——逆に来た。
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一瞬、
言葉に詰まる。
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その間に、
患者Aは一歩近づいた。
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距離が、
近い。
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異様な圧迫感。
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「巡回ですよ」
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なんとか言葉を返す。
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患者Aは、
じっとこちらを見ていた。
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あの目だ。
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“測っている”目。
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数秒の沈黙。
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やがて、
患者Aは小さく笑った。
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「そうですか」
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それ以上は何も言わず、
すれ違うように部屋へ戻っていく。
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そのとき——
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ポケットの中で、
何かが揺れた。
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部屋に戻ったあと、
私は記録を開いた。
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そして、
あることに気づく。
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患者Aの行動時間と、
トラブルが起きた時間が——
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すべて一致している。
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偶然では、
あり得ない。
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——やっている。
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だが、
何のために?
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その答えに、
もう少しで手が届きそうだった。
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ただ一つ、
はっきりしている。
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この人は——
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“壊すこと”を、
楽しんでいる。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
観察しているつもりでも、
自分が見られていることがあります。
人間関係は、
近づきすぎても壊れるし、
離れすぎても壊れます。
その考え方については、
noteでもまとめています。
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