↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/3

第一話 妖王陛下、討伐対象をお茶に誘う。

国家退魔機関《鎮幽監(ちんゆうかん)》には、妖王に関する三つの記録がある。


ひとつ。その妖力は底なしであり、天界の聖人を母に持つがゆえ、聖術すら意のままに操る。


ふたつ。その声には万妖を服従させる権能が宿り、たった一言で妖界全土を跪かせる。


そして最後に、その容貌は傾国の美女すら裸足で逃げ出すほど美しい。


「……最後の一文を書いた馬鹿は誰だ」


朔間玄理(さくまげんり)は密命書を閉じた。


二十七歳にして特務第一班長。数多の妖を討伐してきた国家最高位の退魔師である彼に、今回下された任務は妖王・藍瀾燈(ラン・ランドン)の実態調査だった。


人界で妖の暴走事件が相次いでいる。しかも、襲撃者には本来人を害さない小妖まで含まれていた。


妖王の関与が認められれば討伐せよ。


上官・御門厳臣(みかどいつおみ)の命令は簡潔だった。


もっとも、相手は二千年を生きる化け物だ。

玄理(げんり)自身、生きて帰れるとは思っていなかった。


※


妖王宮《蒼宵殿(そうしょうでん)》は、月光を吸い込んだような青い宮殿だった。


玄理(げんり)が結界を越え、屋根へ降り立った瞬間、甘い香の匂いが鼻先を掠めた。


「おや。鼠にしては大きいねえ」


声のほうを向く。

欄干に腰掛けていたのは、青髪の青年だった。


透き通る青い瞳に、左耳から垂れる長い房飾り。

身体の線をなぞる青い長衫(チャンシャン)(中華風の長衣)は脇の切れ込みが深く、組んだ脚の白い肌が月明かりに晒されている。


細い指には銀の煙管。


あまりにも美しい。

そして、あまりにも異質だった。


青年の周囲には妖気がない。


いや、違う。

あまりに膨大すぎて、玄理(げんり)の感覚では捉えきれないのだ。


「……名を名乗れ」


青年は目を細めた。


「名を?」


含み笑いを浮かべ、煙管を唇から離す。


「まあいいさ。答えてやろう。藍瀾燈(ラン・ランドン)。おまえたちが妖王と呼ぶ者だよ」


玄理(げんり)は即座に剣を抜いた。


「鎮幽監(ちんゆうかん)特務第一班、朔間玄理(さくまげんり)。妖王、貴様に問う。人界で妖を暴走させているのは、おまえか」


「違うねえ」


「即答か」


「僕は忙しいんだよ。そんな暇があれば寝ているさ」


「妖王の仕事とは何だ!?」


「昼寝の邪魔をする者を叱ることかな」


玄理(げんり)は剣を握り直した。

国家の威信を背負って来たというのに、相手は欠伸をしている。


「……なぜ、俺を攻撃しない」


「おや。先に質問したのは僕ではないかい?」


「質問?」


「おまえは、なぜ僕の子らが人を襲っているのか、わざわざ尋ねに来たんだい?」


玄理(げんり)は眉を寄せた。


「罪のない妖まで暴れている。何か理由があるはずだ」


瀾燈(ランドン)は、ふっと笑った。


「それは重畳」


煙管の先が、玄理(げんり)の胸元を指す。


「僕も、おまえたちの区別がつかぬもの。善い人も悪い人も、見ただけでは分からないだろう?」


その言葉に玄理(げんり)が答えるより早く、宮殿の扉が勢いよく開いた。


「陛下ァァァ!!」


白銀の長髪を振り乱した男が飛び込んでくる。

九尾の白狐にして妖王宮の宰相、白禧雲(バイ・シーユン)。


「また人間を拾ってきたのですか!?」


「拾ってないよ。勝手に来たんだ」


「では殺して捨てましょう!」


「えー」


瀾燈(ランドン)は頬を膨らませた。


「せっかく面白いのに」


「陛下! 人間は玩具ではありません!」


「おまえが言うのかい?」


玄理(げんり)は深く息を吸った。


「……俺は帰る」


「おや。茶も飲まずに?」


「命を狙われて茶など飲めるか!」


「では、毒見は禧雲(シーユン)にさせよう」


「そういう問題ではない!!」


※


騒動を打ち破ったのは、廊下を駆けてきた火鼠の侍女、朱小桃(ジュ・シャオタオ)だった。


「陛下! 西の人里で、また妖たちが暴れています!」


瀾燈(ランドン)の煙管が止まった。


「……またかい」


「今度は幼い狐妖まで! 人間の退魔師に斬られた子もいます!」


青い瞳が、三日月のように細まった。


「そう」


たった一言。

宮殿を満たしていた気配が消えた。


玄理(げんり)は息を呑む。目の前の青年は微笑んでいる。けれど、その笑みには先ほどまでの愛嬌が欠片もなかった。


「――伏せ」


静かな命令だった。


それだけで、遠く離れた山々の妖気が一斉に沈んだ。


朱小桃(ジュ・シャオタオ)は膝をつき、白禧雲(バイ・シーユン)さえ深く頭を垂れる。


玄理(げんり)は悟った。

この青年にとって、妖を従わせることは呼吸と同じなのだ。


「小桃(シャオタオ)。傷ついた子らを連れ戻しておくれ。手当てを先に。それから、誰が術を掛けたのか調べなさい」


「はい、陛下!」


「……術?」


玄理(げんり)が問うと、瀾燈(ランドン)は煙管の灰を落とした。


「僕の子らが、好き好んで同胞を傷つけるものかね。何者かが糸をつけているのさ」


「術者を見つけたら、どうするつもりだ」


瀾燈(ランドン)は微笑んだ。


「……おまえたちが、僕の同胞にするように」


その声に怒りはなかった。


だからこそ、玄理(げんり)は背筋が凍る思いがした。


「無関係の人間まで巻き込むつもりか」


「人のことなど知らぬよ。蟻の顔の区別がつくかい?」


「……貴様」


「でも、おまえは区別がつくんだろう?」


瀾燈(ランドン)は楽しそうに首を傾げた。


「ならば、見つけておくれ。僕が里ごと消す前にねえ」


冗談ではない。


玄理(げんり)は、その美しい笑顔を見つめながら確信した。


この妖王は、本当にやる。


※


結局、玄理(げんり)は蒼宵殿(そうしょうでん)に留まることになった。


共同捜査という名目だったが、実際には妖王が勝手に決めたことだった。


「おまえ、妙な霊力を持っているねえ」


瀾燈(ランドン)は玄理(げんり)の手首を取り、指先を滑らせた。


肌が触れた途端、玄理(げんり)の体内で聖気が跳ねる。


「……っ、何を」


「ふうん。僕の妖気を嫌がらぬのか」


瀾燈(ランドン)は興味深そうに目を細める。


深い衣の切れ目から覗く脚が、玄理(げんり)の膝に触れた。


柔らかな香りと、近すぎる美貌。

玄理(げんり)は反射的に身体を引いた。


「……距離が近い!」


「えー。触れたくらいで騒ぐものかい?」


「あなたには慎みというものがないのか!」


「二千年生きて、そんなものは覚えなかったねえ」


瀾燈(ランドン)は愉快そうに笑った。

そして、ふと思いついたように尋ねる。


「おまえ、僕の子の父親になる気はないかい?」


「…………は?」


「僕は子を宿せる身体でねえ。そろそろ次代を残さねばならぬのさ」


玄理(げんり)の思考が停止した。


「……待て。なぜ俺だ」


「強いし、霊力もよい。それに顔も好みだねえ」


「最後の理由は何だ!?」


「おや。褒めたのに」


瀾燈(ランドン)は頬を膨らませる。


「嫌ならよいさ。無理強いは好かぬもの」


「嫌というか、まず順序というものが……!」


「では、接吻から?」


「そういう意味ではない!!」


廊下で白禧雲(バイ・シーユン)の悲鳴が上がった。


「陛下に婿が!?」


「朱小桃(ジュ・シャオタオ)! 婚礼衣装の仕立て師を呼べ!」


「はいっ! 妖界全土へ号外を!」


「誰も結婚するとは言っていない!!」


玄理(げんり)の絶叫を聞きながら、瀾燈(ランドン)は腹を抱えて笑っていた。


人間とは、本当に愉快な生き物だ。


※


月が傾き、宮殿に静寂が戻った頃。


白禧雲(バイ・シーユン)は妖王の私室で、青白く揺れる命灯(めいとう)を見つめていた。


「……陛下。お身体に変わりは?」


「よく眠るようになったねえ」


瀾燈(ランドン)は煙管を弄びながら答えた。


ふと、鼻先に温かなものが伝う。

指で拭えば、鮮やかな赤。


「おや。妖の血も赤いのだと知れるね」


「陛下……!」


「そんな顔をするでないよ」


瀾燈(ランドン)は笑った。


「思ったより早いかもしれないな」


命灯(めいとう)の炎が、かすかに揺れる。


「……次代が生まれるまでは、どうか」


「分かっているさ」


瀾燈(ランドン)は窓の外へ目を向けた。


「僕ひとり消えたところで、次代さえ産まれていれば問題ないだろう?」


あまりにも、けろりとした声音だった。


白禧雲(バイ・シーユン)は何も言えなかった。


二千年を生きた王にとって、己の死など季節が巡るのと変わらない。

けれど、その王を失う者たちにとっては違う。


「……陛下は、残酷なお方です」


「おや。今さらかい?」


瀾燈(ランドン)は三日月のように目を細めた。


「それより、あの退魔師は面白いねえ」


客間では、朔間玄理(さくま げんり)が頭を抱えていた。


討伐対象は、想像以上の化け物だった。


人の命には酷薄で、妖には絶対的な慈悲を注ぎ、そして何より、常識が通じない。


「……なぜ俺が婿候補になっているんだ」


枕元には、いつの間にか婚礼衣装の採寸表が置かれていた。

しかも、花婿の欄には既に自分の名前が書かれている。


玄理(げんり)は天井を仰いだ。


国家最高位の退魔師。

妖王討伐の密命を帯びた男。


その初日の戦果は、妖王の首ではなく、婚礼衣装の採寸予約だった。


「……御門総監(みかどそうかん)、俺はどう報告すればいいんですか……」


翌朝、妖王宮には人界からの新たな報告が届く。


暴走した妖たちの身体から、退魔師の禁術に似た痕跡が見つかったという。


そして瀾燈(ランドン)は、まだ知らない。

自分の残り少ない生涯に、死を許さぬ人間が現れたことを。


第一話・了。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。