3.始まりの町
不意に、街の雑踏の中にいるのに気が付いた。
目をつむっていたけれど、耳に町の喧騒が飛び込んできたからだ。
「わぁ…!」
そっと目を開けると、そこには石造りの町並みが広がっていた。
レンガでできた家々、それぞれ違う個性を持った切り出した石が規則正しく整えられた石畳。
水音に振り向けば滑らかな石で出来た継ぎ目のない乳白色の噴水と、それを満たす限りなく透明な水。透けて見える水の底には色とりどりのクリスタルが光を反射してキラキラと輝いている。
中央には翼を持つ女性をかたどった彫刻と、それを囲むようにして水が湧き出るそれぞれ形の違う入れ物が、不規則なようでそれを感じさせない見事な配置で存在している。
何かモチーフがあって作られたのだと一目でわかる造りだ。
何だかこう、現実にはない場所に来たという感じが、ひしひしとわいてきた。
「コハク、コハク、放して~」
苦しげな声に我に返ると、どうやら興奮のあまり胸に抱えたミニスを抱きつぶしにかかっていたらしい。恨みがましげな目がこちらを見上げていた。
「ごめん」
腕を緩めると、ふわりとミニスが腕から抜け出した。
「あー、苦しかった。コハクは力が強いよ」
「そ、そんなことないもん…」
力が強いとか言われると、女の子としてどうなんだとむっとしてしまう。
腕から抜け出たミニスは私の肩に乗ると、ニャーと一鳴きした。
くるりと周りを見渡してみて、お店の窓に映った自分に気が付く。
「わー、これ私?」
周りにいるたくさんの人と同じ服装。初期装備とか言うんだっけ。
映画のCGなんかで見るみたいなちょっと現実から離れた綺麗に整った顔。もともとのつくりが自分のものだとはわかるのに、現実で私を見たら誰も気づかないに違いない。
実はまっすぐな黒髪にあこがれていたので、さらさら顔の横を滑るとつい嬉しくて笑ってしまう。
でも、耳が顔の横になくて、頭上についているってのが何だか変な感じ…
「わっ」
と思ったら、勝手にぷるるるっと耳が震えた。獣耳…よく出来てるなあ。
ちょいと引っ張ってみるけどあんまり感覚がない。こう、飾りみたいなものなのかな?
「あ、何気に八重歯が尖ってる」
怖がってたのがうそみたい。なんだか楽しくてわくわくして、ついつい笑ってしまう。
「さあコハク! まずは何をする?」
肩に乗ったミニスの言葉もどことなく興奮して聞こえるのは、私の意識の問題かな?
「じゃ、散策する! この体、なんだか軽くて楽しいんだ」
「よし! じゃあ行こう!」
滑らかで艶々で、ちょっと長めの毛足。滑らかな光沢の毛は夜明けの空のまだ薄暗い色…青とも紫ともつかぬダークブルー。翼は、白というよりほんの少し柔らかな色合いで、ミルク色というのだろうか。付け根はほんのりと体毛と混じってグラデーションになっている。目は空に浮かぶ月のような白金色。角度によっては黄金色に光る。
すっごく私好みのこの子は、この『コハク』の姿を作った時に案内をしてくれた私の使い魔だ。いろいろと質問に答えてくれる案内係でもある。
あんまり可愛いから、ミニスと可愛く女の子らしい名前をつけてしまった。
「ボクのお勧めはあの時計塔かな」
聞いての通り一人称は『ボク』。性別なんてないのかもしれないけど、多分どちらかといえば少年のようなしゃべり方。きっと男の子みたいな名前をつけてあげたらよかったんだろうけど、なんかミニスって感じ。
「あの時計塔には何かあるの?」
おそらくこの街で一番高い建物なのだろう。突出して一番目立つ。
「あの時計塔は町の中心。いろんな人が集まる場所なんだ。今はイベントをやってるよ」
「イベント?」
「うん。あと2時間くらいで終わっちゃうけど、行くと参加できるよ」
「ふーん。イベントかあ…」
私にはちょっと敷居が高いなあ。
「初心者向けだから、コハクにぴったり。早く行こうよ!」
「うーん。そうだね、他に行くあてもないし」
「ほら、急いで急いで!」
なんだか誰かの意思を感じるくらいの勧め方。
でもいい。
何といっても急かしてくるミニスの手がたしたしと私の肩を叩いているのが、もう、もう!
また捕まえてぎゅっとしたくなったけど、我慢がまん。
ヨーロッパの田舎町でも思わせる同じように整った家並に、同じ色の屋根、店先のディスプレイが私の目を引き付ける。
そんな誘惑を振り切りながら、後で絶対に来ようと決意して、時計塔へと急ぐ。
気が付けば、レンガ造りの時計塔はだいぶ近づいていて、上に見上げるほどになってきた。
こうして見ると、時計塔のほかに空を遮るものがほとんどない。
空がすごく広い。
背の高い建物が多い環境の中で育った私にとっては、なんだか新鮮な光景だった。
街並みと、広い空。すごく開放感がある。
「もうすぐ時計塔広場だよ」
ほとんど塔は目の前、というところまで来て、ミニスが耳元で囁いた。走る私から振り落とされないようにと必死でしがみついていたのだ。
広場という言葉に疑問を持ったけど、それは質問する前に解決した。
通りを抜けた先が、時計塔を中心とした円形の広場になっていたのだ。
花壇や小さな水場、露天商、ベンチや街路樹があって、時計塔の周囲はなかなかに賑わっていた。
「さあ、時計塔の中に入ろう。イベントは中で受付をしてるからね」
「うん」
私の他にも同じように時計塔の中に入っていく同じ格好の人たちが何人かいるようだった。
私がミニスを連れているように、他にもいろいろな動物や中には妖精っぽいファンタジーな生き物を連れている人もいれば、何にも連れていないけどやってくる人もいた。それとも見えないくらい小さな生き物を連れているんだろうか。
連れている生き物も色々なら、それを連れている人も色々だ。二足歩行で服や道具を身につけているところから見ても同じくプレイヤーなんだろうけど、犬みたいな毛むくじゃらの顔の人もいれば、まったく人間って見た目の人もいるし、映画で見たエルフみたいに耳のとがった人もいる。
なんとなく気後れしながらも、その流れに沿ってかなり大きな入口をくぐった。
中は思っていたよりもずっと広い。というか、外観からは想像のつかないかなりの広さがある。
「ほら、あっちに案内が出てるよ」
造りの不思議さに首をかしげていると、ミニスがちょいちょいとその肉球のついたほわほわの手を振って、行くべき方を指示してくれる。
「…コハク」
思わずその手を掴んだら、呆れたように名前を呼ばれた。
「ごめんごめん」
そこに肉球があれば掴まずにはいられないでしょ、人として。
今度こそ手の先を見れば、初心者イベントこちら、となんだかポップな看板がかかった両開きの扉があった。扉は解放されていて、人が出たり入ったりしている。
「ほら、残り時間も少ないから、早く行こう」
「うん」
人とぶつからないようにゆっくりと近づいて、扉をくぐると、さらに空間が広がっていた。
これ、きっと大きさが調整してあって、外から見るよりも広いスペースをとれるように作ってあるんだろう。円形のホールはホテルにある結婚式場とか、そう言うくらいの大きさがある。
白い壁にところどころランプが設置されていて、木目の床と円形のカウンターは木目を生かした造りをしていた。そして、天井にはオレンジ色の光を宿す丸いアンティーク調のランプが等間隔に設置されている。
時計塔のど真ん中にこういう部屋があるのか、それとも一切合財無視して機能優先の造りなのかは不明だけど、とにかく女の子の心をくすぐるには十分。
「イベントに参加される方は、カウンターで登録をしてください」
どこからか拡声器でも使ったかのような音声で案内が聞こえた。
どうやらどこかで順番待ち、というわけでもなくて、みんな空きそうなカウンターになんとなく並んでいるって感じだ。しかも、カウンターで話を聞いたと思うと1分くらいで離れていく。ここでは本当に登録だけなのだろう。
開いているカウンターを探して、入口からは遠い裏側に回ってみることにした。
周りの人をなんとなく眺めながら裏手に回ると、やはり少しは並んでいる人も少ないようで、ちょうど一人登録が終わって順番待ちがいなくなった所に滑り込んだ。
カウンターの中でお仕事している人も、プレイヤーと変わらなくて、色々な姿をした人がやっているみたい。
「お次の方どうぞ」
前の人が去ると、優しげな声音で次を呼ぶ声がした。
さて、一体どんなイベントなんだろう。ちょっと怖いけど、わくわくとしてくる思いに自然と笑みが浮かんだ。