第十四話 黙る仕事
「今日は、わしの護衛です」
ベンゾーはそう言った。
場所は中立交易港コルサ。
帝国商人も、同盟の協力者も、海賊まがいの船乗りも、同じ空気を吸っている。もっとも、同じ値段ではなかった。
空気税。
停泊料。
通行保証金。
荷物検査の手数料。
ベンゾーは端末を見るたび、深いため息をついた。
「宇宙で一番高いものは何やと思います?」
「燃料」
「違います」
「水」
「惜しいです」
「空気か」
「正解です。吸うだけで金を取られるんですから、ぼろい商売ですわ」
「払わなければいい」
「その場合、呼吸を止めることになりますな」
キッドは黙った。
ベンゾーは少し満足そうだった。
◇
今日の取引相手は、ハルゼン商会。
中古船舶部品を扱う大きな商会で、帝国にも同盟にも品物を流している。
よく言えば、顔が広い。
悪く言えば、どこにでも尻尾を振る。
ベンゾーはそう説明した。
「悪い相手なのか」
「悪いとは言い切れません」
「いい相手か」
「それも違います」
「面倒だな」
「商売相手なんて、だいたい面倒です」
取引品は、重力制御系の古い安定器だった。
《ストレンジャー》の黒い中枢には触れられない。だが、その周辺機構には交換部品がいる。
純正品など存在しない。
似た規格の古い部品を探し、削り、合わせ、だましだまし使う。
そのための商談だった。
「今日は、余計なことを言わんといてください」
商会の応接室へ向かう途中、ベンゾーが言った。
「余計かどうかは、誰が決める」
「わしです」
「嘘を見つけても?」
「すぐには言わない」
「値段がおかしくても?」
「すぐには言わない」
「相手が武器を隠していても?」
「それは言ってください」
「分かった」
「今ので全部分かった顔せんといてください。だいたい分かってませんから」
◇
応接室は、やけに明るかった。
磨かれた机。
壁一面の光板。
香料の匂い。
キッドは入った瞬間、出口の数を数えた。
正面扉。
右手奥の職員用扉。
天井の点検口。
壁の装飾の裏に、監視装置が二つ。
護衛は三人。
全員、上着の下に銃を吊っている。
「ベンゾーさん。お久しぶりですな」
商会の男が笑顔で立ち上がる。
名はドーマン。
白い髭を整えた、丸顔の男だった。
「ええ、本当に。長い付き合いになりました」
「前に会ったのは四年前だと言ってた」
キッドは言った。
空気が止まった。
ベンゾーがゆっくりこちらを見る。
「キッド」
「何だ」
「今のは、言わんでええことです」
「事実だ」
「事実だから困るんです」
ドーマンは一瞬だけ目を細めたが、すぐ笑顔に戻った。
「いやいや、愉快なお連れですな」
「まだ勉強中でして」
「護衛ですか?」
「ええ。名目上は」
「名目は外れた」
「今は外さんでください」
ベンゾーは椅子へ座り、キッドへ目だけで合図した。
黙れ。
そういう意味だ。
この一年で、そのくらいは分かるようになった。
◇
「こちらが、ご希望の安定器です」
ドーマンが部品の映像を表示する。
「旧式ですが、保存状態は良好。帝国軍の払い下げ品です」
「ええ品ですな」
ベンゾーが頷く。
「お値段は?」
「三万二千クレジット」
「高い」
キッドは言った。
机の下で、ベンゾーの靴がキッドの足を踏む。
「……高い、ようにも見えるが、理由を聞くべきだと思う」
言い直した。
足が少し離れる。
ドーマンは笑った。
「相場を知っておいでで?」
「同型の安定器は、半年前にリム港で一万八千だった。亀裂入りだったけど、三万二千は高い」
「よくご存じだ」
キッドは映像を見る。
部品の縁に、わずかな摩耗がある。
表面は綺麗だ。
だが、固定具の内側に黒い焼け跡が残っている。
一度、過負荷を受けている。
言おうとして、止めた。
ベンゾーを見る。
ベンゾーは口元だけで笑った。
「ドーマンはん」
「何でしょう」
「現物を見せていただけますか」
「もちろんです」
◇
倉庫へ向かう途中、ベンゾーが小声で言った。
「今のは、よう待ちました」
「待った方がよかったのか」
「ええ。先に言うと、相手は言い訳を用意します。こっちが見たいものを隠すかもしれません」
「黙るのも仕事か」
「ようやく分かってきましたな」
「難しい」
「喋るより難しい時があります」
倉庫には、木箱がいくつも積まれていた。
ドーマンが一つを開ける。
中には、映像で見た安定器が収められていた。
キッドは近づき、外殻を確認する。
重さ。
縁の摩耗。
固定具の焼け跡。
内部から聞こえる、ごく小さな振動音。
「使える」
キッドは言った。
ドーマンが安堵したように笑う。
「では、三万二千で――」
「ただし、長くは持たない」
笑みが消えた。
「何を根拠に?」
「内部の回転音がずれてる。保存状態はいい。でも、前の船で限界近くまで使われてる。予備ならいい。主系統に入れるなら危ない」
ベンゾーが眼鏡を押し上げた。
「なるほど。では、一万五千」
「冗談を」
「では、一万六千」
「増えているようで、こちらの希望からは遠ざかっていますな」
「現物確認前の希望価格と、確認後の適正価格は違いますやろ」
ベンゾーの声は穏やかだった。
穏やかすぎて、逆に怖い。
「それとも、ハルゼン商会は軍用の欠陥部品を完品として売る商売をしてはるんですか?」
ドーマンは黙った。
護衛の一人が、わずかに動く。
キッドはその足を見る。
踏み込みではない。
癖だ。
まだ撃たない。
「……二万四千」
「一万七千」
「二万二千」
「一万八千。これ以上は、うちの船長が泣きます」
「泣く方なのですか、あの方は」
ドーマンが皮肉っぽく言った。
ベンゾーは笑顔のまま答える。
「泣いてる場所に現れる方ですな」
キッドは顔を上げた。
ドーマンも、わずかに表情を変えた。
「……キャプテン・クライの船でしたか」
「今さらですか?」
「いえ。まさか、と思っておりました」
ドーマンは少し考え、それから肩をすくめた。
「一万八千五百。それで手を打ちましょう」
「一万八千二百」
「細かい」
「細かいから商人なんです」
結局、一万八千二百で決まった。
◇
帰り道、キッドは部品の箱を背負って歩いた。
「さっきの」
「どれです?」
「泣いてる場所に現れる」
ベンゾーは一瞬だけ黙った。
「古い噂です」
「本当か」
「さあ。噂は、だいたい本当のような嘘と、嘘のような本当でできてます」
「答える気がない顔だ」
「クライはんに似てきましたな」
「嬉しくない」
「わしもです」
港の通路を進む。
人の流れ。
荷物の山。
店の呼び込み。
すれ違う船乗りの視線。
キッドは自然にベンゾーの半歩後ろを歩いていた。
右手は空けている。
左側には壁。
背後から近づく足音が一つ。
追ってきている。
「ベンゾー」
「気づいてます」
「どうする」
「まだ何もしません」
「なぜ」
「ここは人目が多い」
「人目がない場所まで来たら?」
「その時は、護衛の仕事です」
ベンゾーは歩調を変えずに言った。
「ただし、先に撃たんでくださいね」
「分かってる」
「本当に?」
「名目は外れたんだろ」
ベンゾーは少し笑った。
「半分だけです」
曲がり角を越えた瞬間、背後の男が走った。
ナイフ。
狙いはベンゾーの背中。
キッドは振り返る前に、荷箱を床へ落とした。
重い箱が通路を塞ぐ。
男の足が箱に引っかかった。
体勢が崩れる。
キッドは踏み込み、男の手首を押さえ、壁へ叩きつけた。
ナイフが落ちる。
銃は抜かない。
必要ない。
「誰に頼まれた」
キッドが尋ねる。
男は答えない。
「答えなくてもええです」
ベンゾーが落ちたナイフを拾い、ため息をついた。
「だいたい分かります。ドーマンはんやないでしょう。あの方は、こんな安い手は使いません」
「じゃあ誰だ」
「取引で値段を下げられて困る人は、商会の中にもおりますから」
「全部分かってたのか」
「全部ではありません」
ベンゾーは男の襟首をつかみ、港の警備端末へ通報した。
「でも、商談は部品だけを見るんやありません。相手の面子、立場、周りの人間。全部ひっくるめて見るんです」
「人間関係も、構造か」
「ええ」
ベンゾーは頷いた。
「ただし、船みたいに図面はありません」
◇
《ストレンジャー》へ戻ると、ライガがキッドを見た。
「襲われたらしいな」
「ああ」
「撃ったか」
「撃ってない」
「怪我は」
「相手が手首を少し痛めた」
「少し?」
「たぶん」
ベンゾーが頷く。
「ええ護衛でした。荷物も守りましたし、わしも無傷です」
「そうか」
ライガは短く言った。
「なら、悪くない」
キッドは少しだけ背筋を伸ばした。
「褒めてほしい顔だな」
「してない」
「してる」
ライトが笑う。
クライは壁際で酒瓶を持ったまま、キッドを見ていた。
「黙る仕事は覚えたか」
「少し」
「喋る仕事は?」
「まだベンゾーには勝てない」
「勝たんでええんです」
ベンゾーがすぐに言った。
キッドは今日の商談を思い返す。
正しいことを言うだけでは足りない。
嘘を見抜くだけでも足りない。
いつ言うか。
誰の前で言うか。
言わずに待つべきか。
人の間には、見えない通路がある。
船の中の隠し部屋より、ずっと厄介な通路だ。
けれど、覚えられないわけではない。
「ベンゾー」
「何です?」
「次も行く」
「護衛として?」
「半分は」
「残り半分は?」
キッドは少し考えた。
「勉強として」
ベンゾーは眼鏡の奥で目を細めた。
「よろしい」
それは、ベンゾーからもらった二度目の合格だった。




