第二十三話:兄貴が自殺未遂
翌日の朝。
高橋さんからメールが着た。
『昨日は本当にみっともない姿を見せて大変申し訳ありませんでした。池袋のデートはとても楽しかったです。またデートしてくれませんか。では、お仕事頑張ってください。撮影会も予定が決まったら教えてね。喜んでお待ちしてます』
撮影会か。
昨日はすごく興奮したんだけどなあ。
今は、なんとなく痛々しいんだよなあ。
なんだか高橋さんがかわいそうになってきた。
撮影した写真も、例によってパソコンに保存してそのままほったらかし。
今日は午後三時に警備バイトに出勤の日。
昼食を食べに居間に行くと、長椅子に兄貴がぐったりと寝ている。
こちらも痛々しくなってきた。
「兄貴、体調はどうなの」
「よくないな。雨が降ると調子が悪くなるんだよ」
雨なんか降ってないじゃんと窓ガラスを開けて外を見ると、いきなり降ってきた。
「兄貴、雨が降ってきたよ」
「さっき言っただろ、だいたいわかるんだ。なんか知らんけど、雨が降る直前が一番調子が悪くなる。身体が重くなったり、頭が痛くなるんだよ」
うーん、気象予報士、いや気象予言者になれるんじゃないのか、なんて冗談を言っている場合ではないな。本人はつらいんだから。低気圧とかも脳に影響を与える可能性があるとネットで読んだ事がある。
高橋さんは大丈夫だろうか。
ちょっと、電話してみるか。
自分の部屋に戻って高橋さんのスマホに電話する。
すぐに彼女が出た。
「もしもし、高橋ですが」
「あの、佐藤です」
「あ、佐藤さん。昨日は本当にご迷惑かけてごめんなさい」
「いえ、そのことより、あの、体調の方はどうですか」
「それが、あんまりよくないの……」
「そうですか。失礼ですが、どんな感じですか」
「頭が重くて、身体がぐったりしてる……頭が気持ち悪いって感じかなあ」
兄貴の症状と似ている。
あれ、頭が気持ち悪いって、自殺した従妹のお姉さんもそう言ってたはず。
うーむ、まずくないか。
雨のせいなのか不倫のトラウマが原因なのかわからないが、とにかく高橋さんがかわいそうだ。
何とか治す方法はないのかなあ。
「あの無理せずに、なんて言いますか自分のペースで過ごしてください」
「はい、ありがとう」
「では、またの機会に電話しますので」
「あの、撮影会の予定は決まってるの」
「撮影会はメールで連絡します」
「はい、私はいつでもいいから。私も頑張ります。楽しみにお待ちしてますね」
なんだか無理に元気になろうとしているような気がする。「私も頑張ります」って、本当に痛々しい。
本来、「撮影会なんて金のためにやってたんだよ。気持ち悪いんだよ、この変態童貞野郎!」くらいの強気な発言が出来るような人にならなくてはいけないのではないだろうか。
そうじゃないと、病気が治らないのでは。
いや、そういう人だから精神病になってしまったのか。
高橋さん優しくていい人なんだけどなあ。
優しすぎですよ。
しかし、俺に言われたくないかもしれんが主体性の無い人でもある。
それにしても、俺は撮影会で、女神だ! 天使だ! もう最高! ビューティフル! エークセレント! とか勝手に盛り上がって喜んでたけど、実は無理矢理恥ずかしい格好をさせて、高橋さんを虐待していたのではないかと思うようになってきた。
本人は恥ずかしくて仕方がなかったんじゃないだろうか。
毎週、変態が家に押しかけてきて、エロい衣装を無理矢理着せられて、四つん這いとかお尻を突き出させたりとか変態的ポーズをさせられたりと散々な目に遭わされて。そして、下着が写ると画像を削除していたが、そもそも下着が見えるポーズをさせて撮影していたわけで、俺には下着が丸見えだったのだ。
これは女性にとって非常に恥ずかしいわけだ。
俺は彼女を辱めていたのではなかろうか。
お金は払ってたけど、彼女、最初は値段吊り上げてやめさせようとしたんだよな。
しかし、俺が払ったもんだから、もう従うしかないとあきらめたんだよな。
気が弱くて、人に頼まれると断れないタイプ。
断ると相手が怒り出すんじゃないかと怖がって従ってしまうタイプ。
最終的には逆らえなくなって相手の言いなりになってしまうタイプ。
それで、相手の先回りをしてその人の好みに合わせて行動してしまうタイプ。
うーん、高橋さんはそんな感じの人のような気がする。
最後には自ら尻を突き出したり、下着を見せたりしていたが、本心だったのかなあ、高橋さん。
内心は恥ずかしくて仕方がなかったけど、変態の俺に合わせてしまったのかもしれん。
俺は、「嫌ならしなくていいですよ」と言ってたが、実質、強制していたのではないだろうか。
俺自身は女性を虐待やらセクハラしてる奴を片っ端から成敗したくなるとか、女性はガラス細工のように優しくしてあげなければいけませんとか、貴重品を扱うように丁重に優しく接してあげましょうとか考えていたのだが、実際やっていたことは、漫画の登場人物ではあるが万引きした美人をそれをネタにして性奴隷にした連中と同じ事をしていたのではなかろうか。
うーん、考えれば考えるほどろくでもない男である。
なんだか、エロ画像自体が女性虐待のようにも思えてきた。
まあ、これは意見がわかれそうだがな。
ああ、もう撮影会やめようかなあ。
けど、急にやめたら高橋さんも気にするのではないだろうか。
うーん、撮影の依頼をするかどうかで迷う。
女性を辱めているようだ。
一種のレイプ行為だったかもしれん。
高橋さんは気持ちいいとか言ってたけど本心だったのかなあ。
俺に合わせていただけかもしれない。
大人しくて優しくて、そして気の弱い人だもんなあ。
やはり、気が弱いから、相手に合わせてしまうのではないだろうか。
あのオナニー発言も変態の俺に合わせてサービスで言ってくれたのではないだろうか。
女性があんなこと言うわけないよなあ。
いや、男でも言わないぞ。
実際はオナニーなんかしてないんじゃないのか。
いや、していても、普通、他人には言わないよなあ、あんな内容の発言。
思い出した。
あれは大学の頃だったなあ。
新入生歓迎コンパで自己紹介するわけだが、みんな、趣味は音楽鑑賞とかスポーツとかさしさわりのない事を言ってたんだが、一人だけ、「趣味はオナニーです」って発言した大馬鹿者がいたんだよなあ。もちろん男。
受けを狙ったんだろうけど、その瞬間、サーっと会場のみんなが引いていたのを思い出す。
なぜ引いたかって言うと健康な若者だったら男だろうが女だろうがみんなオナニーしてるから、あえて言わないんだよな、そんな事。
まあ、女性はたまらないからしない人もいるみたいだけど。
しかし、俺はそれを高橋さんに言わせてしまったのかもしれん。
無理矢理ではないけど。
いや、実質は無理矢理ではないだろうか。
他人に合わせてしまう高橋さんだもんな。
今となっては、これは羞恥プレイの強制ではなかったのかと俺は悩む。
俺は彼女を非常に恥ずかしい目に合わせていたのではないだろうか。
女性を辱めて虐待する最低男ではないだろうか。
うーん、ますます悩む。
そんなことを考えていたら、いきなり背後から話しかけられてびっくりする。
「彼女と電話してたんか」
いつの間にか、後ろに兄貴が立っていた。
無精ひげだらけ。
ボーっとした顔。
こっちも大丈夫かなあ。
「撮影会って何だ」
「ああ、えーと、猫カフェの撮影会だよ。かわいい猫を撮影するのさ」
とっさに俺はごまかした。
「お前が女性といるのをこの前、偶然、巣鴨で見たぞ」
「え、ほんと」
「あれが彼女だろ。お前の彼女にしては美人だな。元気なお前がうらやましいよ。彼女、どこで働いているんだ」
「えーと、三友商事」
「へーすごいじゃん。どこで出会った」
「えーと、巣鴨のとげぬき地蔵で偶然出会った。彼女は西巣鴨に住んでるんだ」
「なんだ、家は近いのか」
「兄貴、この事は親父やお母さんには秘密にしておいてほしいんだ」
「なんで」
「いや、とにかく秘密に」
「まあ、人の恋路を邪魔するつもりはないよ、それよりパソコン借りていいか」
「いいよ、何に使うの」
「区役所のサイトで精神障害者手帳関係の更新とかについて調べたいんだ。こっちに住民票も移したんで、住所も変わると手続きとかも変わるかもしれないからな。スマホは画面が小さいのでやりにくいんだよ」
「あのパソコンの奥まで見ないでね」
「野暮な事はしないよ」
さて、高橋さんの撮影会だがやはりすごく悩む。
もうやめたほうがいいのかなあ。
なんだか、本当に痛々しいんだよなあ、高橋さん。
けど、彼女からすれば急に冷たくなったとか気にするかもしれない。
自分が突然、病気がひどくなったのを見て、俺が引いたと思うかもしれない。
こんなキモオタ変態でも唯一の友人だもんな。
結局、来週の休みに決めた。
月曜日だ。
メールも送った。
衣装は大人しめにした。
と言ってもコスプレ用のブレザーの女子高生制服の格好。
どこが大人しめですかって。
やはり変態趣味はとまらないし、やめられない。
値段は三千円。
けど、なんかあの卒業写真を見て思いついたのだ。
たまにはこんなのも撮影したいんですってことにした。
二十七才で女子高生の格好。
けっこう笑えるんではないか。
笑いをとろう。
高橋さんの屈託のない笑顔が見たいなあ。
しかし、いざコンビニで届いた制服を家に持って帰って、それを眺めて、また悩む。
二十七才の大人の女性にそんな格好をさせるのも虐待ではなかろうか。
セクシー衣装とは別な意味で恥ずかしいよなあ。
けど、買ってしまったしなあ。
悩んでいたら撮影当日。
午前十一時が約束の時間。
ああ、もういいや。
撮影会はさっさと終わらせることにした。
その後、病気克服のための訓練で再び西巣鴨から巣鴨まで地下鉄に乗って、うまく行ったら巣鴨で食事しましょうって計画だったのだが。
大変な事が起きてしまった。
兄貴が自宅から飛び降りた。
飛び降り自殺。
けど、俺の自宅マンションは二階にあるのだ。
大量に薬を飲んだあげく、発作的に飛び降りたらしい。
オーバードーズしてもうわけがわからなくなって、以前住んでいたマンションに自分が居たと錯覚してしまったようだ。
前のマンションは十階にあったから、そこから飛び降りていたら確実に死んでいただろう。
母が付き添って救急車で運ばれたが、植栽の土の部分に足から落ちたので片足首の捻挫で済んだ。
仕方がないので高橋さんにメールした。
『兄が怪我して救急車で運ばれました。見舞いに行くので今日の撮影会は中止にしてください。すみません』
『大変楽しみにしてたので残念です。次回を楽しみにお待ちしております。お兄様のご無事を願っております』
大変楽しみにしてたのか。
うーん、撮影会って楽しいのかなあ、高橋さん。
本心で言っているのだろうか。
親父も急いで病院に駆けつけて来た。
病室に行くと、元気兄貴が片足にギブスを巻いている。
暗い顔している兄貴に俺は声をかけた。
「兄貴、大丈夫かよ」
「……迷惑かけてすまん」
すっかり元気をなくした兄貴。
どうも月曜日なんで憂鬱になってオーバードーズして飛び降りたらしい。
月曜日って自殺が多いらしいな。
みんなが働きに出ているのに、自分は何もすることが無い。
何もする事が出来ない。
それで自殺。
また、働いていても、仕事が嫌になって発作的に電車に飛び込んだりする人もいるよな。
もっと、優しい世の中にならないのかなあ。
で、バブル親父がぶつくさと兄貴に説教。
「まあ、助かったんでよしと。足の怪我も大した事ないってことだ。だけどなあ、恥ずかしいんだよ、こんな事が親戚に知られるとさ。もっと気合いれろ、気合。人生は厳しいんだぞ。甘えるな。根性出せ! 男は二十四時間戦うんだ。死ぬまでがんばれ! 自殺なんて最低だ。二度とするな! とにかく人生は気合と根性だ!」
なんだこのおっさんは。
全く、精神病について理解がない。
死ぬまでがんばれって、本人死ぬとこだったじゃないか。
何が人生は厳しいとか甘えんなとか言ってんだよ。
お前は運が良かっただけだろ、このバブル親父が。
新規採用でハワイ旅行なんか行きやがって。
思わず口に出た。
「おい、親父! いい加減にしろ! だいたい、あんたは散々楽して生きてきたんだろが。親の金で高級マンションに高級車やら高級バイクなんて買いやがって!」
俺が文句を言うと顔を真っ赤にして起こり始めるバブル親父。
口論になった。
「なんだと、親に向かってなんて口きくんだ。すごく苦労してきたぞ、俺は」
「バブル入社で楽してただろ、このバブル親父! 就活でハワイ旅行って何なんだよ。異世界就職活動かよ。ふざけんな、氷河期世代の地獄の就職活動を何とも思わないのかよ!」
「就職活動は楽でも、入社後、仕事の方はすごく大変だったぞ。地獄の新人研修とかもあったしな。それでもお前らをちゃんと育ててやったんだ。感謝しろ。だいたい、お前は氷河期世代じゃないだろ。お前こそ、人生舐め切ってるじゃないか。仕事をわずか十か月でやめて、今は引退した老人がやるような警備員なんてやってるなんて」
「うるせーよ! あんな最悪のブラック企業、三日で辞めるような人たちが続出してたのに十か月も勤めたんだからむしろ褒めてもらいたいぞ、このクソ親父! 後、警備員だって立派な仕事だ」
「クソ親父とはなんだ、ふざけんな。このごくつぶし潰し野郎。だいたい警備員って言ってもバイトだろが」
「バイトの何が悪い。ちゃんと給与は出るぞ。少ないけど。それに今、再就職活動中だよ」
「いつ再就職すんだよ」
「知らねーよ」
「全く、お前の態度はいったいなんなんだ。世の中舐め切っている証拠だろ、馬鹿野郎!」
「うるせーって言ってんだろ、クソ野郎!」
つかみ合い寸前で怒鳴りあっていたら看護師さんに怒られた。
「あのー、他の患者さんの迷惑になるので、もう少し静かにしてくれませんか」
母からも文句を言われた。
「もう、恥ずかしいから、あなたたち帰ったら。どうやら元気の怪我も軽くてすみそうだし」
結局、母親から病室を追い出された。
そして、タクシーで帰る途中、またバブル親父と喧嘩になる。
「さっきの続きだが、お前本当に再就職できんのか」
「だから活動中って言ってんだろ」
「どういうのを目指してんだ」
「業種なんてどこでもいいんだよ」
「そういう態度がだめなんだろが」
「俺の好きにさせろ!」
「好きにさせたら、お前なんか一生再就職なんてできないだろ、このバカタレ!」
「うるせー! 就職先なんて星の数ほどあるよ」
「じゃあ、なんでバイトしてんだよ」
「面接の練習してんだよ。もうどこでも受かる自信があるんだよ、俺は」
まあ、嘘だけどな。
面接の練習なんて全くやってない。
「ああ、そうかい。じゃあ、俺の知り合いの業者の面接受けて採用されてみろ、このボケナスが。採用されたら、そん時は土下座してやるよ」
「ああ、わかったよ。絶対に採用決めてやる、このクソバブル親父! 土下座の練習でもしてろ。言っておくがブラック企業で土下座階級黒帯を習得して俺は土下座のスペシャリストなんで、下手な土下座をしたらタダじゃおかないからなあ」
家に帰って、自室にこもる。
ふう、こんなに親父と罵倒しあったのって始めてだよ。
しかし、いつの間にか再就職面接を受ける話になった。
あのバブル親父も実は俺の事を心配してたかもしれん。
けど、まあ採用されることはないだろうな。
ただ、バブル親父のあの兄貴に対する態度は許せん。
精神病関係の本でも買って来て読ませてやるとするか。
しかし、疲れた。
とは言え、兄貴も心配だが高橋さんのことも心配だ。




