一通の手紙
縦書き読みの方のために、文中の数字は漢数字にしています。あらかじめ、ご了承ください。
参考文献
●室町時代物語大成、第七(しみ~すす)
編・横山 重、松本 隆信
二十三.鈴鹿の草紙
二十四.鈴鹿の物語
●室町時代物語大成、第九(たま~てん)
編・横山 重、松本 隆信
四.田村の草紙
三重と滋賀の県境にある鈴鹿山(鈴鹿峠)。その麓に、一軒の屋敷がある。
そこは、普通の人には見ることはできず、ましてや、中に入ることなどできはしない。迷い家と似た性質を持った屋敷である。
広大な敷地を守るようにそびえ立つ塀は四方を囲み、外からでは中の様子を窺い知ることはできない。白漆喰で塗り固められ、見事に磨き上げられた壁は美しくもあったが、その高さゆえに威圧感も持ち合わせていた。
その白き壁に、一ヶ所だけ異なる色を見せる部分がある。屋敷の入り口たる門だ。武家屋敷に見るような屋根を持つ門は、薬医門と呼ばれる物だが、それは立派な門扉を備えていた。片方の扉だけでも、大人が両腕を広げたよりも大きい。それにもかかわらず、合わせ目の無い一枚板の木で出来ている。どれほどの巨木から切り出せば、このような巨大な門扉が作られるのか。この屋敷の主の力を、示しているようであった。
九月の初め。
鈴鹿山に朝日が昇り、麓の屋敷にも、その光が届き始める。
白い塀は、朝の光を映し、照り輝いている。昨晩、雨が降ったわけでも、夜露が降りたわけでもない。磨き上げられたままに朝日を受けるその壁は、眩しいほどに白く光っていた。
そんな光景の中、門の横に設けられた通用口から出てくる者がいた。四、五歳くらいの子ども。人間であるならば、そのくらいの大きさであるが、人間とは違う。見た目は、あまり変わらないのだが、何かが異なる。そう感じさせる姿をしている。
その者は、昇ったばかりの太陽に目を細くすると、門前の掃除を始める。まだ、落ち葉の時期には早く、掃く物も少ない。それほど時間もかからずに掃除を終えると、門の中へ戻ろうとした。その時だ。何気なしに空を見上げると、朝日の中に動く影を見つけた。
それは空の中に在り、徐々にその影を大きくしていく。そして、門の前まで来ると、大きく羽ばたき地面へと降り立った。
黒い翼を背中に生やし、黒い鳥の顔を持ったそれは、『烏天狗』と呼ばれるものだった。
「おはようございます。『いち』さん」
烏天狗は、早朝にもかかわらず元気の良い挨拶をする。
「おはようございます。朝早くから、大変ですね」
『いち』。それが、門前を掃除していた者の名前だった。こちらも、眠気を感じさせない、はっきりとした声で挨拶を返すと、烏天狗は一通の封筒を取り出した。
「いえ、これも仕事ですから。こちら、鈴鹿様へお渡しください」
「ありがとうございます」
いちは、差し出された封筒を受け取り、裏返す。その差出人を見ると、『桜命館・紅の牙』と書かれていた。それは、いちも良く知る、退魔を生業とする組織の名である。
「急ぎということで、お届けに上がったんですけれど。いちさんが居て下さって、ちょうど良かったです」
「これが、日課ですからね」
いちは、手に持っていた竹ぼうきを示し、言った。
「そうだ。良かったら、お茶でも飲んでいきませんか? 朝ご飯がまだでしたら、そちらも一緒に」
「いえ、すぐに社に戻らなければならないので」
「そうですか。それは、残念」
「お気持ちだけ、ありがたく頂いておきます。では、確かにお渡ししたということで」
「はい。確かに」
「よろしくお願いします。それでは、朝早くから失礼しました」
そう言うと、烏天狗は空へと帰っていく。
いちは、その背中に向けて「ご苦労様~」と声を掛け見送ると、屋敷の中へと戻っていった。
この屋敷の主の名は、『鈴鹿』という。かの田村麻呂伝説にて『鈴鹿御前』や『立烏帽子』と語られる、その人であった。
鈴鹿御前ならば、悪路王ではなく、『あくじのたかまる』や『おおたけまる』だろうと思われる方もいると思いますが、
鈴鹿御前から田村麻呂伝説 ⇒ 田村麻呂伝説から坂上田村麻呂 ⇒ 坂上田村麻呂からアテルイ ⇒ アテルイからアテルイ・悪路王説へとつながって、鈴鹿御前と悪路王の話になりました。