朝食の時間
食事は、皆で揃って食べる。それが、鈴鹿の屋敷での決まりだった。主である鈴鹿も、小鈴も、小鬼たちも関係なく、朝、昼、晩の三食を共にする。特別な用事でもない限り、それが一番のこととされていた。
大広間では、小鬼たちが朝食の準備の真っ最中だった。その中には、鈴鹿の所から戻ってきた小鈴の姿もある。
畳敷の上に座布団が置かれ、その前に次々とお膳が用意されていく。
今日の朝食は、和食だ。お膳の上には、旬の魚の焼物と香の物(漬物)、蓋付きの汁椀、そして裏返されたご飯茶碗が載っている。ご飯は、自分で好きな量をよそってよいことになっていた。
「このお膳。お箸が無いよー」
「はーい。今持っていきますー」
小鈴の声に、小鬼の一人が答える。
すると、今度は別の所から声が上がる。
「こっちー。漬物が無いー」
「ああー、こっちに二つあるー」
「持ってきてー」
小鈴とは別の声に、また別の小鬼が返事をする。
配膳を行う小鬼たちを監督する者は、二人いた。一人は、小鈴。もう一人は、額に五つの黒い点を持った小鬼、その名前を『いつ』といった。
毎日のことに手際よく準備は進み、屋敷で一番の広さを誇る部屋が、あっという間にいっぱいになる。百は下らないであろう膳は、そのすべてが乱れなく、きれいに列を作って並んでいた。
そして、膳を並べ終えると、今度は飯櫃が運び込まれる。小分けにされたいくつかのお櫃を、列の前と後ろ、それに真ん中あたりに置いていくと、いよいよ食事の準備は完了だった。
すべての準備が整うと、それを見計らったように、小鬼たちがやって来る。皆、屋敷のあちらこちらで、朝の働きをしていた者たちだ。彼らは、「今日は、どこに座ろうか」と話し合い、思い思いの席に座っていく。この屋敷では、食事の際に決まった席はなく、その時の好きに座ることを許されているのであった。
そうして、続々と集まる小鬼たちに、どんどんと席は埋まっていく。その集まりは早く、物の十分と経たない内に、残りは五席となる。しかし、まだ鈴鹿の姿は無い。主である彼女の登場は、皆が集まってからという習わしになっていたからだ。そのため、彼女を待たせることのないように、小鬼たちの集合も早いのであった。
残りの五席も、すぐに一つ、二つと埋まり、急いで入ってきた小鬼によって三つ目も埋まると、いよいよ残りは二席となる。
鈴鹿が姿を現したのは、それから少しの時間を置いてから。急いでいた小鬼が、息を整えられる程度の時間が経ってからだった。
鈴鹿は、「みつ」に案内され、急いだ様子もなく部屋に入ってくる。その姿は、ジーンズパンツにTシャツというラフな恰好だ。しかし、小鈴よりも少し背の高い、そして大きめな胸のふくらみが相まって、何気ない服装でも恰好よく見えた。
何よりも、鈴鹿は美しかった。
先程の、部屋で見せた姿とは一変している。遊んでいた髪は、綺麗にとかされ、腰まで長く艶やかに伸びている。また、徹夜でぼんやりしていた顔は、すっきりと引き締まり、瞳も淀みなく澄んでいた。長身、細身でありながら決して痩せているわけではなく、健康的なその姿には、見栄えの良さに加え、優雅さも含まれている。小鈴がその母性から、甘えたくなる美人だと言われるが、鈴鹿は平伏したくなる美人であった。
「おはよう」
「「おはようございます」」
鈴鹿の挨拶に、一同が返す。その後に、小鈴が手を上げ「こっち」だと二人を招いた。見ると、彼女の両隣が空けられている。今日は、小鈴が皆に頼み、自分の隣を空けておいたのだ。
鈴鹿たちが席につくと、待ってましたと皆が動きだし、列を作ってご飯をよそい始める。鈴鹿と小鈴も例外ではなく、その列に並んで自分の順番を待った。
そして、全員の茶碗にご飯が盛られ、再び席についたのを確認すると、小鈴が声を上げる。
「はい。じゃあ、皆。手を合わせて、――」
「「いただきます」」
全員の感謝の声と共に、食事が始まった。
その光景は、いたって普通。今日これからの予定や仕事の話、昨日見たテレビの話などが、あちらこちらで交わされている。ただ一つ、大広間のほとんどが、同じような顔形をした者で埋まっていることを除けば、であるが。
そして、一ヶ所。いつもと様子が違うところがあった。鈴鹿と小鈴である。
言葉少なに食事をとっている二人を見て、小鬼たちはすぐに何かがあったのだと察する。
(きっと、鈴鹿様が何かやらかして、小鈴様に叱られたんだろう)
皆、そんな風に考えていた。
一時間後。
ほとんどの者は食事を終え、緑茶を啜っていた。鈴鹿と小鈴も、膳の上をきれいに整えて、お茶を飲んでいる。
一息をつくと、小鈴が胸元から封筒を取り出す。それは、朝早くに烏天狗から届けられた、あの封筒であった。
「こちら、桜命館からです。今朝早くに、烏天狗殿が急ぎで届けられたそうなので、ご確認を」
「ん。ありがと」
鈴鹿は、差し出されたそれを受け取ると、封を切り、中を覗く。そこには、一通の手紙が入っていた。
「何でしたか?」
「手紙だねぇ」
そう言って取り出すと、鈴鹿はその場で読み始める。そして、一通り読み終えると、再びお茶に手を伸ばした。
「何か、問題が?」
そう、小鈴が尋ねる。読み進める途中、一瞬だが鈴鹿の眉がピクリと動いたのを、彼女は見逃してはいなかった。
「どう思う?」
そう言うと、鈴鹿は小鈴に手紙を渡す。そこには、次のようなことが書かれていた。
・桜命館に、ある者の討伐依頼がきたこと。
・その者は、ここ二週間ほどで三つの村を襲っていること。
・そして、自分のことを『悪路王』と名乗っていること。
・鈴鹿が望むなら、討伐は鈴鹿に任せるということ。
簡単にまとめると、このような内容である。
鈴鹿の気になっていることは、始めから三つめ。『悪路王』という名だった。その名は、田村麻呂伝説にも見ることのできる鬼の名前であり、鈴鹿にも少しばかりは縁があるものだ。しかし、古くに討伐され、この世には存在しないはずの者の名でもあった。
「甦る、とは考えにくいし。じゃあ、名を借りた偽物? でも、何のために……」
鈴鹿が、ぶつぶつと呟き考えていると、手紙を読み終わった小鈴が言った。
「それで、どうするんですか?」
「ん? う~ん」
一瞬、小鈴の顔を見て、再び悩むそぶりを見せる鈴鹿。
そんな鈴鹿に、小鈴は少し強い口調を向ける。
「本物だろうが、偽物だろうが、そんなこと関係ないでしょう。この名前が出た以上、行かないわけには、いかないんじゃありませんか? 鈴鹿御前と呼ばれるあなたが、悪路王の名を目にして行動しないんですか?」
「う~ん」
「別に、偽物だったとしても、いいじゃないですか。退治して帰ってくればいいだけなんですから。それよりも、もしも本物だったら、行かなかったことを後悔するのはあなたではないのですか?」
「うん。そう」
「と言うか。本物だったら、鈴鹿様が何とかしないといけないでしょうが」
「うん。そうだよね」
鈴鹿は、顔を上げる。まだ多少の迷いは見えるが、その表情は、悪路王討伐を決めた顔だった。
「よし。行く」
「はい。それじゃあ、準備しなくてはいけませんね」
そう言うと、小鈴は大広間を見回す。すでに、皆の食事は終わっているようだった。
「まだ、食べてる人は、いますかー?」
手を上げる小鈴に、答える手はない。
「はい。それじゃあ、皆。手を合わせて、――」
「「ごちそうさまでした」」
揃って感謝の言葉を述べ、朝食は終わる。
片付け担当の小鬼たちが働く中、鈴鹿は立ち上がった。
「念のために、『顕明連』借りていくから」
「はい。では、お持ちします」
「うん。お願い」
鈴鹿は、大広間を後にする。小鈴も、それに続いて出ようとして、一人の小鬼に声を掛けた。
「むつ。ちょっと用事が出来たから、片付けの方、お願いね」
「はいよ、任されて!」
『むつ』と呼ばれた小鬼が勢いよく返事をする。額に六つの黒い点を持つ小鬼で、今日の片付けの責任者だった。
元気のよい返事に任せると、小鈴も大広間を後にした。