表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼくだけを見つめてくれたきみを  作者: 夢兎
第四章 太陽があるから、ひまわりはよく育つ。
32/38

八、葵 八月二十日(火)十一時

 あと一時間もすれば学校が終わる。

 登校日は半日だ。

 いつも通りの日常。

 夏休みデビューしている生徒もいるが、概ねいつも通りだ。


 違うのは、ざわざわと音を立てる心だけ。


 ――土曜日、どうしようかな。


 公園に行くのは怖い。

 日曜日に行かなかったせいで、より行きづらくなってしまった。

 こうやって、だんだん離れていって、紫苑のことを忘れていくのだろうか。


 ――忘れられるのかな。


 今は全くそんな気はしない。

 ずっと覚えていて、ずっと苦しめられる気がする。

 でも、大抵のことは時間が解決してくれる。

 そのときどんなに苦しくても、時間が思い出を色褪せさせて、いつか風化してしまう。

 そのことを葵は知っていた。


 この春、紫苑と再会しなければ、葵はきっと紫苑のことを忘れていたから。


 今までの人生のほとんどは学生という大枠で囲える。

 だから、小学校だろうと中学校だろうと、高校でも生活は変わらず、公園に行っていた。


 でも、もっと未来、社会に出ればその生活リズムは容易く崩壊するだろう。

 そうなれば、自然と公園から足が遠のく可能性はある。


 今だけの辛抱だ。

 大学に行くことを考えても、あと約六年間耐えきればいい。

 そういうふうになあなあで過ごすのは得意だ。

 いつだって面倒なことから逃げてきたから。


 それではダメだということは分かっている。

 それではなにも手に入らないということは十全に理解している。

 でも、公園に向かおうとすると足が竦むのだ。

 近づくことすら恐ろしい。


 ――もう全部終わったんだ。


 自分は嫌われた。

 恋は散った。

 それでこの話は終わり。


 行けもしないくせに、いつまでも悩んでいる自分が恥ずかしくてしょうがない。

 悩んだってなにも解決しないのに。


「はあ……」

「うわあ、重苦しい……。ため息吐くと幸せ逃げるよー?」


 幸せが逃げたからため息を吐いているのだ。

 目の前の席に座っている奏は順風満帆といった表情をしている。

 それを見ると、どうして自分ばっかり、という気になってきてしまう。


 しかし、それを顔には出さず、葵は愛想笑いを浮かべながら頷いた。


「うん」

「うんって、他になんかあるでしょ! ……なんか、戻っちゃったみたい、前の葵に」


 言って、奏は悲しそうな顔をする。


 ――戻っちゃった、か。


 実際、そうなのだろうと思う。

 葵が変わろうと思ったのは、紫苑に話しかけるためだ。

 紫苑と仲良くなるためだ。


 目的を見失った今、変わる理由もない。

 戻ってしまうのも必然と言える。


「ごめんね」


 奏のことがどうでもいいわけではない。

 折角、仲良くなれたのだから、これからもという気持ちはある。

 だから、心配をかけまいと愛想笑いを浮かべたまま、言葉を返す。


 すると、奏はなぜかむっと顔を顰めた。


「それ、やめてよ」

「……え? えっと」


 わけが分からず言葉に詰まる。

 なにが奏の気に障ったのだろうか。


「その、『あたしは平気ですよー』みたいな顔、やめて」


 やめてと言われても困る。

 なら、どうすればいいのだ。


 八つ当たりでもすればいいのか?

 愚痴でも吐き出せばいいのか?


 そんなことはしたくない。

 幸せな友達を巻き込みたくはない。


「だって……その」

「寂しいじゃん。あたし、そんなに頼りにならないかな?」

「そ、そんなことっ! ……ないよ」


 そんなことはない。

 奏は頼りになる。

 でも、もうたくさん助けてもらった。

 これ以上、迷惑をかけたくはない。


「でも、わたしの、問題だから。もう、いいの。もう、平気」


 自分の問題なら簡単に捨てられる。

 言い訳で覆い隠してしまえる。

 それが本当は簡単なことではなくても、もうそれしか出来ない。


 取り繕うように笑うと、奏は瞳を潤ませた。

 葵は驚いてあたふたとしてしまう。

 泣かせるつもりなんてこれっぽっちもなかった。


「……ねえ」


 奏が掠れた声で言葉を発する。


「あたしね、この前、葵が相談してくれて、すっごく嬉しかったんだ。葵って自分のこと、全然話してくれないから。もっと仲良くなれた気がして」


 そんな風に思ってくれているとは思わなかった。

 葵には頼れる友達が奏しかいない。

 奏ならなんとかしてくれると考えての行動だ。

 特別、喜ばせようという気持ちはなかった。


「でも、あたしの独り善がりだったかな」

「ち、ちが――」


 否定の言葉は、奏に遮られる。


「ならっ! ……それなら、どうして、相談して、くれないの……っ?」


 つーっと奏の頬を涙が伝う。

 今は休み時間だ。

 クラスメイトも葵と奏に注目している。


 その中には竹原晴人の姿もあった。

 彼は心配そうにこちらを窺っている。


 ――ほら、だから、ダメなんだ。


「心配とか、迷惑とか、かけたくないの。その……大切だから」


 本心からの言葉だ。

 大切なものだから、失いたくない。

 嫌われたくない。

 面倒なやつだと思われたくない。

 頼ってばかりでは申し訳なくなってしまう。


「そんなの、気にしないでよっ! 葵って、いつも人のことばっか! ちょっとは自分のこと考えて! 迷惑だって、心配だって、そんなっ……そんなの、大歓迎、なのに……っ」


 ぽろぽろと落ちる涙を荒っぽく腕で拭いながら、奏は真正面から本音をぶつけてくる。


「葵、泣いてたじゃん! 平気なわけ、ないじゃん。友達がっ……葵がさ、泣いてたら、心配だよ? どうしたのかなって! 思うよ? 葵が悲しかったら、悲しいよ……っ。メールも、電話もっ、ずっと、ずうっと、待ってたのにっ。もっ、もっと、あたしを頼ってよっ! 友達なんだから、迷惑、かけてよ……」


 奏は、はあっと熱を持った息を吐き出し、じっと葵を見つめる。

 真剣そのものな瞳に見つめられて、葵はたじろいでしまう。

 完全に想定外だ。

 そして、気づいた。


 ――また、間違えた。


 間違えて、すれ違ってばっかりだ。

 いつも正しい答えを引き出せない。

 そんなどうしようもない自分に呆れてしまう。


「……ごめんね」


 葵の言葉を聞いて、奏は悲しげに顔を歪ませた。

 慌てて、葵は言葉を続ける。


「あと、えっと、ありがとう。よかったら――話、聞いてくれる? だから、泣かないで。奏が悲しいと、わたしも、悲しいよ」


 奏は何度も頷きを繰り返し、そして再び涙を流した。



 放課後。

 葵と奏は誰もいない教室で向き合っていた。


 奏のまぶたはいまだに赤く腫れ上がっている。

 それを目に映すとごめんなさいと言いたい衝動に駆られる。


「そっかあ……」


 事の詳細を聞いた奏はそうつぶやく。

 奏には全て話した。

 公園のこと、紫苑との今までのこと、全てだ。


「普通に考えたら、用事だね。でも、それ以外の可能性もある、と。だからそんなに悩んでるってことでいいんだよね?」


 再度の確認に頷きを返すと、奏はうーんと考え込む。

 一つ一つが大袈裟でかわいらしい。

 女の子だなあと思わされる。

 同時に自分も女の子なのにとがっくりする。


「その、紫苑くん? って、そういうことする人なの?」


 葵は即座に首を振る。

 紫苑は決してそんな人ではないのだ。

 でも、それは自分が見てきた一面に過ぎないかもしれないとは思っている。


「ふうん。ならさ、やっぱ公園には行くしかないよ」

「……でも」

「怖いのは分かるけど。でも、葵、その人のこと好きなんでしょ?」


 好き。

 そんなどストレートに言われると恥ずかしい。

 なんとか堪えつつ頷く。


「好きな人のこと、信じてあげないの?」


 どきりとした。

 まさか、そんなことを言われるとは思ってもみなかった。

 でも、確かにそういうことだ。


「葵が好きになるような人だから、すっごく素敵な人なんだと思う。葵にとってね。それなら、信じてあげなきゃダメじゃない?」

「……そっか」


 奏の言葉はすとんと胸に落ちた。


 これだけ頭を悩ませていたのに、紫苑の立場になって考えたことはなかった。

 葵の知っている紫苑は、一方的に約束を破るような人ではない。

 栞に込められた意味に気づいていたとしても、それは変わらないはずだ。


 それなら、紫苑はやっぱり用事で来れなかったのだということになる。

 そして、きっと、日曜日には公園に来て、自分を待っていてくれたのではないだろうか――


 不意に、ぎゅっと胸が締め付けられるような気分になった。


 ――わたしが紫苑の立場だったら、すっごく悲しい。


 花火大会には行けず、謝ろうと思って公園に行っても現れない。

 怒らせてしまったのだろうか、もう来てくれないのだろうかと不安になる。

 そんな思いをさせてしまっていたら、と思うと、胸が痛む。


 もちろん、これが全て間違っている可能性は全然ある。

 葵の知らない紫苑は、ものすごく性格が悪いのかもしれない。

 めんどくさくなって、すっぽかしたのかもしれない。


 でも――信じなきゃいけないと言われた。


 好きな人だから、好きな人の好きなところを信じてあげなきゃダメだと言われたのだ。

 それはそうなのだろうと納得した。

 なら、やるべきことは一つしかない。


「奏、ありがとう。わたし、行って来る」

「え? 今から?」

「うん」

「土日しか会えないんじゃないの?」

「そう、だけど、今行かなきゃ……足、止まっちゃいそうだから」


 やっぱりまだ怖い。

 決意してすぐに行動に起こさなければ、また立ち止まってしまいそうだった。

 だから、今行くのだ。

 会えるまで、毎日公園に行く。


「そっか。じゃあ、ファイトだ!」


 両手でガッツポーズをする。

 常と変わらない天真爛漫な表情は、やっぱり太陽のようだった。


 奏にはいつも教えられてばかりだ。

 これからもそういうことは多くあるのだろうと思う。

 頼ってばかりではいられないけれど、どうしようもないときはまた力を貸してもらおう。


 ――太陽があるから、向日葵ひまわりはよく育つ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ