第20話「彼女に合わせて」
朝起きて、八重代さんはのびのびと朝の光に背伸びをした。まるで猫みたいだ。
「夜船さん。朝ごはん食べましょう!」
目をしばしばさせながらも、朝ごはんという言葉だけはしっかりとはきはき喋った。
本当にご飯に目がないな……
「はいはい」
足早にリビングに向かった八重代さんの後ろを追いかけ、俺もまた朝食に心を躍らせるようになった。
彼女がいるから、彼女に合わせたいと思う。
そんな生活もだいぶ時間が経った。
「奏斗さん。そろそろ調べてみますか?」
「ああ……そうだね」
俺は当初の目的を忘れて、この時間を楽しんでしまっていた。
二人で買った家具や、コップ、皿、色んなものがここに集まっている。
誰がなんと言おうと、この空間は俺と彼女のたった一つの居場所で、家だ。
そうか……いつかは、この暮らしも終わるんだな
そして、そういうものは案外あっさりと終わることが多いものだ。
「見てください! 結構離れられるようになってますよ!」
彼女は遠くで嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
「もうすぐで離れられるかもなー」
そういう俺の心は、嘘偽りでしかない。
そんなことは見ず知らず、彼女は嬉しそうにこちらに駆けてくる。まるで飯を俺が持っているかのように。
はぁ……
「俺は、飯にも勝てない男か……」
たわごとを吐きながら、帰ってくる彼女を見つめることしかできなかった。
「昼ごはん、お祝いします?」
やはり、負けるようだ。
「そうするか」
半ば投げやりで、俺は彼女の意思を尊重させた。
月日が流れ、俺たちはもうすっかり中々な距離を離れられるようになった。
同じ街にはいないといけないだろうけど、十五キロ程度ならもう既に離れられる。
だから俺たちは、同棲をやめた。
分かっていた。
相手には好意がないことを分かっていたはずだったのに、俺は、心が彼女に会いたがっている。
そんな日を過ごしていると、彼女から一通のメールが届いた。
『ちょっと、お話しませんか』
俺はその文章を見て気分が舞い上がった。
すぐに準備を整えて、俺は集合場所に向かった。
「お待たせ」
集合場所には既に彼女が居た。
「あ、お久しぶりです」
「うん」
彼女は昔のような顔を見せた。あの死んだ魚のような顔だ。
「どうかしたの?」
「あー……えっと」
こんな聞き方をするのは野暮だろうか。でも、求めずにはいられなかった。
「ちょっと、色々とありまして……その……確認をしたいなって思ったんです」
「確認?」
「はい」
私のことどう思ってますなんて言葉を期待していると、彼女は重たい口を開けた。
「奏斗さん……」
彼女は顔を俯かせながら、もじもじして話す。
好きだよ。その言葉をすぐに言うつもりで彼女の次の言葉を待ったが、彼女が発した内容は、悪魔のささやきだった。
「奏斗さんってまだ死にたい欲残ってます……?」
それは心中をしようと持ち掛けられたことと同じだった。
「え……」
「あー……ただ、死ぬなら二人で死のうかなって考えただけなんです……迷惑なら、自分だけでいいので、気にしないでください」
言葉の最後の方にかけて、彼女は、はきはきと喋った。
「話……聞くよ」
俺はその言葉がとっさに出てきていた。
これは一緒に死のうと言う表れじゃない。彼女を助けたいという気持ちだった。
彼女は死ぬことに賛同してくれたと思ったのか、顔をぱっと明るくして、俺の手を握った。
「会社からいじめをうけたんです」なんてにこやかに喋る彼女に、俺は何を考えたのかも分からない。
「気持ち悪い」
「うっざ」
「使えねー」
「ゴミ同然でしょ」
「まじでいるんだね。こういう社会の底辺って」
「部長に媚び売ってるだけでしょ?」
「それで多めに見てもらってるって本当? 体売ったんじゃないの~?」
彼女から出てくる言葉たちが、俺の胸に乗っかかって、耐えきれないと危険信号をだす。
でも、
――俺はまた人を死なせるのか?
限界を超えた笑いを見せる彼女の肩を力強く持った。
「やめろ。やめてくれ……もう、もういいよ……」
そういう俺の腕を彼女は優しく降ろした。
「ですよね。もういいですよね」
ちがう……
「一緒に――死にましょう」
彼女の言葉が俺の耳に嫌に残る。
じめっとしていて、重苦しくて、まとわりついてきて、身動きが取れなくなってくる。
まるで元カノが目を塞いで、死後の世界で俺に手を振っているかのようだ。
呪縛。その言葉がとてもよく似合っている。
「やめろ……やめろ、やめろ、やめろ!!」
耐えきれなくなった俺は叫んだ。
「でも奏斗さん言ったじゃないですか」
何を……
「――死に続けるのが神様への反逆行為だって」
あの食に目がなく、綺麗に笑う彼女に会えると思ったのに。そう思っておしゃれをしてきたのに。すごく馬鹿な気分だ。
昔の俺が憎い。
「俺は……八重代さんを……」
「一緒に逝きましょ。また、世界をいいものに変えてもらいにいきましょうよ」
「それで生き返れなかったら、どうなるんだよ……」
俺の言葉は聞こえなかったのかのように、彼女はただ黙ってにこやかにしている、
「ちょうど、ここのビルが私の勤める会社なんです。ほらあそこに虐めてきた同僚が見えますよ。最後に手を振ってあげましょうか」
まさか……
「でもそんな義理ありませんね。ここから飛び降りましょ。迷惑かけて終わりたいです」
そう言って悪魔のように笑う。
彼女を止めたいのに、止まらない。
触れたいのに、触れられない。
彼女を呼び止めても、俺の声が聞こえていない。
そして、彼女の行動を認めて上げたい自分がいるのも確かだ。
「奏斗さん。逝きますよ」
彼女に手を引っ張られて、俺はエレベーターに乗って、屋上までやってきた。
「ここ、鍵かかってないんです。不用心ですよね。まるでいつ死んでくれてもいい、と言われてるみたいでとてもうざいです」
そんなことを語る彼女に、俺は笑みさえこぼしていた。
彼女が初めて、俺としたいことを話してくれたからだろうか。
歪んだ絆でも、俺はそれを愛だと認識してしまった。
「せーので飛びますよ」
「……ああ」
「せーのっ」
そうして、久しぶりの再会も積もる話なんてできないで、俺たちは二人、ビルから飛び降りた。
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